私の父は思想が強い。そして沸点も低く、何がスイッチになるかはわからない為、兄と陰で地雷や活火山と呼んでいた。
怒る時は大きな声で威嚇して物が飛んでくる程度のものだった。
幼かった私にはとてつもない驚異に感じていたが、愛情はあった。
20年くらい前のある日、父が会社に持っていくのを忘れた水筒が夕飯まで食卓に置いてあった。
夕食時にお茶が飲みたくて、母に冷蔵庫にあるお茶をとってとお願いをした。
そうすると父は私に水筒を差し出して、これを飲めと言った。
私は冷蔵庫で冷えたお茶が飲みたかったし、【父の水筒】に入っているお茶は父のものだと思った。
だから冗談で水筒のお茶を注ぎ「どうぞ^^」と父に勧めた。
その日の晩御飯はカレーで、食べようと下を向いた瞬間、目の前が揺れた。
側頭部の痛みで平手打ちされたことに気がついた。
顔を上げると真っ赤な顔の父が「俺のお茶は飲めないのか!」と激怒していた。
小学生の私には何がそんなに気に食わなかったのかわからなかった(大人になった今でもわからない。)
その後の記憶はない。よく覚えていない。
子供の記憶は全体的に朧げだが、この時の事だけ鮮明に覚えている。
少し時を経て中高校生になってから、自我も出てきた。
父と意見が食い違う事が多々出てきた時、
「あなたの考え方は偏っているよ」「私はこう思うよ」と伝えようとすると、机の下で母が足で小突いてくる。
『これ以上は刺激するな』の合図だ。
私はそれから父と口論しなくなった。口論になりそうになったら、謝罪して話を終わらせるようになった。
大人になった今、同居している父との会話はほぼない。
何を話していいかわからない。
父も歳をとり怒ることは無くなったが、思想の強い発言を修正する人間は家族の中で誰1人としていない。
心の中で「思想強いな、この人」「偏ってんな、この人」と思うばかり。
家に同居している1人のおじさんという認識で愛情は多分もうない。
母は私が女だから、いつか父のオムツを変える時が来ると言うけれど、愛情のないおじさんのオムツを変えれる気がしない。どんな苦行だ。近所のおじさんのオムツを変えるのと同じくらいハードルが高い。
母は血が繋がっていて一緒に暮らしてきたら、愛情が備わるものだと思っているらしい。
大人になってから気がついたことだけれど、私は愛情は注がれた分、蓄えるものだと思う。
私は父に愛情を注がれたと思わなかったし、父との関係修復の場を母は無意識に奪っていたんだと思う。
母も父を怒らせたくなかったのは、わかる。
でも、せめて口論したかった。言いたいことを言って思ったことを伝えたかった。
私は人に言いたいことが言えない。それがいいことでも、悪いことでも。
言いたいことが、ぐるっと頭をよぎっている間に話すタイミングをなくす。
「言ったところで、仕方ないしな」と諦めが入る。
人にこの話をすると「言えばいいのに!」と言われるけど、言えてたら言ってる。
自分のことを人格形成が歪んだ欠陥品のように感じる。
この人生、性格、生きづらい。
今は、不安障害と軽度鬱で休職。
私は多分これからも言いたいことを、飲み込んでお腹の奥の方に溜め込んで生きていく。
仕方なく生きていく。
感想1
経験談への投稿いただき、ありがとうございます。
子ども時代から、父親の機嫌が最優先で、いかに自身の思ったことを表現しづらく、気を張る環境だったのかがとても伝わってきたような気がしました。特に、「父親の水筒」の話は、子どもながらにあなたが父親さんを気を遣っているからこその行動だったのではないかと思うので、怒鳴り、手をあげる父親さんの行動を理解することはできなかったですし、それほどまでに父親さんは易怒的だったことがとても伝わってきました。
そんな中でも、あなたは中高生になってから、自分の意見を主張しようと試みたとのこと。
ただでさえ、気を張る家庭環境だったと思うので、とても発言することすらとてもリスキーだっただろうと思ったのですが、それでもあなたなりに「このままじゃダメだ」という感覚があったのではないかと思いました。しかし、それすらも、母親に止められてしまった…。
きっと、文面から、今でもそれがあなた自身の中で、大きく引っかかっているところなのではないかと私は思いました。そして、それをきっかけに母親さんへの不信感も強まっただろうし、優先して考えてもらっていない、大事にされていないかもしれないという感覚があったのではないかと思いました。そう考えると、大人になった今でも、母親さんの「血が繋がっていて一緒に暮らしてきたら、愛情が備わるものだ」という考えは父親のひどい場面を見てきた同士だからこそ、理解しえない、理解したくない気持ちが湧くのも自然なような気がしました。
正直、私にとっても、ずっと愛情ではなく、怒りをぶつけられ、あなた自身は大変な想いをしてきたのだろうと思っているので、私は血のつながりがあるからといって愛情が備わるものだとは思わなかったです。そして、私もあなたのように、自分が愛情だなと感じられる愛情を受けないとこちらも愛情が湧かないものなんじゃないかなと思いました。
そうはいっても、同居していたら、自分の考えに侵略してくる時もあるかもしれません。今後、あなたがどうしていくかはさておいて、自分の本当の気持ちを伝えられない時、苦しくなった時、ぜひここで吐き出す場所の一つとしてご利用いただけたらと思いました。
改めて、ありがとうございました。