経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
過去の話を消化させてください
私は物心つく頃から親が離婚していました。私は父方の家で祖母(愛称 ばあばあ)、父、姉と過ごしていましたが、無職の父はこちらに非がなくとも、八つ当たりで毎日のように手を出す人でした。時には物(小型家電、物干し竿やタオル等)を使ったり、罵倒してきたり、小学生の私が”ばあばあ”からのお小遣いで貯めたお金を盗んだり、アルコールとタバコの中毒もあり、年々ひどくなりました。たまに様々な方法で殺されかけたこともありました。一番嫌だったのは学校のテストや資格試験前日に暴れられる時でした。でも、「ニュースに出てくる虐待された人、世界で飢餓で苦しむ人達などの方が、苦しんでいる。私は恵まれているのだから贅沢しちゃだめだ」と本気で思っていました。毎日警戒し暴力を受けている時はなるべく無心になることを心がけていました。私は母とも会っていましたが、父母ともにお互いの悪口を聞いたりもしていました。ちなみに、そんな環境で暗い性格でいたからか、小学生の頃は同級生にいじめられた期間もありましたが、そんなの家に比べれば大したことないと思えました。その頃の唯一の心の支えは”ばあばあ”でしたが、私が中学生になった頃に亡くなってしまいました。中学生になり、母と母方の祖父母と一緒に住むことになりました。母と祖母は仲良くありません。毎日喧嘩していました。4人が住む小さめの3LDK、私の部屋はなく夜勤で寝ている母の部屋と共有でした。リビングは明るい電気が付いてましたが、そこにいる祖母の矛先は私にもありました。母の悪口などで精神的苦痛でした。父はどちらかと言うと暴力が大半だったし甲高い声ではなかったので、祖母については慣れていませんでした。中学生後半は、1人部屋があるけど暴力する父の家か、暴力はないけど精神的苦痛のある母の家、片方が嫌になると片方の家に逃げる家出を繰り返すような日々でした。父を重ねてしまう私は異性恐怖症にもなり、高校は女子校に通いました。高校2年あたりは父が病気になり、父の家で姉と半別居状態でした。学費は中学時代含めて奨学金を何個か利用しましたが、その金銭管理している母から学費に当てられてないことが多く、自分のバイト代から出すこともよくありました。自分の生活費(食費、ライフライン代、交通費、資格受験料、スマホ代)はバイト代からなので、その日暮らしのようでした。到底、家電や台所が壊れていても修理や購入などできるはずがなく、前日に買った割引パンやおにぎりを翌日3食にあてていました。嫌な事ばかりではなく、高校3年生の時にそんな私を見ていた同級生が、自分のお母さんに頼んでくれたようで、私の分までお弁当を持ってきてくれて、涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています。今でも感謝しかありません。高校卒業後は、就職し、社会人になりました。異性恐怖症や、そもそも自分より年上の権力者と会話することがまず課題だった私は、人間関係もうまくいかず、給与は最低賃金に等しく、毎日辛かったのですが、奨学金を返済しながら、とにかくなんとか働くしかありませんでした。母は金銭感覚が荒く借金をしていて、月何万はまだよかったですが、時には何十万借りたいと言ってきました。もちろん返ってきたことはありませんので、親孝行と割り切って渡していました。社会人になって2年目、高校から一切会わないでいた父が亡くなったと知らせを叔父から受けました。親戚とも母との関係は複雑で、お葬式をしたかも不明です。父方の家にずっと住んでいたけど、私と似た境遇にいたはずの姉は知らせを受け泣いていました。とても驚きました。私は心から安心してしまっていたからです。私の心が醜いだけかもしれません。不幸自慢や悲劇のヒロインぶるつもりもありません。人はそれぞれ個性や考え方が違うのも理解しています。でも、その気持ちの違いがより孤独感や寂しくもありました。そしてここで私の境遇に説明がつくものがないか調べ、いまだにそれが該当するのか半信半疑ですが、「アダルトチルドレン」という言葉を初めて知りました。それから数年経ち、母の元も離れ一人暮らしができるようになりました。ですが、父というもういない存在に、いまだトラウマやフラッシュバックを起こしてしまいます。過去の色んなことに耐えてくれた自分がいるのに、現在、仕事や何かで苦しくなると、すぐにメンタルにきてしまい自己嫌悪に陥ります。どうすれば前向きに生きれるでしょうか。
ずっと自分のくだらない身の上話と思っていました。でも辛かったのも事実で、過去の消化できない記憶を吐露する場はないかと思っておりました。
感想1
投稿ありがとうございます。
父親からは暴力、母親の家では精神的苦痛を受けてこられたことについて、どちらか片方でも非常に過酷で、逃げ出したくなるような状況だったのではないかと想像します。あなたの場合、父親と過ごすのか、それとも母親家族と過ごすのか、その苦しい選択を強いられていて、その選択も相当なストレスだったんじゃないかと私は感じています。この状況は、もはや極限状態と言っても差し支えないのではないかと感じる程でした。言葉にすることも憚られるような体験だったのではないかと勝手ながら感じ、話してくださったこと自体を労いたい気持ちになります。
あなたは父親が亡くなったという知らせを受け、安心したようでした。裏を返せば、それまであなたはずっと不安に駆られていたということなのではないかと私は思っています。高校以降父親と会うことはなかったようですけれど、父親の身勝手な行動であなたが受けた影響・呪縛は、あなたにずっと残り続けていた(もしかすると今も残っている)のではないかと思えてならないのです。お姉さんはあなたと対照的なリアクションをされたようなので、あなたが自分自身へ疑念を抱いたり、孤独感を覚えるのもうなずけるなとは思っています。でも、安心するという心の動きは自然なものであり、誰かにとやかく言われるものではないと私は感じたということを伝えたいと思います。
もっと言えば、涙が出る時の感情は必ずしも悲しみだけではないと思いますし、大いに感情が動いたからこそ涙が出ない場合もあると思います(そのことは理解されているだろうなとは思いつつ…)。父親が亡くなったことに対してあなたが感じたことには、更なる奥行きがあったりするのかも、なんて思ったりもしました。
個人的に印象的だったのは、つらい出来事の連続のなかでも、祖母(ばあばあ)さんの存在や、高校の同級生がしてくれた涙が出るほど嬉しかったことなど、支えとなった人や出来事が記されていたことです。更に、「過去の色んなことに耐えてくれた自分」という表現もあり、あなたのどこかに、これまでとこれからのご自分を尊重する心の土壌が確かにあるような気がしました。これらの記載のおかげか、私なりにフラットな目線で感想を書けたような気がします。
あなたの体験は、その過酷さゆえにすんなりと消化できるものではないのかなと私は感じます。ですが、これまで1人で抱えてきたこと、消化せずにいた事物をどうにかしようと行動に移されたことは、今後のあなたにも何か変化をもたらすのではないかと、そんな予感もありました。それに、消化しきれないものを吐露できる場があるということを頭の隅に置いておくだけでも何か違ったりするのかなと、勝手ながら思ったりもしました。
またいつでも気軽に吐き出してみてください。では改めて、投稿ありがとうございました。
感想2
これまでの人生を振り返り、丁寧に淡々と書き綴る文章から静寂と覚悟のようなもの、そしてこれまでの自分を遠慮がちに労う気持ちも少し感じながら読みました。タイトルに「消化させてください」とありますが、こうして書いて送ることで少しでも消化した感覚があってくれたらと願う気持ちがあります。ここが、あなたがこれまで一人で抱えてきた過去の苦しみを吐露する機会として、選んでもらったことを嬉しく思います。そして、読んだ私はこれまでのあなたに、「よくぞここまで生きてきました」と心からの労いを伝えたい気持ちになっています。
子どもの頃から安心や安全が保障されず、その時に考えられる限りの戦略を駆使して、まさに生き抜いてきたのだろうと思います。子ども時代のどこかであなたを手助けする大人の存在と出会ってほしかったと思うのですが、おそらく、周囲の大人から見ると、あなたは心配のない大人しくて頑張り屋でいい子だったのではないかと勝手ながら想像しています。また、あなた自身も誰かに相談しようとか、助けてもらおうという発想にはならずに、自分さえ我慢すれば…自分で何とかしなくては…ひょっとしたらこれぐらいで誰かに助けてもらうような価値はないなどと言った気持ちが潜在的にあったのかもしれないと想像しています(違っていたら、すみません)。第三者の私からみると、子どもの頃のあなたは権利や機会を奪われて、成長のために必要な安心や自信、そして自由である感覚を獲得することがとても難しかったと思いますし、必要なサポートを受けるべき存在だと強く思います。だから、友達のお母さんがお弁当を作ってくれたエピソードは読んでいる私もとても嬉しく思いました。
最後の方に「すぐにメンタルにきてしまい」とありますが、心には相当のダメージは相当だと思いますので、すぐにメンタルにきても無理もないことですし、むしろ奨学金を返すため(それだけではな母の借金返済の面倒までみて)にこれまでとにかく働き続けていることにあなたの心身の強靭さを感じています。あなたにはそれだけの力があり、ある種のたくましさが備わっていたのだろうと思います。また、その力が逆境でさらにパワーアップしたのではないかと思いました。ただ、そうしたある種のたくましさはあなたを守ってきた一方で、自分で何とかしてしまうことで、周囲から気づかれにくいという弊害ももたらしたかもしれないと感じています。力はあれば自分を助けるために使えますが、過酷な環境を一人で乗り越えることは孤独で、自分の力で何とかすればするほど孤独が深まっていくように私は思っています。だから、今回こうして書いて届けてくれたことには大きな意味があると思いました。あなたはもう一人だけで何とかしなくてもいいし、ささやかですが経験を分かち合うことができます。あなた自身は「ずっとくだらない身の上話と思っていた」と書いていましたが、あなたの経験は私たちに大切なことを考える機会をくれます。また、同じような経験をする人たちが読んで、「一人ではない」と感じるかもしれません。
最後に、親と言えども所詮他人だと私は思っています。親だから特別に何かしなければならないわけでもないし、どんな気持ちを抱くかは人それぞれだと思います。だから、あなたが父が亡くなったときに抱いた感情は自然だと思いましたし、姉が抱いた感情もまた自然だろうと思いました。母に対して親孝行と思ってお金を渡すことも、一つの選択だと思いますが、心の中で「そんな母の面倒見なくてもいいよ」「親孝行は本当にしたいと思うのなら、してもいいけど、無理をしてまでするものではない」と声をかけたくなる私もいます。家族という存在は社会的にとても特別なものとして理解認識させられていると私は感じているので、付き合い方や心の持ちようは本当に難しく悩ましい問題です。いずれにしても、あなた自身が納得して、心穏やかに過ごせる時間が少しでも訪れることを願っています。
もしも、消化しきれないことがあれば(1度で消化しきれなくても当然かと感じています)また書いてください。いつでも待っています。
感想1
投稿ありがとうございます。
父親からは暴力、母親の家では精神的苦痛を受けてこられたことについて、どちらか片方でも非常に過酷で、逃げ出したくなるような状況だったのではないかと想像します。あなたの場合、父親と過ごすのか、それとも母親家族と過ごすのか、その苦しい選択を強いられていて、その選択も相当なストレスだったんじゃないかと私は感じています。この状況は、もはや極限状態と言っても差し支えないのではないかと感じる程でした。言葉にすることも憚られるような体験だったのではないかと勝手ながら感じ、話してくださったこと自体を労いたい気持ちになります。
あなたは父親が亡くなったという知らせを受け、安心したようでした。裏を返せば、それまであなたはずっと不安に駆られていたということなのではないかと私は思っています。高校以降父親と会うことはなかったようですけれど、父親の身勝手な行動であなたが受けた影響・呪縛は、あなたにずっと残り続けていた(もしかすると今も残っている)のではないかと思えてならないのです。お姉さんはあなたと対照的なリアクションをされたようなので、あなたが自分自身へ疑念を抱いたり、孤独感を覚えるのもうなずけるなとは思っています。でも、安心するという心の動きは自然なものであり、誰かにとやかく言われるものではないと私は感じたということを伝えたいと思います。
もっと言えば、涙が出る時の感情は必ずしも悲しみだけではないと思いますし、大いに感情が動いたからこそ涙が出ない場合もあると思います(そのことは理解されているだろうなとは思いつつ…)。父親が亡くなったことに対してあなたが感じたことには、更なる奥行きがあったりするのかも、なんて思ったりもしました。
個人的に印象的だったのは、つらい出来事の連続のなかでも、祖母(ばあばあ)さんの存在や、高校の同級生がしてくれた涙が出るほど嬉しかったことなど、支えとなった人や出来事が記されていたことです。更に、「過去の色んなことに耐えてくれた自分」という表現もあり、あなたのどこかに、これまでとこれからのご自分を尊重する心の土壌が確かにあるような気がしました。これらの記載のおかげか、私なりにフラットな目線で感想を書けたような気がします。
あなたの体験は、その過酷さゆえにすんなりと消化できるものではないのかなと私は感じます。ですが、これまで1人で抱えてきたこと、消化せずにいた事物をどうにかしようと行動に移されたことは、今後のあなたにも何か変化をもたらすのではないかと、そんな予感もありました。それに、消化しきれないものを吐露できる場があるということを頭の隅に置いておくだけでも何か違ったりするのかなと、勝手ながら思ったりもしました。
またいつでも気軽に吐き出してみてください。では改めて、投稿ありがとうございました。