経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親の愛情って何?

鬱を再発して二ヶ月半。
薬飲んでちょっとずつ出来る事が増えてきてました。
母は心配してくれて治療費を
送ってくれましたが
定期的に「元気になった?」と電話をくれるんだけど その後父の悪口 親族の悪口を1時間半くらい聞かされ次の日は気分が落ちてしまい自殺未遂をしよう思いました。主人に未遂を発見され
次の日病院へ。私の精神やはり
悪化してしまい強い薬と薬も増えてしまいまた1から体調を戻さなきゃいけなくなりました。
母が子供に対する愛情って何?
愚痴を聞かされているのは
50年以上。私は洗脳されていました。眠剤も強くなり朝 起きると手術後の麻酔後に近いくらいに
フラフラして真っ直ぐ一人では歩けません
親が子供に対する愛情って
一体 何ですか?
子供は親に逆らえないし
自分の人生何だったんだろう?

感想1

素直で率直に感じているようなタイトルでありながら、そこに対する確かな疑問や言葉にならない気持ちのようなものが込められている気がして、引き込まれるように読ませていただきました。

私自身も両親の不仲からくる家庭不和によって、親が双方に言い合う愚痴を(まるでゴミ箱にゴミを投げ入れてくるかの如く)ひたすらに聞かされ続けてきたので少なからず自分の成育歴と重なる部分がありました。

全く別の要因にしろ何にしろ、鬱を患っている状態はそれだけで心身共につらく苦しい状態であるかと想像しますが、加えて、まるでそれ自体が会話の目的であったかのように、親や身内への批判的な言葉を何時間も聞かされることはたとえそれが自分に向けられたものではなくても相当に参ってしまうように思えました。

治療費など金銭的な部分も含めて、連絡をくれるということは確かに親としての心配という意味合いもなくはないのかもしれません。しかし、ともすればそれは「これだけ心配しているのに」と相手の余力や気持ちを考えずに、半ば強引に自分のつらさの受け止めを投稿者さんに強要しているような気がしますし、「(心配されている手前)無碍にすることもできない」といったように操作的なコミュニケーションや愛情になっているとも言える気がします。

それは鬱である状態であるならなおさら影響や負荷を受けるような気がしますし、せっかく持ち直していた体調を崩して死にたい気持ちを抱えることになるのも無理のないことのように私には思えます。

「親と言っても所詮は他人」とは思いつつも、親とのしがらみの難しさは(私自身も経験してきたように)どうしてもあるように感じます。それは、物理的にも精神的にも離れていても何かしらの影響が少なからずあるものだと思いますが、(文章の内容から今は離れて暮らしていると読みとったのですが合っていますでしょうか?間違っていたらすみません。。)もし、物理的な面だけでも距離がとれているなら、完全に断つのは難しいかもしれませんが、親御さんの求めるものに全て応えずに少しだけでも距離をとってみつつ、まずはご自身の体調を最優先にしてもいいのかなと勝手ながらに思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

確かに「親の愛情」って何なのでしょうか。私はそんなものはないような気がしています。ただ、一般的にはそういったものが当たり前にあって美しいもののように思われている節があると感じて、私はモヤモヤします。あなたの経験談を読み、あなたは母との関係をめぐり、二重の苦しみを感じているように感じました。一つは実際に母の態度から受ける苦しみです。表面的にはお金を出したり、電話をくれたりしているものの、50年以上愚痴を聞かされているというのはかなり苦しいことだろうと思います。子どもは親を簡単には拒否できない関係性にあると私は思っています。特に子どもの頃は依存しないと生きていけない存在のため、親を拒絶することは非常に難しいですし、逆に機嫌をうかがうことが必要となったり、支配や搾取をされやすい弱い立場になりがちだと考えます。だからこそ、50年以上愚痴を聞き続けた関係性には相当の負担があったと思います。
そして、もう一つの苦しみは「親の愛情」という呪縛からくるものです。あなたが愚痴を聞かされ続けた相手が親ではなければ、さっさと逃げることができたのではないかと思います。でも、相手が親となると逃げるのは冷たいことだとか、いけないことだと思ってしまいます。そこには親は子どもに対して愛情があり、子どもは親に感謝すべきという見えない規範の影響があるように思います。そうした規範があなたを苦しい環境に縛り付けたように思うのです。そして、治療費を出したり、電話をかけてくることが愛情ではなく、打算や利用であったとしても、「親の愛情」という解釈されてしまうことも多く、そうした援助に見えるような行為に対しても嫌だと思ったり、距離を置こうとすることへの罪悪感も生じてしまうように思います。
私はあなたが「親の愛情」という呪縛から解放されてもいいのではないかと思います。母親があなたにどのような気持ちを持っているかはさておき、あなた自身が負担と感じているのであれば、距離を置く、断ることもありだろうし、心の中であれば強く拒絶する言葉や「なんなのさ」と吐き捨てることもいつでも自由だと思います。経験談からうっすらと「なんなのさ」というあなたの声が聞こえてきたように思えたので、あなたの気持ちを尊重し、支持したいと思っています。また、いつでも伝えたい気持ちがあれば、届けてください。

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