経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

助けてって誰かに言えたら

テレビのドラマや、アニメ、YouTubeで流れている本当に辛い時に会いに来てくれたり、しょっちゅう心配して連絡くれたり「お前の味方だから、辛かったら言っていいんだ!」とよく聞くセリフをゆってくれる 
心から寄り添って話を聞いてくれる人が居たらきっと死にたいの、助けてってどんなに楽に言えるだろうなあ。

生憎家族にも友達にも周りにもそんな事言える人がいない。
助けて なんて言ったって自分でどうにかするしかない。助けて貰えるなんて思ってない、そんな甘ちゃんな考えがいいはずもない。

ただ私は心から寄り添ってくれる人が1人でも欲しいだけ。
そしたらこんな毎日”偽りの仮面”をかぶらなくて済むよ。

もう”周りによく見てもらうためのいい子”になって無理矢理自分を押し殺して周りに合わせるのは疲れたよ、疲れたんだ。

誰か本当の仮面をつけていない私をどうか見つけて。

感想1

「助けて」という言葉は、とてもシンプルですが誰もが生きる上で必要な場面が出てくるはずの言葉。その言葉が言いにくくなっているような気がするのは、私だけでしょうか?すごく大げさな言い方になるかもしれませんが、なんだか社会全体が「誰かに迷惑をかけるな」という暗黙の風潮が漂っている気がします。

「助けてなんて言ったって自分でどうにかするしかない」と書かれていましたが、過去にそのように思う、突き放されたような経験があったのかなとも想像しました。誰かを信じ傷つき、そして仮面をかぶることに決めたのかとも思いました。

悲しいことに、人間はテレパシーが使えず誰かのしんどさにいつでも気づけません。ともすれば、この人は大丈夫とさえ捉えられたりします(私自身、いつも「大丈夫そう」という言葉を投げかけられてきました)もしかしたら、周囲に対しても「助けて」の免疫を持ってもらう必要があるような気がしてたりもします。

自分自身が苦しくて辛いのに、そのことだけに集中できないなんてと納得できないような気持ちにもなりますが・・・そんな時は、相談機関や学校ならばスクールカウンセラーなど、相談されることを仕事にしている人たちに話をするのも良い方法かと思っています。あの手この手を使って、「助けて」を実践していくことで自分自身を守る方法にもなりますし、誰かの「助けて」に気づきお互い様の関係ができるかもしれません。「助けてって、誰かに言えたら」という言葉は色んなことを考えさせてくれました。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

私自身、誰かに「助けて」と言えたことはあっただろうか…と考えながら読みました。
辛いとき、しんどい時に「我慢しないと」「隠さないと」という方向に進んでしまうのはなぜだろうと考えながら読みました。それは誰かに助けを求めても上手く受け取ってもらえなかったり、助けを求めることすら許されない雰囲気を出されたり、「これは助けを求めていい内容なのだろうか」と自信が持てなかったり…など、いろんな理由があるような気がします。
しんどい時こそ自分が揺らいでいるから、色んなことを考慮して「ほどほどに発信しよう」とするのはすごく難しいことですよね。そんなとき「大丈夫かな」としんどい気持ちをキャッチしてくれたり、キャッチするのは難しくても自分のペースを保たせてくれるような雰囲気があったら、頑張って助けを求めなくてもそこに居られるのにな、と思います。
今、投稿者さんがいる環境は「偽りの仮面」をつけていないと孤立してしまうような場所なのでしょうか。しんどい気持ちのままでも、せめて一人でボーっとしていることすら難しい状況なのだとしたら苦しいよなあと思います。ここでは気持ちの荷が下せるといいなと感じました。

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