経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

誰かに聞いてもらいたかった話

40代、独身女性、彼氏がいたこともなく、友達もなく、職場と一人暮らしのアパートの往復で、週末は引きこもり。
職場で、人が周りにいること、人と話すこと、電話や訪問者への対応など、人とのコミュニケーションが苦手で、仕事に行くだけで疲れ切ってしまい、家に帰っても何もする気が起きない。
仕事以外の時間を、ネット(SNSの交流とかはしない)やマンガやゲームや通販やお菓子など(20代の頃はリスカとか)、人間以外のものに依存することでなんとか生きているけど、こんな自分、生きている意味ある?
同年代の人間は子育てや介護など、ちゃんと「大人」をやっているのに、家事全般ダメダメ、精神年齢低すぎて死にたくなる。(今は両親が健在だけど、将来が不安すぎる)

私は過去の記憶がほとんど思い出せない。1年程度前のことでも。
そして、時々思い出してしまうのは嫌な記憶ばかり。

小さい頃、家にも、学校にも、居場所が無かった。
朝の集団登校や学校は苦痛で、放課後一人で帰る道中や、本を読んでいる時間が、ホッとできる時間。私は活字を読む事で外の世界をシャットアウトすることができる。

小学2年頃ぐらいから、自分は20歳になるまでにきっと自殺して死ぬだろうなと、ぼんやり思っていた。将来の夢や、やりたい事なんて何もなくて(作文とかには当たり障りなく、なんか適当に書いてた)
でも、結局、自殺は怖くて、信号無視の大型トラックが突っ込んできて、轢かれて即死しないかなとか、よく思っていた。
今なら、安楽死できる世の中になれば良いのに、と思ったりすることもある。
自分でも病んでると思う。

小学生の頃の家族のこと
父:仕事が忙しくてあまり家にいない。お互い口下手でほとんど会話が無かった。
母:体の弱い妹、重度の知的障害者の弟に手を取られて、長女の私はほったらかし。
すぐ感情的になって夫婦喧嘩が多かった。自分の言いたいことばかり言って人の話を聞かないタイプ。
妹:2歳下、人に対して甘え上手、弟の世話もきちんとして両親から可愛がられていた。小学生の頃は喧嘩ばかりで仲が良くなかった。
弟:4歳下、障害のため会話はほぼ不可能。長女の私がちゃんと世話をしなければならなかったのに、上手く接することが出来なかった。それは今もだけれど。

私は親の仕事の都合で、4つの小学校に通った。
転校とクラス替えで1年ごとにクラスメートが変わった。
そして、行く先々でいじめられたり、クラスで浮いていた。
親にも、先生にも、誰にも相談できなかったから、全部一人で我慢していた。
いじめられたのは、私が人と上手く付き合うことが出来ないダメ人間だからだ。
「学校が楽しい」なんて、私には想像の枠外、夢物語だった。
大人になってから軽く確認したけど、母は私がいじめられていたことに全く気づいていなかった。
当時、登校拒否とか誰かに相談とか全然しないで気づかせなかったし、今になっても打ち明けたりはしていないし、するつもりも無い。

幼稚園までの記憶はほぼ無い。
母から聞いた話によると、幼稚園の他のお母さんから、「〇〇ちゃんはいつも一人で遊んでいる」と言われたことがあるらしい。

小学1年、いじめられて泣いてばかりいた。
家に何回も何回も女子からいたずら電話がかかってきた。「なんで学校に来るの、早く死ね」
母は専業主婦だったけど、とある宗教っぽい会に入っていて、昼間は家にいないことが多かった。
黒電話の音は恐怖の対象となり、今でも電話は受けるのもかけるのも苦手。

ある日、いじめっ子の女子3人が私の前に来てニヤニヤ笑いながら言った。
「先生に、友達いないあんたの友達になってあげて、って言われたんだけど」
ダッシュで逃げた。
学校の先生なんて世界で一番信頼してはいけない人間だと強く思った。

2年生、新しい学校。
ある日、上履きを隠されて困って職員室に行き、先生と一緒に下駄箱に戻ると靴は戻されていた。
先生に言われた。「上履き、無くなってなんかいないじゃない。あなたの勘違いでしょう?」
あぁ、やっぱり、先生を頼ろうなんて、信じてみようなんて思ったのは間違いだった。
その先生にはこうも言われたことがある。
「あなたが友達になろうとしないから、友達が出来ないのよ」
そうです、悪いのは人と上手くやれない私です。
先生に好かれるように上手く立ち回ることもできません。

いじめられても、泣かないよう無表情でいるように頑張った。
そうしたら、クラス中から無視されて誰からも話しかけられなくなったけど、その方が直接いじめられることも無くなって気が楽だった。

3年生、クラス替え、担任は大学を出たばかりの男性教諭に。
いじめや無視は、我慢できる範囲内だった。
ある日、男子数人に囲まれて押さえつけられて服を脱がされた。
上は上着だけで済んだけど、下はスカートとパンツを脱がされた。
いじめられても泣かなくなっていたけど、その時は大泣きした。
他にも、周りに数人クラスメートがいたけど、見てるだけで誰も助けてくれなかった。

余談だけど、それまでの私は、普通に女の子が好きそうな服が好きだった。
だけど、スカートが、フリルやリボンのついている服が、着られなくなった。
服の色は黒、茶、青、白系ばかりに、露出の低い服ばかり着るようになった。
それは今も変わらない。
中高生の頃は、なんで女子の制服にはスラックスが無いのかと思っていた。(最近はある学校も増えてきたらしいですね。LGBTの人だけでなく、救われる人はきっといる、良い時代になった)

さっきの続き、誰かが先生を呼んでくれたのか、職員室から担任の先生が来た。
「やったやつも悪いが、周りで黙って見ていた者も悪い」って怒ってくれた。
初めて大人を信頼できた。

放課後、家に帰りたくない私は、教室の教師用の机で仕事をしている先生に、よく膝の上に乗せてもらったりしていた。「しょうがないなぁ、ちょっとだけだぞ」と言われながら。(クラスメートは帰った後で、教室に他の人はいなかった。)
父とほとんど話すことが無かった私は、先生を父親みたいに思って甘えてしまったのだ。
その時は楽しかった。だけど、これは人との距離感がおかしかったのだ。

3年生の終り、転校するので「さよなら会」があった。
私をいじめていた女子や男子が、「さみしくなるね」とか、「新しい学校でも頑張ってね!」とか。
口には出さなかったけど、ムカムカと腹が立った。
今考えると、なんだこのタチの悪い茶番は?! と思う。
私は、あんたたちの非日常を彩る舞台装置なんかじゃない。

4年生、また新しい学校。
記憶はないけど、友達はいなかったと思う。

5年生、クラス替え。
それまで父の職場の職員住宅を転々としていたけれど、はじめて、同い年の女の子が同じ職員住宅に引っ越してきた。
その子も私も、親の引っ越しで転々としている同士。
初めて、誰かと友達になりたいと思った。
一生分の勇気を出して話しかけて仲良くなり、なんと同じクラスにもなれた。

生まれて初めて体験したこと
・誰かと一緒に学校から帰る。道中では楽しいおしゃべり。
・友達の家(と言っても同じ建物内だけど)に遊びに行く。
・友達が家に遊びに来る。
(思い出してみたら、妹の友達が家に来たこともほとんどなかったような? 妹は、私と違って何人か友達がいたと思うけれど)

同じクラスに、たった一人友達がいるだけで、学校生活は苦痛で無くなった。
他のクラスメートとそんなに仲良くなれたわけじゃないけど、いじめられなかった。
今までの生活とのあまりのギャップに、「夢かな? 現実じゃないのかも?」って思うこともあった。
彼女と過ごしたのは1年間だけ、でも出会わなければ、きっと私は人生のどこかのタイミングで自殺していたと思う。

そんな中、ある日、唐突に思い出した。
3年の時の担任は、放課後の教室、膝に乗せていた私の服の上から、プライベートゾーンを触ったりしてた。ウエストの所から下に手を入れられたこともあった。
当時の自分はそれがどういうことか良くわかっていなかった。
でも、思い出したときにはわかっていた。
信頼していた先生に裏切られた気分で、気持ち悪くて、少し男性恐怖症気味だったのがより酷くなった。

6年生になる前。
転校したくないって、親に頼んだ。
初めて出来た友達と修学旅行に行きたかった、だけど、そんな願いは現実には無理だ。

転校先は1学年2クラスの小さい学校、保育園からの人間関係がガッチリ出来あがっていて、5月に修学旅行に行った。ひたすら苦痛でしかなかった。

ごめんなさい、かなり文字数オーバーしたので、ここまでにします。

感想1

 読ませていただきました。仕事と家の往復だけの生活で、思い出してしまうのは嫌な記憶ばかりというのも納得してしまうくらい、小学生の頃の記憶が鮮明に描かれているなと感じました。

 読みながら感じたことを、少し書かせてもらえたらと思います。

 まず家族の中でずっと苦しさを抱えていらっしゃったのかなあと想像しました。障害を抱えている弟や感情的な母親、甘え上手な妹などに囲まれて、家庭内が安心できる場所じゃなかったのかなと思います。その上で、小学校でこんな経験が重なれば、当時20歳までに死んでるだろうなと考えてしまうのも不思議じゃないのかなって感じました。

 それにしても小学生の時に転校を繰り返す辛さは相当なものだっただろうと思います。私は転校をした経験がないので、簡単に共感は出来ないのですが、あなたの文章を読んで想像するだけで苦しさが伝わってくるような気がしました。ひどいいじめや理解してくれない先生の言葉も相当ショックですが、信頼できた先生がしていたことに気が付いた時のショックも大きかっただろうなあと思いました。

 文字数オーバーということで、小学生時代の話で終わっていますが、その後のあなたの人生がどうなっていき、今につながるのか、知りたいという気持ちがとてもあります。それがどうしてなのかはわかりませんが、あなたの文章を読ませていただいて、あなたの人生に興味が生まれてきたのかもしれません。

 小さい頃は活字を読むことでホッとできたと書かれていて、今はネットやマンガ、ゲームなどに時間を使っているということで、それを依存と書かれていましたね。でもその依存が無かったら、あなたはもっと苦しい気持ちを感じていたのかなと想像すると、そうして依存する先があって良かったなあと勝手ながら思ってしまいました。依存や現実逃避ではなく、それが救いであり、あなたにとって大事な時間なのかなって感じます。

 「大人」ってどんな存在なんでしょうかね。子供の頃見てた「大人」や、周りにいる「大人」にいつまで経っても自分がなれない感覚、私も感じます。そういった「大人」といった言葉って、その中身はどこにあるんだろうなんて考えることもあります。

 なんだか私の気持ちを書いてしまいましたね。ただ、苦手なこともたくさんある中で仕事を続け、生き続けていることは、生きている意味になるとは言いませんが、胸を張ってもいいことなのかなあって思ったりもします。

 ここに経験談を投稿したことが、あなたの嫌な記憶や気持ちを整理する手伝いになれれば幸いです。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

冒頭にあった「仕事に行くだけで疲れ切ってしまう」という言葉、勝手に共感してしまいました。仕事は、外部とかかわることが多くなり、人とのコミュニケーションが苦手となればそれに多くのエネルギーを持っていかれてしまい、何もする気力が起きなくなってしまっても無理はないと感じます。

ネットやマンガにゲーム、お菓子などへの依存、そして活字の世界に入ることなどによってご自身を保っている側面があるのかなと感じました。ただ、それは良い悪いということはなく、外の世界がしんどいからこそ、内の世界に入り込むことが投稿者さんの生き方の手段になっているのではないかと考えています。

小学校時代にかかってきたいたずら電話が原因で今も電話が苦手だったり、人を信頼する気持ちが失せるようなことばかり起き、ダメージが大きく残る出来事が多かったのかなと読み取りました(特に、小学3年時の担任に対しては憤りを感じました。それこそ、当時は投稿者さん自身もなにがなんだか理解できていないのに傷つけるようなことをしてきて、心の底からひどいと思います)。

そんなふうなら、周りを頼るとか、そもそも友達を作ろうなんて気持ちにはなれなくて当然だろうと思いました。また、自身の感情を発信しない、気持ちを抑制するほうが傷つかないような状況だったのかなと感じます。

投稿者さんが悪いことはないように思えるのですが、ところどころご自身を責めているような記述があるのが気になりました。投稿者さんは、そのとき我慢するしか選択をとれなかったのかなと想像しそれを歯がゆく思い、さらに投稿者さん自身が尊重されていない気がして、私は悲しく感じました。

最後のほうに文字数オーバーという文言がありましたが、個人的にはこの続きの話もお伺いしたいなと感じました。機会があればまた書いていただけたらと思います。

お返事1

感想ありがとうございました。
「死にトリ」に来たのはつい最近で、ちょうど経験談の募集をされていたので
迷ったのですが、送りました。

いろいろな物に依存していることとか、普段、人には話せないことだけれど
(そんなことを話したら、「お前が悪い」って責められる、と思ってしまうのです)
ここでは、話すことが出来て良かったです。

でも、送ってからも
「世の中にはもっともっと大変な人が沢山いるのに、自分みたいな人間がこんな自分語りみたいなこと送ってよかったのか」
「やっぱり、自分なんかが経験談なんて送るべきじゃなかった」とか、ちょっとしんどかったですけど
でも、自分の書いたことに対して、ものすごく真摯な感想をいただいて
話を聞いてもらえたって、ちょっとほっとしたし、ちょっと泣けました。

本当にありがとうございました。

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