社会人2年目。
私はタイトルの通り、普通の人にはできることが、私がやろうとすると、とてもハードルが高い。
例えば人に相談する、相手に電話する。ましてや臨機応変に対応することを求められると、とても強いストレスがかかりパニックになってしまう。
人に相談する、これは社会人として基本のキである。なのに私は、それすらできない。というか、しようとすると、どういう風にいったら伝わるか、が分からず、結果的に説明が下手で何回も聞き返される。それ普通のことだよね?文章に書けば伝わるんじゃない?と思う人もいるだろう。けど、書いているうちに何を伝えようとするかが分からなくなってしまう。で余計な文まで書き、何が言いたいのか分からない、と言われる。
そして、仕事が遅いと目をつけられる。
そんなことの繰り返しで、次第に人間関係が怖くなった。
慣れれば大丈夫、という人もいるだろう。慣れるまでに私はどれだけ時間がかかるのだろうか。他の人とスタート地点が違いすぎる。
何故、求められるものが、私にとってこんなにもハードルが高いのだろうか。
社会不適合者とは私のことだと思う。そう思いたい。そうでもしなければ私は何者なのだと。何故こんなにも生き辛いのかが、曖昧になるから。もうすぐ後輩に先を越されるだろう。私ができるのは謝ることだけだ。世間は「普通」を求める。そして他の人より元々秀でた人や最初から気遣いができたり、周りが見えてる人は、自分と同じような能力を求める。それ以外は見下す人ばかりだ。何故こんなこともできないのかーーーと。
人は自分以外の人に厳しすぎる。自分ができるのに、相手ができないと、心がとても汚くなる。私もそうかもしれない。私が底辺だから比べる人がいないだけで。
会社の和を乱すものは、徹底的に潰される。お前がいなければ、回るのにと。
人手不足の今、働く人を求めるのに、ハードルが高すぎる。
私は働くことに対して、ハードルが高すぎる。
もうちょっと、人間関係がないところで働きたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
他の人はできるのに、私には難しい
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。社会人2年目という時期は、まだ慣れないことも多く、不安や緊張を抱えやすいものだと感じますが、あなたの場合は特に「人に相談する」「電話をする」といった、日常的とされる行為が大きな壁になってしまっていて、多くの人が自然にできるように見えることほど、自分にとって苦手なときは「自分だけが異質なのでは」と強く意識させられてしまうものだよな…思います。
相談や説明の場面で「どう言ったら伝わるのか」が分からなくなり、言葉が重なってしまうことも、それは伝え方の問題ではなく、対人場面そのものが緊張やストレスを伴うからこそ生じる現象に私には見えました。社会はそれを「不器用さ」や「努力不足」と見なしがちですが、背景には個々の性格や気質、あるいは脳の働き方の違いが関わっていることも少なくありません。つまり「誰でもできるはず」と思われていることの中に、そもそもの難しさの差が埋め込まれているのではないかなと私は思います。
それにも関わらず、会社では効率やスピードが求められ、「普通にできること」を基準に人が評価されてしまう…あなたが書かれているように「会社の和を乱すものは徹底的に潰される」という感覚は、個人の資質や努力以前に、労働環境そのものが“多様な働き方には寛容ではない仕組み”になっていることを示しているように感じます。人手不足と言いながら、人材の多様性を受け入れる余裕がないという現実もありますし、社会的にはそこに大きな矛盾があって、あなたの言う”ハードルの高さ“に思わず「わかる」と強く頷いている自分がいます。
「社会不適合者とは私のことだと思う」と書かれていましたが、私はそうは感じませんでしたし、むしろ今の社会が“不適合な人を排除する”ことに傾きすぎているのではないでしょうか…。誰もが臨機応変に対応できるわけではないし、誰もが即座に相談上手になれるわけでもないと思います。それでも働ける場や、自分に合ったやり方が尊重される仕組みがあれば、「働くこと」へのハードルは下がるはずなのになぁと思ったりもしました。
あなたが「もう少し人間関係がないところで働きたい」と願うのは、「自分が安心して働ける場所」を求める自然な感覚だと私は思いました。「普通」から外れることは怖さも伴いますし、社会からも認められていないと感じてしまう場面も日々生活していると仕事だけに限らずあらゆる場面で多いかと思いますが、どうかこの先ほんの少しでも、あなたが「普通」をそこまで意識することなく、あなたの力を発揮できたり、安心して過ごせる環境に身を置けることを願っています。また死にトリが必要に感じられた時はいつでも訪れてください。
感想1
日々求められることになんとかして応えようと頭や心を総動員している投稿者さんの姿が思い浮かびました。パニックになったり人が怖くなったりしても、それは傍目にはなかなか伝わらないことでもあるような気がして、職場で一人静かに苦しんでいる投稿者さんがいるのかなと想像しています。
個人的には「他の人とスタート地点が違いすぎる」という言葉に特に深い共感を覚えながら読ませていただきました。私自身、人に相談・説明したりといった「人に対して何かを端的に伝える」スキルを新卒入社した会社で求められ、それがことごとく上手くいかなかったことを思い出しています。要点を掴んだ説明というのは、仕事やタスクの全体像がわからないと難しいことだと今になれば思うのですが(それこそ「慣れれば」と近いかもしれません)、そもそも「人から良くない風に思われていそう」と思うだけで委縮してしまうというか、人が怖くなって、安心して働くことが難しくなってしまうんじゃないかなと感じます。そんな環境下で苦手なことを克服(という表現が適切かわかりませんが)するのはなかなかハードなことだと思っています。
周りの人や環境から「これぐらい普通」を空気で、態度で押し付けられ続けると、それが出来ない自分とのギャップに折り合いをつけるためには「”自分が”人と違うんだ」と思わずにいられないのは自然な流れだと思います。それぞれの得手不得手を平均化するのではなく、補い合えたらいいなと感じますが、平均化したほうが都合がいいと考えている人がハードルの高い「普通」を作り上げているのかな…というふうにも思いました。文中には、人が比べ合い、要求されるハードルばかりが高い今の社会から距離を置きたい・抜け出したい、そんな気持ちがあるのかなと感じる言葉もあったので、投稿者さんが漠然とした「普通」に飲み込まれず落ち着ける場所が見つかったらいいなと感じましたし、「普通」に囚われないいろんな在り方を私自身ももっと見つけてみたいという気持ちになりました。