経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

子供を産む罪

小さい頃から家族仲がとても悪く、毎日のように怒鳴り合う両親、父は家族に無関心、母はヒステリック、人格否定、兄の家庭内暴力、の中で育ってきました。
物心ついたときから常に早く死にたいという思いをもって生きてきました。
このような家庭で育った子のほとんどは生き辛さを感じてると思います。厄介なのは歳を重ねるごとに生き辛さが増していくこと。
子供の頃は見てる世界が狭かったので、これが普通という感覚だったのだと思います。ただ社会にでて色んな人との関わりが増えたことで自分の家庭の異常さを実感し、また傷つくの繰り返し。

その上社会は、働けど働けど国に吸い取られ、生きる気力も奪っていく。
唯一の家族である愛犬がいたのでここまで頑張って来れましたが、もうその愛犬もおらず、今は39歳までにやりたかったことを消費して早く時が経たないかと待つ日々です。
40になったら介護保険料も取られるし、これ以上国の馬車馬になるのも御免です。

最近常々思うんです。自殺するより子供を産む方が罪なんじゃないかって。自殺を世間はあまりよく思ってないですが、私は悪いことだと思いません。だってそこまで精一杯生きたことに変わりないから。

そんなことよりも最終的に痛い思いや精神的につらい思いをすることが多い人生で結局死ぬのになぜ皆子供を産むのか理解できないんです。
私は心から思います、産んで欲しくなかったと。

家から逃げたくて齢20前半に住宅ローンを組み(愛犬が2匹いたので賃貸借りられず)、母親と一緒に家をでましたが、幼少期から母親との相性もとても悪く。
当時は手取り17万前後でしたが、ほとんどの生活費を私が賄い母親に払っていましたが、渡すたびに少ないと言われる始末。他にも多々ありますが、性格や考え方も正反対なので一緒にいるのが苦痛で仕方ないです。
諸々の事情で離れて暮らすこともできず、今はとにかく39歳までに母親より早く死ぬことしか考えてないです。

幼少期から不眠もあり、早く病気になって死なないかなとずっと思ってますがそういう人に限ってならないんですよね。笑

とにかく今はやりたかったことを消費して、毎日ギリ生きてます。
死んだらこの家族との縁が切れますように。
もう二度と何者にも生まれ変わりませんように。
私の家族は愛犬だけ。早く愛犬たちに会いたいです。

長々とすみません。
この場を設けてくださってありがとうございました。

感想1

タイトルは「子供を産む罪」とありますが、「産んで欲しくなかった」が核心部分なのかなと私は感じました。あなたのこれまでの人生の苦しみを考えると、生まれたくなかったと強く思うことも無理もないと思います。そして、誰もが生まれたくて生まれるわけではないので、生まれてきた後に与えられる環境によって、与えられる権利や奪われる権利がかなり異なる状況はとても理不尽だと思います。
その理不尽さを幼い頃から実感し、絶望の中にいるあなたが、愛犬には心を許していた様子が印象的でした。犬には他の動物と違い、人間と心を通わせる特別な性質があるときいたことがあります。トラウマのセラピーとして有効であるという調査結果もあると聞きました。おそらく、愛犬と過ごした時間はあなたにとっては苦しみからしばし離れられるような貴重な時間だったように想像しています。そして、「そういう人に限ってならないんですよね。笑」という表現や「やりたかったことを消費」する様子からも、あなたが苦しみや諦めの中にあっても、固有のたくましさやしたたかさのようなものも感じ、人柄が伝わってくるように感じています。そんなあなたらしさが垣間見えるからこそ、いろいろな事情があるとはいえ、折り合いの悪い母との同居が続いていることに勝手ながら歯がゆい気持ちになりました。
あなたが、あなただけの城で再び愛犬と過ごす暮らしが訪れることはないのだろうかと想像しています。そんな未来は簡単に訪れないかもしれませんが、その姿をイメージしてしまう私がいます。
やりたかったことを消費しながら、ギリ生きる生存戦略を私は応援したい気持ちです。

感想2

投稿読みました。長い年月をかけて積み重なってきた生きづらさが強く伝わってきました。幼少期から家庭内に安心できる居場所がなく、むしろ怒号や否定、暴力といった空気の中で育ってきたことは、人としての土台に大きな影響を与えるものだと私は思います。その上で社会に出ると、自分の家庭が「異常」だったのだと突きつけられ、守ってもらえなかった痛みを抱えたまま外の世界に立ち向かうのは、想像を超えるほどの消耗を伴うのだと、私自身もあなたと全く同じというわけではないですが両親不仲で怒号が飛び交う家庭で育ってきたので実感として思うことです。「厄介なのは歳を重ねるごとに生き辛さが増していくこと」という言葉に思わず、「本当にそう」と強く頷いてしまいました。
「子どもを産むことの罪」について、確かに、生まれてくる子どもに選択権はなく、誰もが必ずしも幸福な環境に恵まれるわけではなく…それでも社会は産むことについてどちらかというと“良いこと”(生命の存続という意味では当然のことなのかもですが…)という前提に立ちがちで、私もそこについては色々と思うことはありますが、罪かどうか、あるいは産むこと自体を否定的にとるというよりかは、育てる側も含めて支援がまだ不十分なところがあって、その在り方に十分な目が向けられていない社会の仕組みに問題があるように私は感じています。例えば虐待や貧困、機能不全家庭といった現実は決して少数の話ではなく、「生まれて良かった」と絶対思わなきゃいけないとは思ってはいませんが、少なくとも生まれてしまった以上、少しでも安心して生きていける社会をどうつくるかという問いが、この社会ではもっと真剣に議論されるべき課題ではないか…と改めて考えたりもしていました。
また、お母さんと暮らし続ける中での摩擦も、幼少期からの関係性が尾を引いているように感じます。経済的に支え合わざるを得ない状況が、お互いの相性の悪さや過去の確執をさらに浮き彫りにしているようで、こうした「逃げ場のなさ」は、機能不全家庭から抜け出そうとする人々に突き付けられてしまう苦しさでもあるなと思いました。住まいや経済的なこと、親子関係に縛られず生きられるための仕組みが整わない限り、“自分の人生を始められない”まま苦しんでしまう現状を考えると、あなたが「母親より早く死ぬことしか考えていない」となるのも無理もないことだなと思う一方で、「死んだら愛犬たちに会いたい」という言葉の裏から、唯一自分を無条件に受け入れてくれた存在への深い想いがあるように見え、どうにかあなたがあなたでいられる暮らしが実現しないかな…と思ってしまう自分もいて何とももどかしい気持ちになってしまっています。
きっと「生まれたくなかった」「産まないでほしかった」というのがあなたの心の根にある切実な声だと私は受け取りました。日々、ギリ生きていくことに変わりはないかもしれませんが、こうして正直な思いを(と、私はここに綴ってくれたのかなと捉えています)言葉にすることで多少でもあなたの中で何かが違うのであれば、またいつでも死にトリを訪れてほしいです。

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