経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

本心が「消えたい」なら躊躇なく消えようと思う

とても長くて支離滅裂。
段々と自分が分からなくなったイメージ。
始まりなんて覚えてなくて、気づいた時には何がしたいのか、何が好きで何が嫌いかも分からなくなっていた。
元々思っていた事をはっきりと言ってしまう性格で、自分自身直した方がいいということを理解していた。「自分がされて言われて嫌なことはやらない方がいい」と言われて育った私だけど、昔から何を言われてもされても感じる事は少なくて混乱した記憶がある。それで、想像するということを覚えて、「これはきっと嫌だろう」と考えながらうまいことやってきた。幸い私は想像力がとても豊かだそうなので、これに苦労したことはなかった。
私は共感するということが苦手だった。共感すること自体というより、相手の考えなんて分かるわけないのに、軽率に「分かるよ」なんて言う人が苦手だった。境遇が同じな訳ないし、たとえ同じだったとしても物事の受け取り方や考え方全てが同じ人なんて1人としていないのだから、共感なんて、ましてや分かりあうなんて出来やしないと考えてきた。でも周りは違うようで、私の両親が離婚していると知ると、「いや、分かるよ。私の両親も仲悪いもん」と笑いながら言ってくる。それが気遣いからくるものだと分かっているから、きっと慰めのために、優しさ故に言ってくるのだろうと理解はしていた。でも、なんだか不幸自慢にも聞こえてきて、そんな考えをしてしまう自分に嫌気がさしてしまうことも少なくなかった。
高校一年生になって、本格的に自分が分からなくなった。中学生時代は人間関係が微妙で終わってしまったから、高校生活では青春というものを楽しんでみてもいいんじゃないかと思ったんだ。でも「この私」では中学時代と同じことになりそうだなと思った。そこで私は「自分ノート」を作った。自分の名前、生年月日、性格、好きなもの、嫌いなもの、などなど、自分自身に関する情報をゲームキャラクターの設定を考えるかのようにノートに書いていった。目的は、親しみやすいキャラクターを演じるため。それと、進路のためでもあった。私は、最初にも書いたが知らぬ間に自分が分からなくなってしまっている。特に中学時代から、「親しみやすい人」を演じすぎて、自分について、特に「何がしたいのか」が分からなくなってしまったのだ。高校は絵が人より得意だから、とアート系の高校に進んだが、大学は違う。高校よりも専門的かつ就職にもある程度影響はある。だからと皆は自分がやりたいこと、好きなことに関する大学を調べているが、私は何がしたいのか分からないから、あまり動けずにいた。だから、設定ノートに将来の進路希望を書いて、聞かれた時のためにその理由まで考えて書き込んだ。幸い成績はクラス上位なのでその辺は問題なさそうで安心している。
現在高校2年生だが、そのノートは大いに活躍している。最近だと何が好きかも危ういから聞かれるたびにノートに書かれたことを思い出している。性格も、マイペースで、分け隔てなくて、でも少し毒舌と、演じる上で苦労が少なく親しみやすいものを選んでいる。好きな嫌いな食べ物はハッキリしているから、それは自身と同じものを書いた。思ったことをすぐに口に出してしまうところは直したもののやはり少しは出てしまうもので、この際と設定に盛り込むと、分け隔てない部分とバランスが取れてちょうど良くなった。休みに時々遊ぶような友達もできて、先生とも仲が良くて、成績も悪くない。良い青春を送れていると誇って言えるだろう、このノートの設定で生きている私は。
演じていない私はというと、正直なところ分からない。
このノートは当座しのぎでしかないことは理解している。設定通りに自分を演じて、進路までノートに従って、将来実際にそうなった時に後悔するかもしれないということもわかっている。でも、今はこうでなくては自分を保っていられない、ということも分かっている。誰の前でもない、演じていない自分でいると、全部なんでもいい、常にどっちつかずの人間になる。それが悪いかと言われれば完全にそうだと断言できないが、人前でそうあるわけにはいかない。それに、演じていない間は、常に胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。友達といたいのか、学校が楽しいのか、分からなくなる。そして知っている人が誰もいないどこか遠くに行きたいといつからかぼんやりと願うようになった。
きっと私は死にたいんじゃなくて、どちらかと言えば消えたい寄りなのだろう。演じている限り、きっと私はずっと消えたいと思い続けることになる。けれど、演じない私であるならいつまでも自分のことがわからない、生きる上での目標や理由も確立できないまま生きることになる。ならば、消えたいと思いつつも、演じながら、本当の自分を探すことを選ぶことにした。それを選択したのはいつだったか覚えていないが、もう何年もこうしている。
演じているマイペースで友達の多い私と、消えたいと考える空っぽな私のギャップに苦しむことは少なくない。消えたいという考えに飲み込まれそうなこともある。それに、本当の私が見つかるとも限らない。
演じていない自分が本当の自分、というわけではないと私は思う。人によるが、演じていない私は空っぽだからだ。何をしたいのかわからない、どう在りたいのかもわからない。私が探したいのは、「何が好きで、何がしたくて、どう在りたいのかがハッキリしている私」だ。もしかしたら、これから形成されていくのかもしれないし、気づいたら在るものかもしれない。
あと何年か、私が「もういいや」と諦めがつくまで探してみようと思う。それでも見つからなかったら、私は消えようと思う。本当に死ぬかもしれないし、誰にも言わないで1人で遠くに行くかもしれない。それはその時にならないとわからないけど「消える」という行為は実行したいと思う。
何がしたいか何年も前からわからなくなっていたが、「消えたい」という思いだけはずっと残っているのだから、きっとこれが私の本心だ。これまでもこれからも私の本心は「消えたい」という思いなのだろう。社会人になれば今以上に演じなければならない機会も増える。今よりもきっともっと消えたいと思うことは増えるだろうが、「もういいや」と消えたい自分を受け入れて行動に移す時までは探してみることにする。
そして本当の私を見つけた時、その思いが「消えたい」という思いだったら、私は躊躇なくそれを実行するだろう。そうでなくとも私はそれを受け入れようと思う。

まだまだ未熟な高校生の長々としたかつ支離滅裂な駄文をここまで読めた人は本当に凄いです。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。

あなた自身が「自分ノート」を用いて、ある自分を演じるという今の自分のあり方に対し、空虚感だったり、違和感だったりを感じ、とても悩んでいること、そして、その本当の自分を取り戻そうとしていることがとても伝わってきました。

確かに、高校2年というタイミング…。嫌でも、進路を決めていくために、自分の特性や、将来のつきたい職業について無理やり向き合わせる時期だよな、、、と自分自身の過去を思い出したので、あなたも今まではなんとかごまかしがきいていたがそうもいかなくなった、そんな状況なのかなと感じました。

ただ、個人的に、あなたの文章を読んで思ったことは「これがまさにあなたなのではないか」ということでした。正直、「何が好きで、何がしたくて、どうありたいかのかがはっきりしている私」を探したいという話から、進路のこともあって、本当の自分が何かというよりかは自分の気持ちを知りたいという気持ちに近いのかもしれないと思いましたが、私はとてもあなたの文章にあなたらしさが出ているような気がしました。

というのも、私からしたら、自分の感情がわからなくとも、周りの人間を見て、自分の在り方をどうしていくのか変えていく、つまりは演じているあなたというよりかは、周りを見て演じようとするあなたが、あなたなんじゃないのかなと思えたのでした。そして、人の気持ちを想像することが容易、かつ、自分や他者を分析する分析力や、空気読みが得意なこと、場面によって、設定を作ってはそれを難なく演じることが出来ること、そして、今の自分の気持ちをわからなければならないという真剣に向き合う態度にあなたらしさを感じました。

しかしながら、あなたの中で、本当の自分がわからないからこそ、心にぽっかり穴があくような空虚感があるのも事実…。確かに、「本当の自分がわからないから演じているのだ」と思えば思うほど、本当は演じる自分までもが自分のはずなのに、自分とどんどん引き離されていく感覚はあるのかもしれないと感じました。そうだとしたら、演じている自分は自分ではないという認識が強くでてくると思うので、演じている自分がどんなに人に評価され、好かれようと、自分が認められている感覚って生じないというか、最早、他者が賞賛されているくらいの気持ちなのではないかと感じました。だとすると、自分が存在していいという心地がいいみたいな感覚はないかもなと感じましたし、空虚感はそこからくるものだろうかと感じました。

以上のように、私はあなたのことを考えてみました。正直、進路とかが影響して、本当の自分というより、単純にしたいことをはっきりさせようと焦っているとしたら、全然関係ないのかもですが、これを踏まえて、自分探しに付き合ってみるのもいいのかなと思いました。

ぜひ、また、何か本当の自分を探したい、ありのまま表現したい時は、言葉を残しにきていただけたらと思います。

改めて、経験談への投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

中学時代をかなり意識的な「演じる」で過ごしてきた私としては、(実際にわかっているかは別として)わかる…と呟きたくなる箇所のいくつもある経験談でした。
最初から自分語りで申し訳ないですが、私はクラスメイトの一人を理想的な女子中学生のロールモデルとして、自分の感じ方や行動を徹底的に自分で矯正して、適応するという戦略をとっていました。毎日反省日記をつけていて、こういうのは楽しいことだから笑うようにするのが正解とか、あの場面であれができなかったから今日は30点とかを書いていて、反省日記のノートは学校生活に欠かせないものでした。だから、使い方は違えど、ノートとともに演じる日々を過ごした部分に、同じような人もいるんだなあという驚きと親近感を抱きました。

ノートに食い気味に反応してしましましたが、わかる…と感じた点や、似ているかもと感じた点を丁寧に挙げていくと、
・いくつかのポイントで自分の意思や考えは強くあるが、無頓着な部分はとことん無頓着(あなたの場合は、前者が共感への違和、後者がされて嫌ということの乏しさ。私の場合はまた別ですが、譲れないものとどうでもいいことのギャップは大きいです)
・学校生活でのいわゆる適応のために、自分の感覚のままでいるとあまりうまくいかないが、周囲を観察して適応するための型を理解し実行できる
・「共感」を無条件に歓迎・肯定できない
あたりが、自分の感覚と近しく感じました。私にとってはこれらの感覚は、似た人自体あまりいないし、頑張って伝えてみても理解されづらい部分なので、全く知らない誰かの経験談に私の書きたいことが書いてあったぞ…?!みたいな体験で、なんだかびっくりしてしまいました。

あなたの語りでは、「本当の自分」や「本心」というのが一つのキーワードだと感じました。何が本当なのかの主観についてはあなたの領域なので、私からは何ともいえませんが、あなたの個性は何かという話を勝手にさせてもらうなら、かなり意図的に・意識的に行動しているのは一つの明確な個性だと思いました。
私調べでは、なんとなくの感覚や感情で行動する人の方が多数派で、独立した考えや感情があるタイプは多くありません。周りの感情や流行に影響されて(やや悪意的な表現をすれば、これが自分の意思だと思った風になって、わかりあえたという幻想に身を委ねて)生きていくことのできる人もたぶんけっこういます。
あなたの言う「何が好きで、何がしたくて、どう在りたいのかがハッキリしている私」を、そもそも求めない、そもそもそんなものはない、という在り方、というか…。だから、それを求めているということだけで、あなた自身が何者かの一つの答えであるとも私は思いました。(そういった相対的に見た時の個性を知りたいわけではないだろうと想像しつつも、個性をとても感じたので、ちょっと書きたくなってしまいました…)

生きる上での何かしらの居心地の悪さや、不安や、漠然とした違和感や・・・。私には想像するしかできないですが、簡単には表しきれない、たくさんの感情や感覚があなたの中にあるのを感じています。それらを自分だけで捉えようとしていくのは、誰にとっても難しいことなので、またよかったら死にトリに書きに来てください。

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