この話は私が小学生だった頃の話になる。学年で一番のいじめっこに目をつけられた。理由はわざとぶつかったわけではないのに私がすぐにその子に謝らなかった事が原因だった。確かに私も悪かった。わざとじゃなくてもぶつかったら謝るのがマナーだ。だからと言って影で悪口を広めてあることないこと言いふらして他の学年の人にもその事を広めてのけ者にするなんて卑怯だ。いじめられる側も悪いけど集団によるいじめはもっと悪だ。そんな小さいことをネチネチ言ってくる人にまともなやつなんかいない。その男は自分がされたら根に持つくせに自分は太ってるってだけの女の子をネチネチいじめていた。明らかに私よりもそいつの人間性に問題あると思いませんか?
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
理不尽すぎるいじめ
感想2
投稿読みました。子どもの頃に経験した理不尽さへの怒りや、当時の悔しさが今も鮮明にあなたの中に残っているのだろうということが伝わってきました。こうして投稿しようと思ったのも、もしかしたらその頃の記憶が急に思い返されてしまって、気持ちのやり場に困ってしまったところもあるのかな?と想像しています。(違っていたらすみません)
理屈では納得できないような小さなきっかけで始まったいじめが、どんどん膨らんでいき、周囲の人間まで巻き込んでいった過程は、決して「よくあること」で片付けてはならないものだなと私は感じます。「確かに私も悪かった」と書かれている部分に、自分の非を一部認めた上で、それでも相手の行動はやりすぎだったと冷静に見ているところは、時間が経った今だからこそ持てるものかもしれません。ただ、それを「自分も悪い」と言わなければならない状況そのものが、いじめの構造の残酷さでもあるよな…と自分もいじめを経験してきて思うことです。
また、「いじめられる側も悪いけど集団によるいじめはもっと悪だ」という言葉には、あなたの中でいまだに整理しきれない複雑な感情があるように思いました。被害者であるにも関わらず、自分にも非があると考えてしまう構造が、いじめの苦しさを長引かせてしまうのでしょうね…。本来、ぶつかったときにすぐ謝れなかったからといって、人格全体を否定されるような仕打ちを受ける筋合いはないと思います。さらに、他者を傷つけて平気でいられる人の振る舞いが、そのまま周囲に肯定されてしまうことが、子どもの頃のあなたにとってどれほどの無力感と怒りを残すか…今ここで私が思ったところで致し方ないことかもしれませんが、当時もっと状況やあなたの苦しさに気づいてくれる大人が一人でもいれば…と思わずにはいられませんでした。
あなたが当時、感じた怒りや悲しみを、ただ忘れてしまおうとするのではなく、自分の言葉で捉え直そうとしていることは、いじめという問題の本質を社会に問いかける力になるのではないかなと私は感じています。そして同時に、過去の自分を少しずつでも肯定していくために必要な一歩でもあるのだと思いました。「あれは自分が悪かったから仕方ない」と過去を片づける必要はないと私は思いますし、あなたの中で湧き上がった理不尽さへの怒りも、その時の自分を守ろうとする声も、すべて大切な感情だと否定してほしくないな…と思いました。
感想1
投稿ありがとうございます。書いてくださったのは少し前にあった出来事の話なのでしょうか?最近また何かその相手と関わりがあったり、思い出すきっかけがあったりしたのかなと想像しています。
「目をつけられた」という言葉からは、あなたがその相手に対して不安だったり、嫌な気持ちを持っていたのかなということが伝わってきます。ぶつかってすぐに謝ることができなかったことから「いじめられる側も悪いけど」と思ったのかもしれませんが、どんな理由があってもいじめはしてはいけないと私は思います。あなたの「理不尽だ」という訴えはもっともだと感じますし、その当時、誰かにその声は届いていたのだろうか…と(過去の事なのかもしれませんが)気にかかりました。
同時に私は、相手の子はどうしてそういう行動を取ったのだろう?とも気になりました。同級生だったであろうあなたが「学年で一番のいじめっこ」だと表現するのなら、もともと誰かとのトラブルを起こしてしまいがちな子だったのでしょうか。これは私の考えですが、何の理由も影響もなく「急に誰かをいじめだす人」はいないんじゃないかな…と思います。その子にもあなたとは無関係なところで、何かしらの思いがあったりするのかな…と。
とはいえ、だからといっていじめをしていいわけではないし、あなたが相手の気持ちまで慮るのはそれこそ変な話ですよね。
そんなときこそ周りの大人が、あなたと、相手の子それぞれの気持ちを聞いて、「はい仲直り!」とはならないにせよ、2人にとってほどよい距離を保てる方法を探すべきだったと感じます。子ども同士でいるとどうしても、強い言葉を使う人や、偏ったことを思いつける人が簡単に力を持ってしまい、気を付けないとすぐに平等じゃなくなってしまうし、合わない人と離れるのも難しい場所だと思います。あなたが相手の子に対して悔しい思いをしたり、傷つけられたりする前に出来ることがあったはずと、一大人としてやるせない気持ちになりました。