経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

警察に保護され、その後も問題を起こしてばかりの私…。

とある児童福祉施設で発達障害を持つ児童生徒の支援をしている者です。
児童発達支援管理責任者という役職もあり、利用者の個別支援計画を作成する専門的な資格を持っています。

児童福祉施設に就職する前は障害者支援施設(成人の利用者の支援)で働いており、「大人でも人の手を借りないと生きていけない人の手助けをしたい」と思ったのが、障害福祉の道に進むきっかけでした。

実は私、1年半ほど前に職場近くのコンビニで、過去に勤めていた職場のスタッフから受けた理不尽な発言を思い出し、大声をあげながら冷凍ケースを蹴ってしまい、警察に保護されてしまった経験があります…。

その「理不尽な発言」とは、過去に一緒に働いていたスタッフに、「〇〇さん(私)って障害児みたいですよ」「震災のとき、〇〇さん(私)は子どもは置いて自分だけ逃げるんでしょうね」というものでした。病気や障害は好き好んでなるものではないし、災害時も逃げたくても逃げられない人が実際にいらっしゃったので、驚きのあまり言葉を返すことができませんでした。それでも私がやったことは許されませんが…。

警察に通報されてしまいましたが、幸いにも冷凍ケースが壊れてしまうことはなかったので、逮捕はされず、前科はつきませんでした。しかし、それでも器物損壊「未遂」ではあるので、やってはいけないことをした、人の道を外れることをしてしまったと、ものすごい後悔が私を襲いました。

警察に保護され、迷惑を掛けた旨を職場のスタッフに謝罪しました。そして私は、「もし許されるなら、△△(当時勤めていた教室)でやり直していきたい」と話していました。翌日、当時勤めていた教室の管理者と面談をし、警察に保護されるという事態になったもののクビにはならず、進退には何も影響なく勤め続けることができました。
管理者の方も、私を怒鳴りつけるなんてことはせず、教室の業務で何が負担だったのかなどを、よく聞いてくれました。
それ以降も何かと自責の念には苛まれ続けましたし、生徒への支援が思うようにいかないと声を荒げてしまうこともありましたが、その教室ではおよそ3年勤めることができました。

そして今年4月には、同じ会社が運営する別の教室に異動することになりました。
新しい教室で生徒との関わりを築き、楽しく過ごしてもらおうと考えていたのですが、またしても自分で大きな問題を起こしてしまいました。

それは職場での自傷行為でした。
生徒が来室する前にスタッフ同士で、生徒の支援についてミーティングをするのですが、ある生徒のことが話題になったときに、私の過去を悪く言われているように感じてしまったのです。
生徒のこととは全く関係ない自分の過去のことを爆発的に思い出し、自分の顔や頭を叩く、椅子からわざと転げ落ちる、ハサミで自分の髪の毛を切ろうとする、自分の髪の毛を引っ張って抜くなどの自傷行為をしてしまいました。それを1週間のうちに3回もやってしまいました。

私の行動に驚いたスタッフが、「〇〇さん(私)にケガして欲しくないから」と、必死に身体を押さえて止めていました。私の親だったら、「何やってるの!落ち着いて!普通にしなさい!」と言うところです。それでもスタッフは、「〇〇さん(私)を守りたいから」とだけしか言いませんでした。
ここで私が警察に保護されたことも言っちゃおうかと思いましたが、それはさすがにやめました。

管理者さんから、今回のことは上層部の人達にも報告されることになりました。管理者さんいわく、「これは〇〇さん(私)を守るためであり、クビにするなんてことはしないからプラスに捉えて欲しい」とのことでした。

私は当面の間、生徒対応の現場を離れることになり、本社で事務作業の仕事をすることになりました。しかし、上の人達も私の「現場に戻りたい」という意思は汲んでくれていますが、医師など専門的な立場からの意見書などを確認したうえで、慎重に対応したいと言っているため、現場に戻れる見通しはまだ立っていません。
精神科にはコンビニでの事件を起こしてしまった1年半前から定期的に通院し、医師の診断と心理士によるカウンセリングを定期的に受けています。また、近い内にWAIS(成人用知能検査)を受ける予定です。自分の得意不得意を把握しておけたら…と思うのと、上の人からも、私の得意不得意を知ったうえで、会社としてできる配慮をしたいと言っているからです。

警察沙汰、職場での自傷行為と散々問題を起こしている私が、こんなにも沢山の人に守られている。それは大変ありがたいことですが、それでも今の職場で働き続けていていいのだろうか、そもそも私が「普通」の生活を送っていていいのだろうかと悩んでしまいます。

警察に保護されたことは弟だけにしか言っていません。父には言えませんでした。短気な父に殴られることもあったし、今回のことが父に知られたら怒鳴られるだけでなく、何をされるか分からないからです。

また、ニュースなどで犯罪が報道されると、自分がコンビニで事件を起こしてしまったときのことを思い出し、「自分は犯罪者なんだ…」と考えてしまいます。かかりつけの精神科の心理士さんからは「あなたは物を壊したわけじゃないし、人を殺めてもないし、人に危害を加えたわけでもない」と言われ、確かにそうなのですが…。どうしてもそうは思えません。いや、コンビニで事件を起こしてしまったときのことは一生苦しまなければいけないと思ってしまいます。

職場では、児童発達支援管理責任者として、利用者の個別支援計画を遅延なく更新してきました。また、毎日真面目に出勤し、「〇〇さん(私)は実績を積み重ねてきているから」と上の人をはじめ同僚からもお言葉を頂いています。警察沙汰になったこれまでの経緯があっても、上の人は「会社としては〇〇さん(私)を守っていきたいから、まずは〇〇さんのことを正しく知ってもらって、その上で〇〇さんが辛い思いをしないようにしていきたい」と仰っています。だから前向きに捉えなければいけないのですが…どうしてもそう思えません。

生徒対応の現場を離れているからこそ、生徒の成長や変化が見られないのが辛いです。しかし、生徒対応をしている以上、生徒の良くないエピソードを話さなければいけないのも事実で、そういったところに私が爆発的に反応してしまうところを上の人が心配しているのも事実です…。

自分を責めても何もならないし、苦しくなるだけとは分かっていても、どうしても責めずにはいられません。私が普通に働けていること、普通の生活を送れていることに罪悪感を感じてしまいます。

感想1

深い罪悪感で押しつぶされそうになりながらも、何とか心を鎮めようと自分に言い聞かせているようにも思えました。それだけ、あなたにとって警察にお世話になったり、トラブルを起こしてしまうことは不本意であり、二度と同じようなことがないようにと心を砕いている様子も伝わってきました。仕事に対する思いや自分を振り返る様子、そして周囲から理解を得ていることを考えても、とても真面目に誠実に生きてきたことが伝わってきます。だからこそ、トラブルに対する罪悪感や後悔も強いのだろうと思います。
そんなあなたの経験談を読んで、少し客観的な目線から見ている私は、どちらかというとあなたの日々の努力を労いたい気持ちになりました。同時に過去の記憶やそこからくる感情の暴走や行動化と向き合うことの難しさを想像しています。問題を二度と起こしたくない、起こしてはいけないと思うほどに不安が大きくなるのではないかと気がかりに思います。おそらく、あなたの職場の同僚もそれと同じようなまなざしをもち、あなたを理解し応援しているように思います。
また、私は社会において「警察のお世話になる」ことへの抵抗感や罪悪感のようなものが強い傾向があることもあなたの悩みを深くしているように思います。そして、感情的になることへの抵抗も強くあるように感じました。警察は犯罪行為を取り締まるイメージが強いですが、市民の生活の安全を守る役割もあります。あなたは確かに物を破壊するような行動をとったかもしれませんが、内実はパニックを起こした(ある種の発作を起こした)だけで、あなたは悪いことをしたから警察が駆け付けたというより、あなたが心配で保護をするために駆け付けたのではないかと私は思いました。過去のつらい経験によるダメージに襲われたあなたを守ってくれたという理解をしてもいいように思っています。そして、こうしてたびたび出てくる感情の暴走はあなたに傷ついた心があることを知らせてくれていると感じました。
過去に人によって傷つけられた(今も父の暴力的な存在が気になっていますが)あなたが、理解のある職場で人を応援する仕事をしていることを私は貴重な環境だと思いました。人からの暴力や抑圧によるダメージは、人との関係の中で回復していくことが大切だと言われています。ただ、人によって傷ついた人は人との関わりに恐怖や不安を感じることがありますし、また自分への信頼も少なく回復のための環境を手に入れることが難しいことが多いです。トラブルそのものもそうですが、今強く抱いている罪悪感や不安も傷ついた心が発しているSOSだと私には思えました。どうしても、自分が悪かった、もう二度と同じようなことはしないと自分を戒める気持ちが強いかもしれまんが、今は自分を戒めるよりもこのような形である種の捨て身でSOSを出している自分を受け止め、周囲の人たちにサポートを遠慮なく活用し、少しでも安心できる時間や人を増やしていくことではないかと思いました。
また、自分の気持ちを書くことがあなたの安心や気持ちの整理につながるのであれば、いつでも遠慮なく訪ねてきてください。お待ちしています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。時間をかけて積み重なってきた出来事や、そのときそのときの感情が丁寧に綴られていて、読み進めるほどに、現場で人と関わり続けることの大変さ(重さ)と、そこに伴う痛みが伝わってきました。支援者としての役割と、自分自身の心の脆さが、常に同じ場所に存在しているような印象で、それが時に衝突してしまい、しかもその衝突は、本人の意思や努力では完全に避けられないこともあるという現実が、とても切実に表現されているように私は感じました。
過去の職場での言葉の暴力や、それによって引き起こされた記憶のフラッシュバックが、今の生活や仕事にまで影を落としている様子は、他人からは容易に見えにくいものだろうと感じます。けれど、そこには“経験の積み重ねが人を形づくる”という現実と、“過去が時に今の自分を縛り付ける”という厳しさが共存していて、その間で日々を送ることは想像以上に苦しいものだよな…と考えていました。
あなたが抱えている「やってはいけないことをした」という後悔は、法律や規範を超えて、内面的な倫理観からも来ているものなのかなと想像しています。それは社会的な“善悪”の枠に沿ったものというより、自分自身が持つ“人としての在り方”への強い感覚から生まれた自責の念に近いように私は思いました。こうした感覚はある意味、強みになることもありますが、同時に自分を苦しめるものにもなることを思うと感覚のバランスって本当に難しいですよね…。
また、支援職で働く人が自分の弱さや脆さを抱えたまま現場に立ち続けることの難しさも、文章から痛いほど伝わってきました。利用者さんの困難や過去の出来事に触れる場面で、自分自身の記憶や感情が呼び覚まされる(疼いてしまう)のは、立場や関係性に限らず誰にでも起こり得るものだとは思います。ただ、支援の現場は“感情の反応を抑える”ことが前提とされがちで、そのための心理的安全や環境整備が不十分なまま、個人の頑張りや自己コントロールに委ねられてしまう構造的な課題がある場合が多いなと感じています。あなたの場合、その感情の爆発は職場での自傷行為という形で現れ、それを周囲が止めようと必死になってくれた姿も描かれていましたね。そこにあるのは単なる業務上の対応ではなく、一人の人間として“守りたい”という思いがあったのではないかなと私は捉えました。でも、こうした“守られている”経験が、そのまま安心感や自己受容にはつながらず、“これだけ守られているのに自分は普通に生活していいのか”というような罪悪感を呼び起こしてしまうあたりに、過去の家庭環境や人間関係からの影響が色濃く反映されていて、あなたの心にどれだけの傷が深く刻まれてしまっているのかを考えずにはいられませんでした。
また、「普通」という言葉も本当に厄介なものだと改めて思わされます。社会はしばしば「普通の生活」を無意識に理想形として掲げますが、そこに収まらないことを価値の低いものとみなす風潮があります。あなたはその価値観に無言で抗いながらも、同時にその枠組みの中で自分を測ろうとする矛盾を抱えてしまうという苦しさもあるのかもしれないなと思ったりしました。あなたの抱える苦しさや自責の念はそう簡単に拭えるものではないのだとは思うのですが、会社の人があなたのことを理解しようとしてくれたり、関係性を完全に断つ(退職を勧めるなど)ことはせず今は距離を置いて整えようと動いてくれたりしているところを考えると、あなたのこれまでの頑張りや誠実に仕事に取り組む姿を見てきたからの判断なのではないかなと思います。そして、トラウマや傷を抱えていることは支援職という立場で、他者の苦しみや恐怖に敏感でいられる部分があったり、想像力を働かすことができたり、あなただからこそできることが必ずあると私は思いました。なので、必要以上に罪悪感を抱く必要はないことを、そう思ってしまう気持ちも受け止めつつ、伝えたい気持ちです。
自分の心の反応や感情の波と付き合っていく(向き合う)ことの苦しさは、私自身もあなたと経験は異なりますがトラウマを抱えながら支援に携わる仕事をしているので感覚的に分かるところもあるので、まずはこの先あなたがほんの少しでも安全な環境で安心して働いていけるようになることを勝手ながら願っています。あなたにとって死にトリが必要に感じられた時はまたいつでも声を届けてください。

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