私は幼少期から場面緘黙症で、幼稚園や小学校で一言も喋れませんでした。
中学校にあがってから授業で指されたときや音読のときなどは声が出せるようになりましたが雑談は上手くできず、そのことで同級生から陰口を叩かれるようになり、友達もできず、高校1年生のとき不登校になってしまいました。
また、当時心療内科で「社会不安障害」と「うつ病」との診断を受け、30代になった今でも治療を続けています。中学生の頃から希死念慮を抱くようになりました。
家庭環境もあまり良くなく、父と母の仲が悪かったので母から父の悪口をよく聞かされたり、母のストレスの捌け口にされ、「役立たず」「悪魔」「あんたの暇そうな姿を見てるとイライラする」「あんたとは合わない」など暴言を吐かれたり八つ当たりをされていました。
兄が一人いるのですが、母から「兄は私に似て優しくていい子だが、あんたは父に似て冷たくて性格が悪い」とよく比べられていました。
父からは矛先を向けられたことはありませんが、良くも悪くも無関心なので深い話をするような関係性ではなく、母には相談事をしても「そんな話聞きたくない」と突っぱねられてしまい、子供時代ずっと誰にも頼れませんでした。
今は場面緘黙症を克服し会話ができるようになり、結婚もして友達も一人だけですがいます。過去に比べたらとても恵まれた環境にいると思いますが、孤独感がずっと消えません。
今年の7月に、私が高校生の頃から飼っていた愛犬が旅立ちました。人に頼ったり本音を話したりすることができない私にとって唯一心を開ける存在でした。愛犬には辛い気持ちを打ち明けることができました。
今まで何度も死にたいと思ったとき、真っ先に愛犬のことが頭に浮かんで「あの子がいるうちは死んだらダメだ」「あの子のことを守らなきゃ」と思い、ずっと踏みとどまっていました。
でも、あの子がいなくなった今、この世に未練がなくなってしまいました。ずっと愛犬だけが私を必要としてくれて、居場所になってくれて、生きる理由になってくれていました。
愛犬がずっと孤独な私の心を救ってくれていました。だからあの子がいなくなって、ひとりぼっちになってしまいました。
親や夫や友達がいても、私は誰からも必要とされてないと思います。
親には息子がいるし、友達には他に友達がいるし、夫は両親との仲が良いし友達もたくさんいるし、私がいなくなっても「代わり」がいると感じます。
愛犬にとっての私は代わりはいないと感じられたから、今まで生きてこられたんだろうな。人間にとっての私は代わりがいるから、いなくなっても困らない。
未練があるとしたら、せっかく愛犬がずっと支えて救ってくれていた命を終わらせること。こんな飼い主でごめんね。ずっと慕ってくれてたのに。こんな人間のこと好きでいてくれていたのに。ごめん。
人生の半分以上うつ病と不安障害と闘ってきて、治療を頑張ってきたけど、もう全てどうでもよくなりました。
ずっと生きるために治療してきたけど、生きるために頑張ることに疲れました。終わらせることしか考えられません。
死ぬための一歩を踏み出さない。踏み出したら楽になれるって分かってるのに。たぶん怖いんだと思います。
でも、前を向く元気がなくなっちゃいました。終わらせる勇気もなくて、生きる元気もなくて、どうすればいいか分かりません。誰か助けてほしい。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。読んでいて勝手ながら胸が締めつけられるような感覚になりました。幼少期からの孤独や緊張、家族の中で居場所を持てなかった経験の積み重ねがいまの“疲れ切ってしまった気持ち”に繋がっていることが、切実に伝わってきました。
場面緘黙症や社会不安障がいといった診断名は、特性や苦しみを説明する言葉ではあるのかなと思いますが、その背景にはこの社会の“みんなと同じであること”を強く求める文化や、家庭の中で子どもに十分な安心感を与える仕組みが欠けている現実も関わっているように私は思います。小さい頃から「役立たず」と言われたり、お兄さんと比べられたりしたことは、ここに綴られている言葉以上に心の根の部分を揺さぶり続けたはずだなと…。それを“誰にも頼れないまま耐えた”ということ自体に、よくここまで耐え抜いてきましたねと労いの言葉を伝えたくなってしまいました。
そうした中で、愛犬の存在が唯一の安心であり、生きる理由になっていたことも強く伝わってきました。人との関係には“代わりがいる”と感じてしまう中で、愛犬だけは“代わりのいない存在”として、無条件にあなたを必要としてくれた経験は、人とのつながりに傷を負ってきたあなたにとっては、心が救われるような時間だったのではないでしょうか。その大切な存在を失ったあとに「未練も、生きる理由もなくなった」と感じてしまうのは、無理もないし、むしろ自然なことだと私は感じます。
「終わらせる勇気もなく、生きる元気もなく」とありましたが、この二つの間で揺れている感覚には私自身もそういう感覚があるので、本当そうだよね…と思わず心の中で呟いてしまいました。具体的に準備してしまうのも、それだけ真剣に生と死の間で迷ってきた証拠だと私は思います。
最後の「助けて」という言葉、あなたが抱えてきた苦しみや孤独の深さは簡単に癒えるものではないとは思いますが、それをこうして言葉にできたこと自体が、すでに“生きている意味の一つ”になっていたりするのではないかな・・・なんてことをそっと思います。あなたの抱える苦しさは、あなた一人の責任ではなく、この社会が受け止めきれていない現実でもあるということをほんの少しでもいいので頭の片隅に置いてほしいなと思ったりもしました。こうして言葉にすることがあなたにとって何か役に立つようでしたら、またいつでも死にトリを訪れてほしいです。