こんにちは。現在中学2年生の私の経験と現状をお話しさせて頂きます。
私は小学2年の頃、虐めに逢いました。上履きを取られたり、暴言(○○菌など)を言われました。
この時のストレスで私は眩暈や胸の痛みが起こるようになり、病院に行くと起立性調節障害になりました。
ですが、ここまではまだ良かったんです。親も怒ってくれて、学校に乗り込んで。やりすぎだとは思いましたが、それでも親の愛情を感じられて嬉しかったです。
嬉しかったのに。ある時母親と喧嘩して、あんなに虐めに怒ってくれた母は、私に対して
「だから虐められるんだ」「お前だって悪かった」と何回も言うようになりました。
信じられなくなりました。空虚な気持ちになって、人を信じることが怖くなりました。
それから小3から小5まで私は暴力をふるう男子たちに目を付けられ、いじめられました。
ですが母親に言う事なんて出来ませんでした。大事にしたくなかったし、なにより怖かったんです。
学校を休もうとしても無理矢理たたき起こされて物を捨てられそうになるので行くしかなくて、
毎日夜と朝にボカロを聞いて泣いて、無理矢理学校に行っていました。
自傷行為を始めたのもこの頃でした。
小6になって、久しぶりに学校が楽しかったです。友達もそれなりに多くて、先生もいい人で。
だけどこの時から親が毒親になっていきました。
物を捨てられそうになって「やめて」と親のゴミ袋を取ろうとすると突き飛ばされたりしたり、怒られたとき暴力を振るわれたり、ごはんが抜きになったり。
そしてこの間も何度も親に「だから虐められるんだ」と言われて、人に弱音を言ったり頼ったりすることに異様な恐怖を感じるようになりました。
そして中1。中1もいじめられました。小学校の頃のいじめっ子と同じクラスだったので…。
でも言えませんでした。言ってまた「だから虐められるんだ」といわれるのが怖くて。
「言い返してやれ」と言われ、出来ないというと「弱いね」といわれるのが凄く嫌だったから。
中2になって、最初の頃はよかったんですが、次第に朝起きられなくなりました。
起立性調節障害が恐らくストレスで悪化してしまって、今まで飲んでなかった薬を飲むようになりました。
起立性調節障害で行けないのを「甘え」と言われたりするのが生き辛くて仕方なくて。
自傷行為も頻度が高くなって。すっごく辛くて、しんどいです。
歳を重ねるごとにだんだん生き辛くなっていくけれど。でも、いいこともありました。
創作活動をしたくてこっそり始めたネット活動で親友や友達ができたんです。
私より辛い境遇に置かれたり、しんどかったりする子の相談に乗ったり、ふざけたり。
今まで居場所が無かった私にとってそこは居場所になりました。
そんな居場所でも、弱音を吐いたり頼る…人を信じることがネットの親友や友達相手でも怖くて、本当にしんどくて1度だけ頼ったときも怖くて仕方なかったんですけど、親友や友達たちは信じられない私の事を肯定してくれました。信じられない私のことを共感してくれました。「いつも相談乗ってもらってるしそもそも友達だから幾らでも付き合うよ!」とか、「ゆっくりでもいいから信用できる人探してみよう」って、「まだまだいっぱい寄り添ったり相談乗るよ!」って、「信用してくれてありがとう」って言ってくれました。それで私は、問題は何も解決していないけれど、変わらず苦しくて仕方ない世の中だけど。もうちょっと、もうちょっとだけ生きてみようって、前を向けるようになりました。
結局何が言いたいかって言うと。
この体験をして私は、世界は広いなって思ったんです。私の家や学校は苦しくてしんどくて、自分の居場所はないって思ってたけど、勇気出して飛び込んでみたら想像以上にあったかくて優しい、自分の居場所がありました。
人を信じられるようになりたいです。児童福祉にかかわる仕事がしたいです。
汚くてしんどくてどうしようもない世の中ですけど。
頑張りすぎずに、ゆっくり、無理しすぎず、力抜いて。
なんとかギリギリでも生きていけるように頑張っていきたいと思います。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
居場所もなくて、人を信用できない私だけど。
感想2
投稿読みました。いじめに遭い、体調を崩し、それでも親に守ってもらえたと感じた瞬間があったこと、その後に親から突き放すような言葉を浴びせられ、信頼が揺らぎ、人を信じること自体が怖くなってしまったこと、その一つひとつの経験は、まだ中学生であるあなたにとっては背負いきれないほどの重さだっただろうと私は感じました。
学校でのいじめに加えて、家庭でも暴力や否定の言葉が積み重なり、「弱音を吐く」「人に頼る」ことがとても困難になっていく過程がよく伝わってきて、勝手ながら胸が締めつけられるような感覚になりました。本来であれば守ってくれるはずの家庭や学校が安心の場にならず、逆に恐怖や孤独を深めてしまう…これはあなた自身の問題ではなく、いじめを適切に受け止められない学校や、子どもの声を尊重できない家庭、そこには社会全体の支えとなる部分の不足が影響しているように感じました。
そのような中でも好きな曲を聴きながら泣き、無理に学校へ行く日々を耐え、時には自傷に追い込まれるほど苦しかったのだろうと思いますし、孤独を感じながらも「どうしても誰にも頼れない」という自分の中の葛藤ともずっと闘っていたのではないかなと想像しています。周囲から「甘え」とか「弱い」と言われることが、生きづらさをさらに強めているのだろうと思いますが、私は決してあなたの経験談を読んでそうは思わなかったと伝えたい気持ちになっています。
ネットの中で居場所を見つけ、親友や仲間に出会えたことに私まで勝手ながら嬉しさとホッとした気持ちになりました。弱音を吐くことに恐怖を抱えながらも、勇気を出して一度頼ってみたら、返ってきたのは否定ではなく肯定の言葉で、そこで初めて「もう少し生きてみよう」と思えたその瞬間は、これまで固く閉ざしていた心が少しだけほぐれたのではないでしょうか。世界は苦しくて見たくない面を多く抱えていますが、それと同時に優しさや共感が確かに存在することを、あなた自身の体験が示してくれているなと読んでいて感じました。
「人を信じられるようになりたい」「児童福祉に関わる仕事がしたい」という願いは、過去の痛みからあなたが見出した願いなのだと思います。あなたの経験は決して綺麗事では語れないほどしんどいものかもしれませんが、それを抱えてきたからこそ、同じように苦しんでいる人に寄り添える視点は少なからず持っているのではないかなと思い、陰ながら応援したい気持ちになりました。
まだまだ社会が変わらなければならない課題は多く残されていて、いじめや家庭の問題に適切に介入できる仕組み、起立性調節障がいのような病気への理解、そして「弱さ」を責めずに受け止められる文化などそれらがまだ十分ではないからこそ、あなたのように生きづらさを抱える人が孤立してしまう構造にあるのだと改めて感じています。
最後に書いている「頑張りすぎずに、ゆっくり、無理しすぎず、力抜いて」という言葉に、世界の厳しさと優しさ、その両方を知っているからこその重みと、どこかあなたの地力の強さを感じた自分がいました。また苦しくなってしまった時や、一人で抱えきれなくなってしまった時などはいつでも死にトリに声を届けてほしいです。経験談の投稿、ありがとうございました。
お返事
長文での温かい感想を書いていただきありがとうございました。
頂いた感想は保存して苦しい時に見させてもらいます。
感想1を書いてくださった方へ
感想を書いていただきありがとうございました。
あなたの言う通り児童福祉の職に就かなくてもできることは沢山有りますね。
児童福祉以外にも子どもにかかわれる職業は沢山あるな、と貴方の感想で気付かされました。
児童福祉の職に就いていない学生の今でも出来ることがないか少しづつ探していきたいなと思います。お互いありのままでいられたらいいな。
改めて本当にありがとうございます。
感想2を書いてくださった方へ
感想を書いていただきありがとうございました。
甘えや、弱いと思わないと伝えてくださりありがとうございます。心が軽くなりました。
私の経験に喜んでくれたり、ホッとして下さったのも嬉しかったです。
しんどかった日々ですがそのお陰で確かに大切な仲間や居場所が出来て、頑張ってきて良かったと心から思います。応援ありがとうございます、これからも夢を追いかけてみようと思います。
改めて本当にありがとうございました。
感想1
こんばんは(あなたの書き出しがあいさつだったので、私もあいさつしたくなりました。今は夜です。)。経験談の投稿をありがとうございます。あなたの書いてくれた「世界は広い」という意見にとても共感しました。インターネットやスマホの普及で人とつながりやすくなった側面はありますが、身近なところで人との関わりはどんどん少なくなったり、限られたりしていると感じることがあり、その限られた世界でしか物事を考えられなくなることが自分もあります。だから、あなたが苦しい経験を土台にして、外に目を向けてみて、気づきを得たことは大きな意義のあることだったのではないかと感じました。人を頼ることの心強さを実感しただろうと思いますし、同時に自分自身の力も感じられたのではないかと思いました。
あなただけではなく、学校がとても苦しい場所であったこと、家でも守られずに否定された経験を持つ人が本当にたくさんいて、とても悲しくなり、歯がゆくもなり、何とかならないものかと思っています。あなたも児童福祉に関わる仕事がしたいとのことで、今回書いてくれたような経験が動機になっていると思いますし、実際に関わることになったら、経験が生かされるところがあると思っています。そして、もしも児童福祉の仕事でなくても、子どもの福祉や権利を考えたり、向き合ったりすることはできると私は思ってます。こうして、自分の環境や苦しさに目を向けることも子どもの福祉につながる大切なことだと思うのです。あなたの苦しかった経験とそれをもとにした決意表明を読みながら、私も頑張れるときもあれば、頑張れない時もありますが、どちらも自分のありのままだと受け入れて、ぼちぼちやっていきたいと思いました。これからも自分の気持ちを書き出すことが何かの役に立ちそうなら、またいつでも訪れてください。