経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何が楽しくて生きるの?

自分は今年30歳になります。
学生時代はキラキラとまではいかなくとも友達も付き合ってる人もいて、それなりに楽しく過ごしていました。
大学も卒業し、新卒で入った会社も最初の2ヶ月は社会人として頑張ろうという気持ちで研修という形ですがしっかり勤めていました。
しかし、研修が終わり配属先が決まって実際に働き始めた際、所属先の雰囲気や、仕事量の多さなどによって体力や精神力がついていかず休みがちになりました。
新人なのにこんなにやらせてどうするの?という気持ちしかなく、休むときも最初は連絡していましたが罪悪感もあるのに徐々にその連絡さえもできなくなり無断でサボったりしてしまいました。
実家から勤めていたのですが休みがちなことを親に言えず、仕事に行くフリをしてひたすら車を運転したりカラオケに行ったり友達と遊んだりしていました。
そのようなことを2ヶ月程していたときに職場から家に電話がいき現状が伝えられました。
親は当然、怒りと同時に悲しみも感じたはずです。話し合いの結果、その職場は自己都合という形で退職することになり、精神科に通うようになりました。
退職してから半年程経ち、リハビリも兼ねて近所のスーパーでパートという形で採用してもらい働き始めました。
それ以降順調に働いており精神科に行く頻度も減りここ5年は全く通ってなかったのですが、リハビリという形だったにも関わらず居心地が良くパートのまま7年も働いています。
この期間中に正社員になることを考えたことは何度もありますが、以前のように正社員になることのトラウマがあったり自分ができることはいまの職場以外で何もないかもと思って動けないのです。
人と話すことも苦手で、面接をしても話せるイメージが湧かずアピールポイントもないので働けるところ(働きたいところ)が未だにわかりません。
現在の職場で正社員になる話も今年あったのですが、やはり面接をするという段階で適当な理由をつけて逃げてしまいました。
もうすぐ30歳になるのに、中身も実力も何もない自分ができる仕事ってなんだろう。自分は何のために生きているのだろう。パートとしては働いてるが未だに実家にいる自分は親にとってどんな存在なんだろう。ということが常に心の中にあります。
性格は真面目や頑張りやと言われるので人から見たらうまくできてるように見られるのかもしれないですし、自分でもその性格は間違ってはいないと思いますが、むしろその性格が色々と邪魔をしている面もある気がしてて、自分では自分のことを肯定できるところはありません。
こんな自分の現状を素直に言える友達は誰一人いませんし、自分を素直に話せないなら関わりも持たなくていいやと全員の連絡先を消してブロックしてしまいました。そして友達が誰もいないことを親に言うこともできません。自分のせいですが、何もかもうまくいってません。
どんな仕事でもいいから頑張って面接を受ければいいというのはわかってますが、それができたらここにこんな話を書いたりしてません。
死ぬのは怖いので死にたいまでは思わないですが、とにかく虚無の中で生きてます。何のために生きればいいかわからないです。

感想1

文章を読ませていただいて、変化を求め考え続ける渦中にいながら、なかなか思うようにいかずもがき苦しんでいる投稿者さんのやり場のない気持ちの一端を垣間見させていただいたような感覚を抱いていました。

私自身、20代を無職とフリーターを往復しながら過ごしていたので、現状に対して出来ることへの限界やその選択肢の狭さ、未来への不安や焦燥感、自分は変わらない(変われない)のにどんどんライフステージが変化していく友人に会えなくなっていき人間関係も離れてしまうなど、投稿者さんが今感じている様々な感情や気持ちに駆られていたように当時を振り返っても思い出します。

今の社会には何かと「もう社会人なんだから」と言わんばかりに、こなすこと、無難に卒なく人間関係を築くことなどが求められがちな気がしますが、新卒で入った会社でまだ学生でいる間でのタスク処理や人との関わり方しか身についていない状態でそれを求められるのはあまりにも酷な気がしますし、個人的にはとても疑問を感じてしまいます。(ちなみに私はそういったことを考えてしまって就活をドロップアウトしてしまいました。。。)

「いつまでも学生気分じゃダメだよ」といった感じで会社や社会が強いてくるなら、学生から社会人へ徐々に移行していくかのようなフローやフェーズがあるのが自然な気がしますし、そうでないなら個人の火事場のクソ力頼みになってしまい、投稿者さんのように精も魂も尽き果てて、行けなくなってしまう・辞めてしまうようになることはある意味自明の理であるように私には思えてなりませんし、後に抱えるトラウマになりかねないように感じられます。

ただ、そういった体験をしながらもリハビリを兼ねてとはいえ再び働きだしたことは投稿者さんの中で「働く」ということから逃げたくなかった部分もあるのかなと想像しつつ、居心地がよかったとしてもそれだけの長い期間続けられていることは誰にでもできる容易なことではないように私には思えましたし、雰囲気がいいというのもそれは投稿者さんの真面目や頑張り屋という人間性が周りに伝わっているからこその人徳であるようにも感じられました。

多種多様な働き方・生き方がある中で「続けていくこと」「これは出来ると思い自分の日常に落とし込んでいくこと」は中々に難しいことだと私自身は思っています。そんな中で居心地がよく続けられているからこその今の投稿者さんの苦しみや虚無なのかもしれませんが、もしかしたらそれは(実際に正社員の話がきたとあるように)少なからず人生や日常のフェーズが変わろうとしているからゆえのことなのかもしれないと感じた私がいます。(プレッシャーをかけるなどといった意味ではもちろんありません)

人にはホメオスタシスとトランジスタシスという今を維持しようとする力とそれを変えようとする力があり、その矛盾するふたつの性質を持っている生き物が人間です。今ある恒常性を保とうとすることも、そこに不安や疑問を感じ変化させようとすることも、どちらが正しくどちらが間違いということではないと私は思います。

留まること、一歩踏み出すこと、もしくは今の自分には思いもつかないことに身を投じること、それらはすぐに自分の中に答えを見つけられるものではないのかもしれません。ですが、(私が30を過ぎてようやくちょっとだけ地に足を着けられるようになったように)日々を紡ぐ中で投稿者さんの中に今よりもほんの少しでも輪郭が見えていってほしいなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

投稿を読ませてもらいました。
社会に出てその現実に圧倒され、こんな風に生きて行かなきゃならないの…?と絶望したのかも・・・私があなただとして想像した時にそんな気持ちになるかもなって思いました。最初の職場ですから雰囲気って大切だと思います。これからの人材を本人のペースに合わせて育てられないのは会社にとって損失でしかありませんが、大切に育てる余裕も会社に無かったのですかね。その後もつづくトラウマを抱えたということですからあなたにとって人間関係や仕事の負担感が刻まれたように私には思えました。
スーパーの業種や職場の雰囲気、ペースがあなたには合っていたのかもしれません。穏やかに過ぎた5年だったのだろうと思います。本来のあなたがどう生きたいのか考えた時に、もう少しこのままというわけにはいかないのでしょうか。少し焦りも伝わってきました。
読んでいて私が大きく頷いたのは“自分を素直に話せないなら関わりも持たなくていいや”です。とても共感しました。本当に人間関係というのは面倒でしかないって思うことがあります。
さらに気になったのは“虚無の中で生きている”あなたの感覚です。パートの仕事は安定していて、周囲も認めているようですがそれでもあなたの中で自分を肯定する感覚や手ごたえ、自信みたいなものが埋まったり詰みあがったりはしていかない理由はなんだろうって聞いてみたくなりました。それとあなたにとっての親はどんな存在なのかについて知りたくなりました。親の期待に応えるとか、悲しませたくないとか…親の存在はあなたがあなたらしく生きることに何らかの影響を与えていそうな気がしました(違ったらすみません)
何のために生きているのか…私も考えてみましたが、自分の中に言葉がみつかりませんでした。私の場合は虚無感と違うような気もしますが、殺伐とした感覚があります。誰にも言えない気持ちをここに置きに来てくれたからこそ、私も自分自身を振り返る時間をもらいました。

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