経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたい

思春期だからわからないけど、生きてる心地がしないし、生きてる意味もわからない、だからもう死んでしまいたい、生きててもいい事ないし、みんな嬉しくないし、リスカもODも飽きたよ、早く私の事楽にさせてよなんで神様は私の味方をしてくれないの、なんでみんなは私の肩もってくれないの、もう疲れたよ自殺も失敗したら意味ないし
でも、過去に虐められた過去は消えるし、私が死んだらみんな嬉しいだろうし、親だって出来損ないの私が居なくなったら嬉しいんだろなぁ
早く楽になりたい
早く死にたい
早く死ぬ勇気をみつけたい
でも明日もどうせ息をしているんだよね
学校に行って、帰ってきて、また切って
寝ての繰り返し
もうつかれた

感想1

「学校に行って、帰ってきて、また切って/寝ての繰り返し」の生活のなかで、あなたの感情や感覚はどんなふうに動いているのだろう、と感じました。あなたにとって学校は落ち着ける場所ではないのだろうなと思いました。だからといって、家なら安心して過ごせるのかというと、そうとも限らないのかな…とも思います。学生時代は学校と家以外にあまり行き場のバリエーションが持てないことが多いのではないかと思うので、あなたが安心してくったりと過ごせたり、ぼんやりできたりする場所が見つかりにくい状況でもあるのかなと心配な気持ちになっています。
「生きてる心地がしない」っていうのにも、いろいろな場合があると思うのですが、たとえば緊張していたり、怖い気持ちになっていたりするときには、おいしいはずの食べ物の味がよくわからないことがあると思います。そんな感じで過ごしていることが多かったら、疲れてしまうのも自然なことだと思いました。私も自傷行為をしがちな人生ですが、私の場合は、リスカアムカは瞬間的に、生きている実感みたいなものを与える役割でもあったかも……と思ったりします。あなたにとっても、リスカやODはあなたのつらさや困難をなんらかの形でひとときサポートするために必要になってきたものだったのかなぁと想像しています。だけどそれもなんだか虚しく感じてしまう気持ちも同時にあるのかな、とも思ったりしました。私は単純に「繰り返し」がものすごく苦手で、毎日やることやいく場所や考えることが違わないとすごくつらいタイプなのですが、そういう極端な話でなくても、繰り返すこと自体に疲れてしまうことはありそうです。
あなたの生活に小さな風穴が開いて、新鮮な空気が入っていったらいいのにな……と(勝手な)イメージをしていました。そんな日々の中で、あなたの思考の一端を言葉にして表現してくれてありがとうございます。

感想2

繰り返される日々の中に、過去の体験、周囲との関係、家庭環境など、様々なつらさや苦しみがあって逃れようもなく投稿者さんがその波に飲まれているように文章を読んで感じていました。

「思春期だからわからないけど」という言葉に括られたいくつもの死にたいに繋がる気持ちの数々は、きっと今こうしている間にも投稿者さんの心をじわじわと締め付けているのかなと思いますが、それは、それだけ今までにいくつもの出来事に投稿者さんが傷つけられてきたことでもあるのかなと私には思えました。

学校にしても家庭にしてもそこが安心できる場所として機能していない場合、息苦しくなったり、逃げ場がなくなったりしてしまい、つらさから解放されたいと「楽になりたい」と思ったり自身が孤立感を感じてしまうのはある意味で必然なことのように感じます。

ただ、一つ思ったのは(私にはそう見えたのですが)どこか自責的に語られているいくつかのつらい気持ちは、「なんで神様は私の味方をしてくれないの」「なんでみんなは私の肩もってくれないの」と書かれているように、投稿者さんは必死に理解を求めたのに周囲がそれを蔑ろにし、孤立を感じるように追い込んだ反応をされてきたのかなと私には思えたことでした。そういった状況にほとほと削られてこぼれるように出たものが「もうつかれた」という言葉だったのかなと。。。

楽になりたいと追い込まれるほどに苦しい渦中にいる中で、それを感じなくなるような癒す手段を見つけるのは中々難しいのかもしれません。ですが、楽になりたいと思いつつ、疲れた感じる繰り返す日常は心も身体もどんどん削られていくように思えたので、今の閉塞した状況からほんの少しでも抜け出せるきっかけや機会が投稿者さんに訪れてほしいなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

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