普通。この言葉を皆様はどう感じているのでしょうか。
普通 や 一般的 というのはその人、個人の経験や価値観をもとに出される統計的な意見だと私は思います。
個人によって違うそんな普通の枠に当てはまらない人間は 変人と呼ばれたり、変わることを促されたり、強制されます。
ですが、普通は個人によって違うので、普通など元々あってないようなものだと私は感じています。
普通 この言葉が私の人生に多大なる影響を与えてきました。
幼少期から今まで、なぜ普通になれないのかと聞かれたことや、気にし過ぎだよ普通はそんなに気にしないわ と言われた回数は数え切れません。
時には病気ではないのか?と聞かれたこともありました。
では普通でない私はどう生きてゆけばいいのでしょうか?
もともと普通ではないので正解が分からないのです。
普通の枠に当てはめたい人たちは、逐一 普通 を教えてくれるわけではありません。
普通のあり方、生き方を教えてくれるわけではありません。
普通でない私は一般的な大人のように生きていくことはできないのでしょうか。
どんなに頑張っても精一杯やっても、やっとマシになるだけで、普通にはなれないんだと感じる日々で不安です。
ただ生きているだけで辛いです。とても苦しいです。精一杯なんです。
同じようなことを感じてる人が居たら私も少しは心が楽になります。
そんなあなたも頑張って生きてくれていることがありがたいし私も少し頑張れます。
安心できます。
そんな思いで書かせていただきました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
普通
感想2
世間一般や社会通念的に言われる(使われがちな)「普通」から外れに外れ、今もなお、おそらく「普通ではなく」漂うように生きている私としては、タイトル、内容ともにとても考えさせられるものでした。
「普通」という言葉自体は「ごくありふれたさま」という意味を指しますが、なんてことのないという言葉の意味合いの雰囲気とは裏腹に、その言葉がもたらす影響はあまりにも大きいように(投稿者さんが抱く疑問のように)私自身は感じています。
私自身も幼少期、青年期を過ぎ、成人してその後に至るまで何かと聞かされる(言われる)ことが多かったですし、今でも(特に30を過ぎて最近は)よく考える言葉ではありますが、言葉の持つなんてことのない凡庸さのようなイメージとは違い、実際には目指すべき、もしくは当たり前のように前提として備えておかなければいけない“絶対的な何か”として、人を選民(これは表現が強いかもしれませんが…)するようなものに思えてなりません。。
もちろん、「そこに至れば」・「それを持ち合わせていれば」一定の何かや安心を得られるという意味で考えればその全てが悪いものではないのかもしれませんし、そこを目指すことによって、生きていく中においてでは個々人の不安定さを取り除いてくれるものでもあるのかもしれません。しかしながら、実際にはまるで社会や集団の総意として、自分自身がそこに入れないということを突きつけてくる存在になり得てる気が私としては感じます。
ですが、「普通が何かであるということ」「(おそらく)自分が普通ではないこと」について意識を向けた時、(そもそもが普通を定義づけられるものではないと思いながら)「自分が普通になりたいのか?」と考えると、「そうはなりたくはない」とどこかで思ってしまう私がいます。それはおそらく、(投稿者さんが書かれているように)「個人の経験や価値観をもとにした“個人によって違う”普通」ではなく、「総意や無意識に押し付けられる概念としての普通」を私自身がとても窮屈に感じているからだと思います。
私の場合は投稿者さんとはまた考えもスタンスも違うのかもしれませんが、「普通」を求めつつ、それに染まらずに心のどこかでそれを否定したい、その矛盾を抱えながら投稿者さんが考えているように自問自答している気がします。「普通」と「自分の普通」とのバランスや付き合い方は直ぐに見つかるものではないのかもしれません。しかしながら、何かしらの答えやきっかけになるようなものが(お互い)に見つかるようにこれからも考え続けていきたいなと思いました。
投稿ありがとうございました。
感想1
私自身、社会や周りからの「普通」の押しつけに辟易しながら生きてます。
学生、社会人として普通に生きれていない、普通の考えではないなど散々な言われようで、これは「普通」という言葉の暴力か?と思い、感じることが多々ありながらも「自分の中の普通」を探しています。
普通をよく使っている人たちに「普通とは?」を聞いても自分が納得できる答えが返ってきたことは無かったです。ほとんどが「みんなと同じように」や「学校で学んだでしょ」などの曖昧な答えばかりでした。そもそも学校は普通の定義を教えてはくれないし社会も教えてくれない。答えの代わりに線を引かれるか、のけ者にされるかが定番。私は、そんな現実に嫌悪感を抱きながら反発することで自分なりの生き方を模索してきたのだと振り返ります。普通という枠に入れない、入りたくないと思う人たちの色んな考え方、生き方を尊重し合えること、社会や誰かの普通の押しつけのない世の中が「普通」になってほしいなと思っています。
私はあなたに「あなたらしく生きてほしい、あなただけの人生なのだから」と伝えたいです。そして同じように感じている同士(勝手にすみません)がいて心が少し軽くなったことも添えさせていただきます。文章力、構成も普通にはほど遠く読みづらい点ご容赦ください。