経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きるという脅迫概念

勉強が好きでした。
家族と遠出するのが好きでした。
学校は得意じゃなかったけど、仲のいい友達と何かをするのが好きでした。
3年前、全部が億劫になりました。
勉強も、家族や友人との関わりも、願望から脅迫概念へと変わっていきました。
暗い部屋でスマホをいじり、ベッドから起きあがれない。そんな日々が続いています。
そんな日々を繰り返しているのに勉強が好きじゃない私はおかしい、当たり前のことをこなせない私はおかしいと現状を疑うことをやめられません。
元々の私が本当で今の私がおかしくなったと信じていたいけれど、元に戻れる兆しがない限り、今の私を否定されたら、生きていく場所を失ってしまう気がするのです。
誰がどう見たって矛盾している感情が私には常に付き纏っています。
ですが、皮肉にも今の私は、今の私が憧れている過去の自分から形成されたものだということは紛れもない事実です。
「大丈夫」と噛み締めてきた感情がもう1人の私になって、もう1人の自分が人知れず抱えてきた痛みがひずみとなって、いつのまにかもう1人の自分の方が大きくなってしまっていたんだと思います。
後からではどうとでも言えますが、心の中ではずっと気づいて欲しかったんだと思います。心に負った傷からも血が出ればいいのにと何度も体を傷つけました。
抑えきれない衝動によって部屋の様子がどんどん変わっていきました。
怒られたことがほとんどなかった子は癇癪を起こして、ヒステリックになった大人に止められる弱い子になっていきました。
いつのまにか少しの言葉で涙が止まらなくなる人間になっていました。
弱いっていうなよ、選択肢を奪うなよ、
何もできないくせに他責な人間が今ものうのうと生きている。そんな現実に反吐が出る。
自分だけが特別苦しんでいると錯覚している醜い人間。
何もできない人間が生きていけるはずがない、今も未来も真っ暗で死んでしまいたいと思っているはずなのに、祖父の葬式を思い出すと、思いとどまってしまうんです。
死が怖くなるんです。
そして、思うんです。
生きることを放棄するのも私の無責任さを象徴する行為になってしまうんだと。
悔しい
虚しい
辛い
この苦しみが消えるとは思えない。
私は自分自身が逃げてきた代償を一生を懸けて払わなければ行けない。
今日も私は生きるしかない。

感想1

投稿読みました。抱えている苦しみの叫びというよりかは、時間をかけて積み重なったものとして綴られていて、その中に、どれほど多くの葛藤や自問自答があったのかが、じわじわと伝わってきました。
冒頭にある「好きでした」という過去形の表現は、昔は好きだったことが、今は義務や、あなたの言葉を使うと脅迫概念に変わってしまったというところに、心の内側で何かが音を立てずに壊れていくようなそんなイメージを抱きました。(“脅迫”と同じ言い方で“強迫”という言葉もありますが、意味合い的には脅かされている(脅迫)ような感覚なのか、それとも自分の意思に反して頭から離れられない(強迫)ような感覚なのかどちらなのだろうなぁと気になっていました)
「今の自分」と「元々の自分」の間で引き裂かれるような矛盾、それを受け入れることも拒むこともできずに立ち尽くしている様子が伝わってきて、「今の私を否定されたら、生きていく場所を失ってしまう気がする」という言葉には、アイデンティティの揺らぎが鋭く表現されていて、社会的なまなざしの厳しさや、自己肯定を保つことの難しさが含まれているように私は感じています。
また、「癇癪を起こしてしまうこと」や「涙が止まらない人間」になってしまった自分に対する見方も、自責が強い印象ですが、それがさらに自己嫌悪を深めているのではないかなと想像します。でも、その責めの中には、「こんな風に壊れる前に、誰かに気づいてほしかった」「傷にも見える形があればよかったのに」という切実な訴えが確かにあるように私は思います。
「死にたい」と「死ぬのが怖い」という感情の間で行き来している時、どちらかの気持ちを正当化するのは難しいなと私自身のこととしても思うことですし、どちらにも心の置き場がないように感じられるものかもしれないなと感じます。そして「今日も私は生きるしかない」と書かれた最後の言葉には、選択肢が剥奪されたまま生き延びていることへの深い無力感と、それでも立ち止まらずに何とかやっていくしかないという諦めも交えつつも、あなたの地力の強さのようなものも私は感じ取りました。
社会的には、「弱さ」を表に出すことがまだまだ許されにくく、それはときに個人に「自己責任」として跳ね返ってきます。「何もできないくせに他責な人間」「逃げてきた代償を一生をかけて払わなければならない」と自分に強く言い聞かせるその言葉の裏には、本当は誰かに、少しでも受け止めてほしかった気持ちがずっとあったのではないでしょうか。(違っていたらすみません)誰も負った(負ってきた)傷を見つけてくれなかったことが、自分への怒りと絶望になってしまったようにも感じました。自己責任という言葉で簡単に切り捨てられがちな社会の空気の中で、そうした社会を変えていくためにも、こうしてなかなか声にならない思いを言葉にしたこと自体に、意味があると私は思います。そう簡単に抱える苦しみが消えることは難しいことかもしれませんが、“生きること”についてまたあなたを言葉を交わせられたらな…と勝手ながら思っています。また良ければいつでも死にトリを訪れてください。お待ちしています。

感想2

「出来ていたはずのことが出来なくなる」という感覚を受け入れるのはとても難しく、自分の中で思い描いていた「自分像」が崩れることは、アイデンティティの崩壊ともいえるのかなと思います。どの状態の自分が「自分の正常」なのか?とわからない・不安なまま、外側に見える状態だけを見れば「何も出来ていない」という状態だけが目立ってしまうような自分の生活をふまえて、「いったい何を信じればいいのか」と苦しみ続けている様子を感じました。
人は変化するものだと思いますが、その変化が自分や周囲の人にとって「よい変化」と認定されないと、途端にマイナスなイメージを持たれてしまうような気がします。
投稿者さんはご自身の変化や現状を「逃げてきた代償」だと書かれていました。「変化」ではなく「逃げ」と感じる背景には社会的な風潮や周囲の反応の変化もあるのかなと、漠然とですが想像しています。同時に、(仮にそれが「逃げ」だとしても)逃げ出した先で誰かに手を取ってもらえたり、急に変わったのではなく「積み重ねてきたもの」なんだと受け取ってもらえたら、逃げた自分さえも責めずにいられるのではないかとも思います。

苦しいことや辛いことから離れようと踏み出したとき、それをシンプルな「選択」や「変化」として受け取ってもらえるような世の中であってほしいと感じています。自分の心の傷に気づき、それがどんな構造をしているのか知ろうとする向き合い方は、ひとつの「強さ」だと私は思いました。

お返事

お返事ありがとうございます。
丁寧に向き合ってくださり、とても嬉しかったです。
きょうはくというのは私にとって自分を奮い立たせるための決意が自分自身を脅す形になってしまっているような気がしたので、「脅迫」の方であると思います。
経験談を書いてお返事をいただくまでの間、色々な心境の変化や周りとの関わりの変化がありました。学校に行けず、家にいても勉強できない、そんな状態が続いている中、担任の先生との進路面談がありました。私は先生に宿題を出せていないことや学校に行けていないことについて何か注意を受けるのではないかと思い怯えていました。学校行かなきゃ、行けないならせめて何かしなきゃというのは何度も自分に言い聞かせてきたことだったので、きっと今の自分に言われたら、焦って空回りしてという状態を繰り返して、事態が悪化していくのではないか。図星すぎて立ち直れないのではないか。と思っていました。ですが、先生は完璧主義で極端になってしまいがちな私の性格を見抜いてくださっていたようで、「ぼちぼちやればいい。」、「宿題が終わってなくても学校来な。待ってるから。」と言ってくださいました。私が苦手なこと、今の私にとってハードルが高いことを極力取り除こうとしてくださっているように感じ、なんだかホッとしました。そして、今までの担任の先生の言動や態度から正直、厳しくて怖い先生だと認識してしまっている部分があったので驚きました。
少し前に養護教諭の先生と「わからないって1番怖い」ということについて話したことがありました。私は先生の思いがわからなかったから怖がっていたんだと思い、なんだかその話が腑に落ちたんです。
周りに本当の自分の気持ちを否定されたら不安でなかなか本音を言えないというのは、周りの人の気持ちが「わからない」からで、将来のことが不安になるのは未来がまだまだ未知数で「わからない」ことに溢れているからなのだと思いました。そして、私が自分自身の決意に駆り立てられてしまい、脅迫概念のように感じてしまうのは、私が私自身の気持ちを「わからない(理解しきれていない)」からなのだと思います。
ですが、返信をくださったことで自分の気持ちを少しだけ知ることができたような気がします。私の自分自身に課したものは、周囲への訴えでもあるのだという考えにハッとさせられました。助けてというとメンヘラ扱いされてしまうのではないか、それぐらい大丈夫と無いもののように扱われてしまうのではないか、そんなふうに周りに相談することに恐怖心を抱いていたため、私は周りに自分の気持ちを伝えることをあまりしてきませんでした。だからこそ、抱え込んできたものが自分自身への罰のような形になってしまいましたが、周りの人に言えずに溜め込んできてしまった思いでもあるのだと感じました。
それに気づくことができたのは返信をくださったおかげです。本当に感謝しています。
まだまだわからないことは多いし、うまくできないことも多いです。
だから一つづつ、周りの人と「一緒に持つ」ことを覚えていこうと思いました。周りのことも自分のことも今よりもっとわかるようになれば、信頼することも徐々にできるようになると思うんです。
なんだか肩の荷が下りて、「生きる」という行為が軽やかで素敵なものあるような気がしてきました。
様々な理由で憂鬱になってしまうことはこれからもたくさんあると思います。(正直、先生との面談の際も、こんなに気を遣ってもらって申し訳ない。甘えていられないと自分自身を責めていました。)私は日によって気分がコロコロ変わることも多いので。
でも、そういう時は、焦らず立ち止まってわからないことを一つづつ紐解いていこうと思います。

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