経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きていく自信がありません。
私は昔から決して器用ではなく、自信のない小心者です。
周りに恵まれたこと、また自分で言うのもおこがましいですが、努力、優しさ、愛嬌によって何とか学生まで生きてきました。
本当に自信を無くしたのは、社会人になってからです。私は自分の実力を試したかったこと、その分野に興味があったことから、ある業界へ就職しました。その業界は時にブラック、ズルいイメージも持たれる、厳しいところです。親にも止められましたが、押し切って就職をしました。ここで私は苦しみに苦しみました。
就職してしばらく経つタイミングで、信頼していた上司が異動し、私の業務量は二倍に増えました。それまでの業務を信頼され、期待を込めてのことでした。しかし、そこで私はキャパオーバーしてしまいました。
ノルマをこなせず詰められ、いつでも鳴る携帯、取引先からのプレッシャー、普通の会社ではあり得ないほどの責任、パワハラに、私は適応障害になってしまいました。
まだやれる、迷惑をかけられないと思い、服薬をしながら仕事を進めましたが、この間いろんなミスをしました。
私はこの時ミスした自分を、ずっと許せないままです。許してもらったこと、力を借りながらなんとか解決したことが殆どですが、自分を許せません。
悪意を持って仕事に臨んだ事は誓って一度もありませんが、後ろめたい業務もしてきた事、失敗だらけだった事を知ったら、私の友人たちは、私をどう思うのでしょう。
迷惑をかけた人たちと、友人がもし知り合いだったのなら、私はどう思われるのでしょうか。
全てが怖くてたまりません。
今私は転職し、固い仕事についています。
努力を見込まれ、責任の重い部署に最近異動しました。
こんな人間に、出来るのでしょうか。
後ろめたくて、人に胸を張って話せない事だらけの人間が、こんな真っ当な仕事をしていても、いいんでしょうか。
失敗をしたらと思うと怖くて、すぐにでも逃げ出したいです。
また迷惑をかけてしまう、期待に応えたい、今度こそ成功して喜んでもらいたいと言う思いだけで、今は仕事を必死にこなしています。
メンタルが強い人がこの投稿を見たら、馬鹿げていると思うかもしれませんが、私は出来るだけ真っ直ぐに生きていたかったのです。
全てを話し切ることは到底できませんが、落ち込む私を見て、家族は「お前は幸せになるべき子だ」と言います。
本当にそうなんでしょうか。
こんなに暗い内容ですみません。
何か言ってもらえると、嬉しいです。
感想1
「自信を持つこと」について考えながら読みました。投稿者さんはご自身の書いた内容を「暗い」と形容されていましたが、私にとっては自分と向き合おうとするが故の迷いや葛藤が詰まった内省的なものに思えました。内側を見つめ続けることは確かに明るくはないのかもしれませんが、それは外側に対峙する自分を不断に調整し、「生き方」を諦めないことでもあるのかなと私は感じます。
仕事や生活の中で他者と関わる以上、自分の判断や感情を100%「これで大丈夫」と自信をもって振舞うことは、私の価値観だとリスキーで余白のないものに感じられますし、投稿者さんもまた今までの失敗やミスを許せないからこそ、なおのこと自信を持つことはむずかしく、恐怖が強いのかもしれません(私自身がそうなのでイメージが偏っているかもしれませんが…)。一方で、自信を持つこととミスしないよう気を付けたり他者と助け合うことはまた別物なのかなあと思うことがあります。メンタルの強さと自信を持つことはイコールなのだろうかと、投稿者さんの言葉を読んで考えたりもしました。
読んでいて一番興味深く思ったのは、自分に対する評価が基本マイナス(自分でいいのかという相対的な自信のなさ)がベースにありそうな雰囲気と同時に、自分の能力やスキル、経験に対する「自負」は着実に積み重なっているような書きぶりに思えたことです。「大丈夫だろうか」と感じながらも、目の前にあること、任されたことをやり遂げてきたからなのかなと思います。そう考えてみると、「自信がない」というよりも、自分の中にある理想や美学との兼ね合いを重んじていたり、誰よりも自分自身に対して誠実でありたいという願いが投稿者さんの自己像を形成(時に不安定に)させているのかもしれないと感じたりもしました。
自分の中にある生き方のベースを貫きながら、外側の世界とも折り合いをつけていくというのはすごく難しいことだと思います。社会人になると特に仕事が生活の中心になり、そこでの出来事や役割が「自分」といっしょくたになっていきがちだと思いますが、時には投稿者さん自身の「我」が先行してもいいのではないかなと私は感じました。投稿ありがとうございました。
感想2
投稿ありがとうございます。経験談を読ませてもらい、就職後の生活が、あなたにとって、あなたがどのような人であるかということを揺るがすような日々だったのかなと思いました。それは、適応障害の中で、これまでの自分からしたらびっくりするようなミスが何度もあったことかもしれないし、自分の意志で就職を決めたという思いもあるからこそ、責任を感じてしまうところもあるのかなぁ、と想像しました。
私は学生時代から不注意でさまざまなミスをしでかしてきた方なので、あなたの状況とはまた違うのかなと思うのですが、学生時代は周りがカバーしてくれてなんとかなっていたけれど、仕事ともなるとそうもいかず、てんやわんやの中でキャパシティーを超えてしまったことが何度もあります。
また、あなたの業務内容がどのようなものだったのかはわからないのですが、「ズルいイメージ」「後ろめたい業務」という言葉から、そういうイメージの中でも、自分自身に胸を張っていられるくらいにがんばらないといけないという思いもあったのだろうか…と考えたりもしました。(全然違っていたらすみません……)
ちなみに私は過去にしていた仕事で自分の中で人道に反するという思いがある業務がいくつかあり、それに加担してしまったという気持ちは今も持っています。後ろめたさの種類も人それぞれだとは思うのですが、後ろめたい気持ちの中では、自動的に自分を責めてしまう瞬間も少なくないと思います。その中で「真っ当」と感じる仕事は過去のしんどさを蘇らせるものでもあり、自分の後ろめたさを際立たせてしまうものでもあるのかなぁと思いました。
個人的に、仕事は世の中のごく一部にすぎないので、仕事を自分の人生の価値のすべてにする必要はないと思うし、失敗も成功も、たくさんの価値観の中で偶然いまメジャーな価値観に基づいているだけのものだと思っています。
「お前は幸せになるべき子だ」という言葉については、私はすべての人類がそうだと思っています。幸せがなんたるかも人それぞれ異なると思いますが、そういう権利がすべての人に当然あると私は信じています。あなたにとっても、あなたの幸せがどういうものなのかは定まらないものかもしれません。(私にとっても幸せとは確定的ではなく、よくわからないものです)ただ、あなたにはあなたが力を発揮する喜びを感じたい気持ちがあるのかなぁとも思ったりしました。もしそうだとしたら、そのためには日々の中に休息して充電するような時間や、あなたの心が緊張しなくていい時間も必要なのかもしれないと思っています。
感想1
「自信を持つこと」について考えながら読みました。投稿者さんはご自身の書いた内容を「暗い」と形容されていましたが、私にとっては自分と向き合おうとするが故の迷いや葛藤が詰まった内省的なものに思えました。内側を見つめ続けることは確かに明るくはないのかもしれませんが、それは外側に対峙する自分を不断に調整し、「生き方」を諦めないことでもあるのかなと私は感じます。
仕事や生活の中で他者と関わる以上、自分の判断や感情を100%「これで大丈夫」と自信をもって振舞うことは、私の価値観だとリスキーで余白のないものに感じられますし、投稿者さんもまた今までの失敗やミスを許せないからこそ、なおのこと自信を持つことはむずかしく、恐怖が強いのかもしれません(私自身がそうなのでイメージが偏っているかもしれませんが…)。一方で、自信を持つこととミスしないよう気を付けたり他者と助け合うことはまた別物なのかなあと思うことがあります。メンタルの強さと自信を持つことはイコールなのだろうかと、投稿者さんの言葉を読んで考えたりもしました。
読んでいて一番興味深く思ったのは、自分に対する評価が基本マイナス(自分でいいのかという相対的な自信のなさ)がベースにありそうな雰囲気と同時に、自分の能力やスキル、経験に対する「自負」は着実に積み重なっているような書きぶりに思えたことです。「大丈夫だろうか」と感じながらも、目の前にあること、任されたことをやり遂げてきたからなのかなと思います。そう考えてみると、「自信がない」というよりも、自分の中にある理想や美学との兼ね合いを重んじていたり、誰よりも自分自身に対して誠実でありたいという願いが投稿者さんの自己像を形成(時に不安定に)させているのかもしれないと感じたりもしました。
自分の中にある生き方のベースを貫きながら、外側の世界とも折り合いをつけていくというのはすごく難しいことだと思います。社会人になると特に仕事が生活の中心になり、そこでの出来事や役割が「自分」といっしょくたになっていきがちだと思いますが、時には投稿者さん自身の「我」が先行してもいいのではないかなと私は感じました。投稿ありがとうございました。