経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通の暮らしを知りたい

誤字脱字や長文なので変な文になってるかもしれないですがこんな自分を認めて欲しくて書きました
私は2年前から今も人間関係などで不登校になり、ろくに学校にも行けず家にひきこもってずっと眠っている日々を送ってました。ずっと眠っているから母から心配されて総合病院など精神科にも行き、睡眠障害、適応障害、中度のうつ病が発覚して自分が自分じゃないような感覚で毎日不安や学校にも行けない自分に情けない感情も持っていて遂にはアムカ(自傷行為)もしました。生きる希望がないです。私は過去に1度だけ死のうとしたけどうまくいかず今を生きてます。すごく辛いです。学生という貴重な時間を潰してしまって勿体ないと思います。そんな自分にストレスです。やっぱりあの時死ねなかったのが原因だと思ってます。今生きていてもつまらないと思ってます、学校に行っても友達がいません。周りの目が痛いです。体育も半袖なので自分の腕を出したくないです。周りの子はアムカもせず普通の暮らしをしているはずなのに私だけアムカをして学校にも行けないので惨めになってきます。この先の未来も全く見えないです。母も高校は無理だろうねって失望されてます。生き方すらわからないです。でも皆に認めてもらいたいって承認欲求丸出しでほんと無理です。私は死ぬべきか生きるべきなのかどうすればいいですか。参考にさせていただきます。

感想1

タイトルにある「普通の暮らし」ってどういうものなんだっけ…と思いながら読み始めました。読んでいて、あなたが思う、あなたの年齢での「普通の暮らし」は、自傷の必要がなく、学校に毎日通っていることなのかなと思いました。そして、その暮らしと今の自分とのギャップが大きくて、とてもつらい気持ちがあるのかなと想像しています。
私も学生時代リスカやアムカをしていて、学校にも行ったり行かなかったり不登校になったりで、精神科に通ったりしていたので、「普通の暮らし」は知らないようで、その私が感想を書いているのでなんだかごめんなさいという気持ちです。
ちなみに私はもうずいぶん大人ですが、多分私の年代の「普通」というか、多数派の暮らしからも外れているように思います。ただ、学校にいくことが大事ってわけでもないなぁと大人になった私は思います。もちろん、しんどい気持ちなんかなければないほうがいいとも思うし、アムカしなくてもつらくないなら、そのほうが楽なのかなと思います。
ちなみに、私は自傷行為は、苦しさをほかにどうすることもできないときの、手段のひとつだと思っているので、やめないといけないとも思っていないです。ただ、「自分の腕を出したくない」とあなたが書いているように、私も体育や夏になると困っていた記憶があるので、悩みがふえてしまう側面もあってむずかしいなぁと思っています。
私の周りでも、10代のころ、高校に行っていなかったり、途中でやめていたりした人はいて、それもひとつの暮らし方だと思います。「家にひきこもってずっと眠っている日々」も、疲れ果てていたあなたには大事な時間だったのだろうと思います。
考えているとだれかと比べてしまってしんどくなることもあるとは思うのですが、意外と「普通」じゃないまま生きることは全然できるし、そのまま大人になって生きている人は身近にもいることを伝えたくて、いろいろ書いてみました。
普通かどうかはわからないけれど(多分実は普通というのも曖昧なものだと思います)あなたにとってほっとして過ごせる暮らし方がみつかるといいなぁと願っています。

感想2

あなたが認めて欲しいと思っている「みんな」は誰で、”どうして”認めて欲しい気持ちがあるのだろうと私なりに考えながら感想を書いています。
自分が自分じゃないような感覚で毎日を過ごすのは苦しいだろうし、どこか違和感もあって、心身共に落ち着かないような…そんなしんどさもあるように思いました。情けなさや不安な気持ちが自傷行為へとなっていくのも、あなたにとってはまた大きなストレスでしかなく、一瞬でも楽になるような感覚はもしかしたらなかったりするのかなぁと想像しています。「学生という貴重な時間を潰してしまう・母から失望されている」と書かれていたところからは特に、悔しさや悲しさ、許せないような気持ちも伝わってきた気がしました。これは読みながら私が勝手に感じたことなのですが、自分を一番認めたいのは本当はあなた自身で、今のこの時間やこれまでのことに対して、納得したい…そんな気持ちもあったりするのかなと思いました。
あなたの中で、仮に、ぶわっと湧き出るようなつらさが自傷行為に向くとしたら、自分のことやこれまでのつらさ、今の苦しさ、承認欲求などを一つ一つ味わってしまう(考え込んでしまう)つらさは、こうやって文章化する方へ向くのだろうか…と考えました。
その承認欲求やつらさをほんの少しでも紛らわす手段として、ブログやSNSなども含めた方法で外に書き出す、自身のつらさや経験、考えを自由に発信してみる…というのが、死ぬべきか生きるべきかではなく、第三の選択肢としてあるんじゃないだろうか・もしやあなたに向いていたりしないだろうかと私は思いました。(参考に…と書かれていたのでついアドバイスめいたことを言ってしまいましたが、もう既にされていたらすみません。)
勿論ここでも、またいつでも書き込んでみてください。投稿ありがとうございます。

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