自分の気持ちを検索することがある。今回は、というか今回も「死んだらいいのに。自分が」と検索していたらこの死にとりというサイトにたどり着いた。
投稿する方が自分の気持ちを丁寧に綴っていて、共感を得るととも辛い気持ちを少しの時間でも紛らわすことが出来て欲しいと願った。
このサイトで投稿に対し丁寧に2人が感想を書いてくださるのを見て、2人が美味しいものを食べて温かいお風呂に入ってゆっくり不安なく眠りにつけるそんな毎日であってほしいと願った。
このサイトのお陰で少しでも不安がとりのぞけるひと、明日も生き繋ぐひとはたくさんいるとおもう。本当にありがとう。
負担を増やして申し訳ないと思いながら少し聞いて欲しい。
私は家族のことがすき。好きだし支えてもらっているから私も支えたいと思ってる。
でもちょっぴり不満もある。特にママ。
ママはヒステリックで話し合いというものができない。当たり前のことで、人が傷つくことを言うのをやめて欲しいと伝えても「私が悪いんでしょう。謝ればいいんでしょう。死んでお詫びする」のエンドレス。気味の悪いこといっていないでやめて欲しいことを辞めれば良いだけなのに。
幼少の頃の夜も思い出す。パパとママが喧嘩した夜に、一緒に寝てたママが「私なんて死ねばいいんでしょう」そう言ってた。なんだか、幼心に胸がザワついてパパの部屋に助けを求めて寝に行ったっけ。ぱぱがバカボンかけて一緒に寝ていいよって言ってくれたな。そんでそのあとママが迎えに来たな。
あとは小さい頃からお金が無いんだよってママに言われて育ったから服なんて欲しがったことなかったな。ゲームソフトも誕生日以外買ってもらったことはなかったな。読書の時に読む本も何度も同じ本を読んだ。
服を1着買うだけで次の日からボロアパートに住んでちゃぶ台でたくあんだけがおかずになるんだと思ってたよ。高校までほんとにそう思ってた。
これも今思い出すと辛いんだよな。中学生2年生になってもブラジャーを買って貰えなかった話。
いつも胸の部分だけ二枚重ねキャミソールを着てた。勇気をだして買ってとしまむらで頼んだら「今度ね」って。お金ないって言われてたからわざわざしまむらで買ってほしいと選んで頼んだのにな。私のブラジャーは買ってくれなかったけど、ママは自分のTシャツは買ってたね。結局ブラジャー買ってもらえることはなくてお年玉で自分で買ったなあ。
友達に相談したけどみんなは勝手にママが買って付けなさいってタンスに入れてたって同じ答えばかりだったな。
実は知ってたんだ。ママは自分のお洋服とかカバンとか化粧品はいっぱい持ってること。子供よりも自分のことばかりでお金かかることの時は私のこと見てくれなかったね。
専門学校を留年してしまった時、私の親友は留年じゃなくて自分で選んで退学した。留年した悔しさとかでお部屋で泣いてたら、ママが入ってきて「親友がやめなきゃよかったのに。(あなたはどうせ無理でもあの子なら上手いことやっていけたんだからそのまま学校行ってればよかったのに)」って言われて不信感がどんどん増したな。
私がずっと悩んでた症状があって、検査入院したら私の病気が発覚した時があった。ママに病気のパンフレット(すごく簡単に書いてる2ページの薄いすぐ読めるやつ)読んで欲しいってお願いしても一度も読んでくれなくてホコリ被ってたね。ケータイ見てゴロゴロしてる時に2回も日にち変えて伝えたんだけど結局読まなかったね。パンフレットは読まないのにそれじゃ仕事できないじゃんって何度も理解しようとせずただ言ってきたね。
嫌なこと言われたエピソードはまだまだあるけど書ききれなくなっちゃうな。でもママには1番の味方でいて欲しかっただけなんだけどな。どんな時もママだけはって期待したら良くないんだよね。他のおうちのママと比べちゃダメだよね。ママだけに当たり強くなってるけどほんとにママが特にいろんなことあったよ。
おばあちゃんには小さい時から普通のしつけで怒られても「あんたは頭がおかしい、普通と違う。精神科に入った方がいい」ってエスカレートした言葉で怒られたな。口答えするのが悪いかも知れないけど、小さい頃からそうやって言われると、大きくなってから何かで失敗する度に自分が本当に頭がおかしい人間だと思っちゃうよ。
でも、おばあちゃん認知症になったらあんまり怒らなくなったね。ちゃんとお話出来て私の事可愛いって言ってくれるのは変わらないね。怒ると言い過ぎちゃうだけなのよね。
だけど認知症になったから自分でお出かけできなくなっちゃったね。お出かけ好きなのにね。だから、いっぱい連れてってあげるよ。温泉にも、施設に入ってしまったお姉さんのところにも。足の筋肉落ちないようにお散歩にもつれてくよ。病院はもちろん待ち時間長いから好きな歌スマホで掛けてあげるね。でもスマホで掛けてあげると病院の待合室で歌っちゃうんだよね。恥ずかしいからそれはやめてね。
ぱぱは、理想の家族が大好きだね。ぱぱが1番まともで尽くしてくれるよ。でも、パパとママは仲良しじゃなくていつも喧嘩ばかり。私が間でパパとママお互いの愚痴を聞いてあげなきゃだめなんだ。でも、なんだか最近愚痴を聞いてあげたい、支えてあげたい、少しでも聞いてあげたい気持ちはあるのに涙が出てきて聞いてあげられなくなってきたんだ。
少しでも助けになるのが私のせめてもの役目なのにな。
仕事で挫折して仕事を辞めた時、死にたかったんだ。毎日毎日普通の人ならこんな失敗しないのに。普通になりたくて死にたかったんだ。でも、私が死んだらきっとパパとママは後悔してもっと仲悪くなっちゃうし、パパなんて家族愛大好き人間だから一生病んじゃうな。妹も私が支えてあげないと生きていけないし、おばあちゃんもお出かけしないと、刺激もなくつまらなく死んじゃうな。なんて自分の価値をその時だけ見出しちゃって死ねなかったな。死にたかったけど死ねなかったな。死ねなかったから今日も家族として私以外が生きてると思う。
最近、「死んだらいいのに。自分が。」ってわざわざ倒置法で何度も心に浮かんでくるんだ。なんで倒置法なんだろうな。他の人は生きててって思うから念押しで倒置法なのかな。死にたいじゃなくて死んだらいいのになんて他人まかせのような言葉もおかしいよね。
小さい頃にママが言ってた「私なんて死ねばいいんでしょう」って私の心に浮かぶ「死んだらいいのに。自分が」と少し似てるな。けどちょっと違うんだよ。一緒にしないで欲しいな。私はそんなこと家族には口が裂けても言えないよ。心配かけちゃうもん。
大人になってからは、チャットアプリみたいなのとか、バーであった人とかに愛想振りまいて「かわいい」と「好き」をかき集めたな。デートするのが好きだった。自分のこと好きになってほしくてその人に合わせて会話したっけな。好きになってほしい(自分に魅力があると思われたい)のにいざ好きと言われると、私の事好きなんでセンスがないなって思って逃げるのも定番だったね。
毎日泣きながら顔が気に入らない、これだと誰にも好いてもらえないってメイクの練習したのも、何度も自分の写真を撮っては加工して、これがホントならいいのにって泣いたのも定番だったね。いつか整形したいけど、死んじゃったらかけたお金無駄になるよなって現実に引き戻されちゃうな。
いつか誰にも気づかれずそっと消えてしまえたらいいのになあ。
こんなにダラダラ纏まらないぶんを書いてをしまって、感想を書いてくれる人も困っちゃうだろうなあ。ごめんなさい。
文章の締めくくりはやっぱり最初に書いたこと。ほんとに伝えたいのはやっぱりこっちかな。
ここに投稿するしんどい人たちが僅かな時間でも苦しみを少し忘れて過ごせますように。なんなら幸せってちょっとでも思っちゃう瞬間がありますように。綺麗な景色を見ちゃいますように。気持ちいいなって思う風をたまたまでも浴びれますように。
このサイトを経営?してくれてる人たちがみんなの不安を聞いててしんどくなりませんように。少しでもしんどくなったら放り出して旅行にでもいけますように。大好物のものを味わって食べてあったかいお布団で眠れますように。
願ってばかりだけども本当に心からおもうのです。
こんなまとまりの無いただの人生の愚痴を聞いてくれて本当にありがとう。
感想1
死にトリを見つけ、投稿してくれてありがとうございます。文章を読んでいて、心の中に積み重なってきた周囲の人(特にお母さん)に対する「好き」と「不満」、「支えたい」と「もう限界」という相反する気持ちが、絡み合ったまま離れずにいることが伝わってきました。家族のことを本当は大切に思っているのに、その同じ家族から深く傷つけられたり、理解されなかったりする…その矛盾の中で長い時間を過ごしてきたのだと思います。
お母さんとの関係についての記憶は、とても鮮明な印象で、子どもの頃に「死ねばいいんでしょう」と繰り返す姿を聞かされることは、小さな心に強烈な不安を植え付けたはずです。そして成長するにつれて「お金がない」と言われながら、自分の必要なものは後回しにされ、でも母親自身のものは買っていると気づいてしまったときの感覚も、それはただ物の問題ではなく、“私は優先されない存在なんだ”と突きつけられる痛みを伴ったのではないでしょうか。必要なケアを後回しにされることは、子どもの自己肯定感を大きく揺さぶる出来事であると私は思います。(私自身も母からずっとあなたがお母さんから言われてきた同様の言葉をかけ続けられてきたので、決して他人事とは思えない感覚で読ませてもらっています)
祖母さんからの言葉もまた、世代的な厳しさやしつけの形に包まれたものであったとしても、言われ続ければ“私は普通じゃない”という刷り込みになってしまうのも無理もないし、大人になっても失敗するたびにその言葉がよみがえるのは自然なことです。この社会では「しつけ」や「厳しさ」と称して子どもに言葉の暴力を投げかけてしまうことも少なくなく、その言葉は子どもの中に長く残り続けるのだと、あなたの経験から改めて痛感させられたところです。
それでも、文章の中には「おばあちゃんを連れていきたい」「足が弱らないように散歩に」といった温かい思いも込められていて、傷つけられた記憶と同じくらい、あなたの中に“それでも大切にしたい”という気持ちがあることが伝わってきます。その優しさが、かえって「私が支えなきゃ」という重荷にもなってしまっているのかもしれないな…と思いつつ。
また、「死んだらいいのに。自分が。」と浮かぶ言葉が、お母さんの「私なんて死ねばいいんでしょう」と重なって見えるけれども、少し違うと書いていた部分が印象的でした。そこには、親の言葉を反復することで内面化してしまったものと、それでも“自分は同じにはなりたくない”という気持ちがせめぎ合っているのを私には感じられました。
人との関係についても、「好かれたい」と思いながら、いざ好かれると「センスがない」と逃げてしまう、その繰り返しの切なさは、「自分は愛されてもいい存在だ」と信じきれない不安の裏返しのように感じました。全体を通して、あなたの心には「本当は愛したいし支えたい」という優しさと、「でも私はずっと後回しにされてきた」という痛みが同時に存在していて、その両方が絡まりながら「生きづらさ」になっているように映りました。その生きづらさは、個人の弱さではなく、家庭の在り方や社会の価値観が子どもや若者に過剰な負担を強いてきた結果でもあると私は思います。
あなたが「消えてしまえたらいいのに」と思ってしまう気持ちは、決して突飛なものでもなく、長い時間をかけて積もってきた痛みの自然な叫びのように感じました。家族に対してせめて自分は味方でいたいって気持ちが表現されているようにも私は捉えていますが、それは同時に“誰かに自分の味方でいてほしかった”という願いでもあったのかもしれないななんてことを思ったりしました。(全然違っていたらすみません)
あなたがここに綴ってくれたことも、最初と最後に書かれていた温かい言葉も、まずは受け止めたよとお伝えしたいです。そう簡単なことじゃないとは思いますが、どうかこの先少しでもあなたが心穏やかに過ごせる時間が訪れること願っています。また良ければいつでも死にトリに声を届けてくださいね。