小学生時代にいじめを受けました。
特に男子から容姿について言われたことが辛く、今でもその場面を鮮明に覚えています。
それまでは活発な性格だったのですが、いじめがきっかけで自分に自信がなくなり、自己肯定感も低くなりました。
学生時代も男子から容姿のことを言われ、さらに自信がなくなるのと同時に男性不信に陥りました。
私の夢のひとつに、誰かと結婚して穏やかな家庭をつくるというものがありました。
男性全般は信じられないけど、中には私と共に歩んでくれる方がいるのではないかと思っていました。
ですが、私に近づく男性は都合の良い女だと利用したり、振り回したりする人ばかりでした。
中には肉体関係だけ求めてくる人や既婚者もいました。
そんなことが続き、もう私の夢は叶わないのではないかと絶望し、男性に対してさらに不信感を強めてしまいました。
周りにはお付き合いをされている方、結婚をされた方がいて、どうしてそんな関係になれるのか不思議でたまりません。
私にとっては愛し、愛される関係がすごく眩しく見え、私がいくら手を伸ばしても届かないもののように思えます。
私も誰かを愛したかったし、愛されたかった。
もっと可愛く生まれていれば、もっと明るい性格で生まれていればこんな人生にはならなかったのかなと考え込んでしまいます。
世の中大事なのは中身だと言われますが、容姿が整っていなければそのステージにも立たせてもらえないと最近は痛感しています。
この先誰にも愛されず、孤独に生きていくと思うと、辛くてたまりません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
愛されたかった
感想2
どうしようもない孤独感に打ちひしがれているあなたを想像し、胸が苦しくなりました。自分は自分として暮らしている中で、身に覚えのない突然向けられた悪意ある言葉。どんな処理をしたって、自分を納得させられる理由は無く、こんな私なんかと自分に矛先を向け男性だけでは無く自分不信になってしまったそんな印象を持ちました。そして辛い経験をしながらも、愛し、愛される関係を模索し思わぬ形でまた傷つけられ絶望してきた。日常での何気ない時間も、起こる出来事も、無意識的にあの小学生の頃の場面と結びつけ心の傷はあなたの中でどんどん広がり、いつも膿みズキズキという痛みに苦しめられ、可愛くないから愛されないという自分の中での方程式を完成させていったように感じました。書かれているどの場面を取っても、あなたに非は無く、言葉や振る舞いで誰かを傷つけることは許されないと強い憤りを覚えました。
可愛い、きれい、若い、新しいなどが最も価値のあることとして、これだけ世の中で発信されているのですからそれはそうだと思いそうになる半面、受け手側によりその判断もまた変わっていき、その価値基準は不安定で気まぐれなように感じます。愛されることを求め、またあなたが誰かの価値によって傷つくことが心配です。他者から傷つけられた自己肯定感を、自分を愛するということで手当てできたのならば。自分自身を愛し愛し返すことで、「愛したいなら勝手に愛して」と、そんな言葉がふいにでるかもしれない。あなたは誰かから傷つけられていい存在では無いと、大きな声で叫んでいる私がいます。投稿いただき、ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。幼い頃から積み重なってきた容姿に関する言葉の傷が、今も深く心の中で疼いているようなそんなイメージを抱きました。小学生時代に男子から外見をからかわれた経験は、一時的なことではなく、その後の自己肯定感や人との関わり方にまで大きな影響を及ぼしているのだろうと感じます。本来なら子どもが安心して自分を表現できていいはずの学校という場が、容姿を笑われる場所になってしまったことは、とても理不尽で、そして孤独を強いられる経験だったのではないかな…と想像しています。
その後の過程でも繰り返し同じように外見を指摘されることで、“また自分は否定されるのではないか”という不安が積み重なり、次第に男性そのものへの不信につながってしまったことが切実に伝わってきました。心の奥には「誰かと穏やかな家庭を築きたい」という夢があるのに、実際に関わってきた男性の多くが一方的に利用したり、誠実さを欠いていたりしたことは、信じたい気持ちを裏切られる連続でもあったのだと思います。愛情を求めて差し出した思いが軽んじられるたびに、やはり自分は…と感じてしまうのは無理もないことだと私は思います。社会の中には「中身が大事」と言葉では言いながらも、実際には容姿や第一印象によって決めつけられることが多い現実がありますね…。その不公平さを肌で感じてきたからこそ、「容姿が整っていなければそのステージにも立たせてもらえない」という切実な実感が生まれていて、周囲で誰かが自然に恋愛関係や結婚をしていく姿を目にするたび、自分だけがそこから取り残されているように感じることも、さらにあなたを苦しくさせているように感じました。
自分の存在そのものを否定的に振り返らざるを得ない気持ちは、あなた自身の価値を失わせるものではなくて、むしろ社会が容姿や性格の一部に過剰に重きを置くことで生まれてしまった視線の結果だと伝えたい気持ちになりました。
「否定されてきた記憶」と「愛されたいという願い」のせめぎ合いがきっとあって、その両方に引き裂かれる苦しさがあるのだと思いますし、誰かと結婚して穏やかな家庭を持つという夢を持つに至った背景が書かれていなかったので想像しきれないところもあり、あなたの気持ちを軽んじている(もちろんそんな気は決してないです)ように聞こえてしまったら申し訳ないのですが、人生という大きい括りで見た時、「結婚すること」だけが全てではないんじゃないかというのか、あなたにとっての人生あるいは幸せの形って他にもあっていいはずだと私はどうしても思ってしまうのでした。ただ、個人の性格や努力ではなく、社会の中にある偏見や構造的なまなざしが、人生にここまでの影響を与えてしまうんだということを改めて考えさせられましたし、あなたの声は社会にもっと知られるべき声の一つだと私は感じました。また死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。