大学3年生の研究と就活期間中で、忙しさと全て完璧にやろうとすることが重なって自殺未遂を図り、大学を休学し、1カ月精神病棟に医療保護入院した。毎日薬を飲んでいるが、やっぱり1日の中でどうしても死ぬしかない・消えたいと思う瞬間はある。しかし、その時間を乗り越えたら人生悪くないと思える時もある。人は死のうとしても簡単には死ねないことが分かったので、最後の時まで大人しく生きようと思う一方、幼少期の家庭環境や学校での人間関係によって自分が「死にたい」と考えるまで追い込まれる中で生きないといけないのは、やはりしんどいものだと思う。もっと才能に恵まれたり、気楽に生きたりしている人が羨ましいとは思う。しかしそんなことを考えてもきりが無いので、自分の人生を生きていきたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
うつ症状で入院した
感想2
「自分の人生を生きていきたい」 この言葉にあなたの色んな思いが詰め込まれているそうです。
入院中に相当色んなことを考えたのではないでしょうか…。あなたなりに行き着いた言葉だと思いますが、私は本当にそうだなって納得しました。ひとり1人が自分の人生を生きていければこんなに良いことはないと思います。しかし実際はそうはできずに苦しんでいるひともいます(少し前のあなたのように) それを難しくするものはなんだろう…と考えてみると、他者(家族であっても)や社会の常識、規範意識なのかもしれません。それらが自分の中に刷り込まれると、○○しなければならない!そうじゃないと生きる価値がないという思考になるのかもしれません。気楽に生きている人がうらやましいと書かれていましたね。あなたが期待や比較、規範に縛られながら育ったとすれば、いつも緊張や警戒を強いられてきたとすれば、気楽とかそこそこや適当ってどういう感覚かわからなくても無理もありません。
あなたが病室で考え抜いて乗り越えた先には、少しだけこれまでの思考から解放された感覚があったのかもしれませんね。そして穏やかに生きるには他の誰でもない、“自分“がどう感じるか、どうしたいか…を優先することが大切なのかもしれません。まさに「自分の人生を生きていく」ですね。
投稿文は静かな自分への宣言のように思いました。
感想1
読ませてもらいながら、努力に反して心と体のバランスが崩れたことによる入院生活は苦しく先の見えない時間だったんじゃないかと想像します。
全て完璧にやろうとすることは周りからのプレッシャーがあったのか?性格なのか?などいろいろ考え、周りからのプレッシャーだったら尚更きつかっただろうなと思いました。
家庭環境、人間関係から投稿者さんが「死にたい」と考えるまで追い込まれながらも生きている今を周りは知っているのか?寄り添ってくれる人は居ないのか?など考えてしまいます。人に話すことが難しい時には、経験談のように文字として吐き出し続けることも選択肢としてあるのかなと個人的に思います。
投稿者さんがこれから自分の人生を生きる中で「気楽」に生きるヒントや出会いが多くあればいいなと思います。
投稿ありがとうございました。