複雑性PTSD回復のために色々なことに取り組んでる。仕事、プライベートで他人からの些細な言動で突然フラッシュバックが起こる事がある。その時のぐちゃぐちゃの感情に名前をつけると怒りがあってその奥には悲しさと大きな不安。いつも不安でそれを他人からオドオドしているって言われた事もある。笑顔、人に感謝する、丁寧に生活する、生きている事自体が幸せ、など書き出して実践している。それも疲れた。そんな事しても不安は取り除けない。10年くらい前のスケジュール帳メモに苦しい助けてって書いてあった。ずっと苦しんでるのを再発見してショックだった。できる事はやり尽くしました。もうこれ以上なにもできません。今はどこにも力が入らない、食べ物おいしくない、何見ても無意味に見える。何かやっていてもぼんやりする。夢とか希望とか楽しいとかワクワクするとか、友達と一緒に遊びにとか、みんなで分かち合って達成しようとかそんな情報見てるだけで吐き気がする。表面上はこれまでと同じ生活してしている。仕事も趣味も生活もこなしている。だけどただ体が習慣で動いているだけで感情がないロボットみたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
できる事はやり尽くしました
感想2
回復のためにできそうなことはやってみているのが短い文章から痛いほど伝わってきました。そして、それだけやっても苦しさが続くことに絶望的になるのも無理はないと思いました。もしも、まだやってみていないとしたら「回復なんてどうでもいい!」と投げやりな気持ちを全面に出してみるとか、頑張ることをやめてみるとか、自分に課している頑張りを放棄したり、逃避してみたり…そんなことをやってみるのはどうかと思ってしまいました。
今回の投稿で「夢とか希望とか楽しいとかワクワクするとか、友達と一緒に遊びにとか、みんなで分かち合って達成しようとかそんな情報見てるだけで吐き気がする」を読み、もっともっと吐き出していいよと後押ししたい気持ちになりした。どうして、私たちはこんなに頑張ること、精一杯やることを求めてしまうのでしょうか。もはや頑張らなければ病と言ってもいいかもしれません。無理をしない、手を抜く、心置きなく絶望する…そんなことを学ぶ機会はあまりありません。あなたの経験談を読み、苦しいことやつらいことを話せる機会がとりあえず増えてほしいと私は思いました。
お返事
丁寧に扱っていただきありがとうございます。
誰かに読んでいただくだけでも少しの間ですが癒されますし、このように返答いただけるとは思いませんでした。
ありがとうございます。
しんどい時、読み返します。また、メールで辛い気持ち吐き出すと思います。
感想1
どんなに感情や記憶に圧倒されても、表面上はわからないように抑えて、抑えて暮らしているのでしょうか。そういうあなたを想像しながら投稿文を読ませてもらいました。
先日私は複雑性PTSDの回復を目指している方とお話しました。その方が語っていたこととつながるところもあって、ふとしたやり取りから突然に荒波や嵐が訪れて怖かったり、冷静でいることが難しいのに、何とか丁寧に、穏やかに暮らすことがどれほど神経を使うのか…勝手ながらより私のイメージが深まったように思います。
夢、希望、そしてワクワク、キラキラというワードは私も好きではありません。現実味が無いからです。あなたはそれ以上にそういったワードには不快感を抱いていそうです。そんなものからは距離を取ってみるのも1つなのかもしれませんね。私はそういうコミュニティからはすっかり距離を置いています。SNSも含めて。
最近、トラウマの対処について学ぼうと思ってある行動療法の本を買い読み始めました。新品がなくて中古を購入すると、そこにワークがいくつもありました。いくつかのワークは誰かの文字で表が埋められていました。それは以前の持ち主が回復を目指して一生懸命取り組んだ筆跡でした。それを見ながら私は色々なことを感じました。この方は今どうしているんだろうとか、取り組んでみてどうだったんだろう、もう苦しくなってやめているならそれもいいのかなとか(実際にワークの途中から空白になっていて、どこか私はホッとしました)そのワークには「実感がない」とといったようなことも書かれていて、あなたが、生活のあらゆる場面で“こなしている”ことやまるでロボットみたいと書かれていることにも少しつながりそうだなって思いました。私はあなたとこうやって言葉を交わすことしかできません。きっと疲れたでしょうから色々頑張ることは置いておいて、こういう対話を時々するならいいのかも…。またこうやって気持ちを置きに来てほしいです。