経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死なないでって言った私が死にたくなってる
大切な人たちが、後何年で死ぬ予定とか、自分の体を大事にできないのを聞いてて、私は「また遊びたいから、もし良いなら一旦〇月まで元気でいて」「倒れちゃ悲しいから、自分の事大事にして」って言ってます。でも、私はすごく辛くて死にたくて、ほぼ毎日気持ちを見せないように日記に死にたいって書いてます。
ほんとは皆みたいに自分を傷つける言動とって、私は居てもいいんだって思える感じの誰かの支えの言葉が欲しくて(貰えるかは別として)、でも言っちゃったら私は誰かの支えになることができなくなっちゃって…「死なないで」って言った本人が自殺しちゃったら、きっと言われた相手が傷ついちゃうくて、私はそうしたくないです。
なので、自殺もダメ、死にたいことを伝えるもダメ、いつもの私を見せるために明るく振る舞って、っていう3つがあり、それが辛いです。明るく振る舞ったらその時は楽しいから、そっちは一概に嫌とは言えないけど…
だから私は、ふとした拍子に、私の抵抗むなしく死ねたらなって思います。そしたら一番円満に終わるし、誰も傷つけずに済みます。
今日も死にたくて、その人達から見える場所で言っちゃいそうで、体験談として置いとけばここの誰かさんが参考になるかもだし、日記よりも多分元気がでるので投稿します。
解決策はなくて、かれこれ2年は経ちました。まだバレてないみたいです。誰か解決策にお心当たりがありましたら教えてほしいです。
また一日やり過ごせそうです。でも本当に、一旦自殺できたら嬉しい…一旦おやすみをしたいな…ありがとうございました。
感想2
文末の「一旦自殺できたらうれしい」という表現がとても新鮮に映りました。自分自身の感情が零れ落ちないよう気を付けながら、相手の感情に対しては慮り向き合っていく…それが生活レベルで繰り返されているとイメージすると、正直に言って投げ出したくなるようなことだと感じました。「もう疲れた」という切実さが詰まった文章だと受け取っています。
周りにいる人たちへの対応は、相手を大切に思うが故と想像しつつ、「元気でいて」「大事にして」という言葉があなた自身から湧き出てくる相手への感情なのか、あるいは自分がかけてほしい言葉だったりもするのか、気になる私がいました。どちらが良い悪いということはないのですが、あなたがその言葉を発するときにどんな気持ちになっているのか、もう少し知りたくなった私がいます。
一度「死なないで」と声をかける方に舵を切ったら、なかなか「自分も死にたいんだ」と言うことは難しい(気持ち的なハードルが出来てしまう)よなと感じました。一方で、「相手に死んでほしくない」気持ちや態度と「”死にたい”という感情を自分が持つこと・相手の死にたさを受け入れること」は矛盾しないような気がする、とも思いました。自分が死にたい気持ちを経験していたり、死にたい気持ちを「存在するもの」として肯定しているからこそわかる「相手(他者)の死にたさ」があると思います。翻って、人が「死にたい」と口にすることの苦しさや切実さを身をもって味わっているからこそ、相手がそれを表明することを”切迫したもの”として捉え、「支えたい」という気持ちになるのかもしれないと考えました。
「こうありたい(やすみたい)」という状態がなかなか叶わないこともあなたの死にたさを形作っているのかなと想像しています。周りの人たちとの関係性(どのくらいの頻度で会う、どういったコミュニティの繋がりなのか)はわかりませんが、少し「会わない」期間を作ってみるのも1つなのかなとは感じました。「私も死にたい」とは言えずとも、自分の死にたさをこらえて相手を支える という構図から、物理的に一旦離れてみることが、「やすむ」に繋がるところもあるのかなと…(会わずに一人で/他の人と いるほうが辛い、という場合もあるかもしれませんが)。今まで築いてきた関係を変化させるのはなかなか難しさがありますが、あなたがあなたとして「死にたい」を零せる場があってほしいと思います。
感想1
誰かに「死なないで」というのは、ひょっとして自分に向けて伝えている側面もあるのかなと思った私がいます。人は何かを感じてしまう(悲しいとか、死にたいとか、嬉しいとか…いろいろ)生き物で、それに理由があるようなないようなよくわからないのですが、感じてしまうのはどんな気持ちでも自然なことだと思います。そして、その気持ちそのものより、その気持ちを誰にも言えずに一人で抱えることがとても苦しいことなのかなと思いました。
今回、こうして投稿してくれたことが「多分元気」につながるとしたら、気持ちを誰かに伝えること、それを受け止められることには大きな力があるのだろうと思います。
あなたが書いたものを見て、誰かが何かを感じ、その誰かも自分の感じていることを誰かに伝えていきながら、少しずつ元気になれるのなら、苦しい気持ちやつらい気持ちを伝えることも悪くないのではないかと思いました。でも、私たちは弱音を吐くよりも明るくふるまう方がいいとなぜか思ってしまいます。解決策に心当たりがあれば…と書いていましたが、まずはこうして、素直な心の内を伝えてみることが何より大事かなと私は思いました。そして、すでにあなたはその行動を自ら選択しているので、一旦それでよしと伝えたいです。
また、必要な時にはいつでも来てください。