人生の記憶がほとんどない。
便利だったはずが、最近はそれが怖くなって、今年は1月から日記をつけている。
最近、体を取り戻した。
リストカットもできなくなった。
切らなきゃ水中で息を止めてるみたいに苦しかったのに、痛みの方が真に迫って、圧倒されてついにしなくなった。
体を取り戻して得たものは、痛み、傷の引きつれる感じだけじゃない。
夏は暑くて冬は寒いとか、だから、風は季節によって心地よさが違うことを知った。
食べ物には味があること。お腹が空くと、内側から細胞が栄養をとるために共食いを始めるみたい。我慢できなくて、皆はこんな苦しさをどう耐えてきたのかが気になってくる。
それで一日中、ほぼ1時間ごとに一口ずつ何かを食べ続けて飢えをしのいでいる。
とにかく、情報量に圧倒される。
人生の他人事感が減った。
寂しさが迫ってくる。あまりにも何もない人生。
虚しさを埋めようと足掻いて、疲れ果てて、また引きこもっている。
楽しいと思うことに慣れない。感情の起伏に疲れてしまう。
お祭りの終わった寂しさが怖くなる。いつかは慣れたい。
さらに、悪い生活をしたせいで体がずいぶん痛んでいることもわかった。
病院をはしごして、定期通院もあって、もう、人生の登場人物が医療福祉関係者と書店員と親族しかいない。
それと、幻覚の友だちである杏ジャムちゃんだ。
杏ジャムちゃんはいないから、私が倒れても人を呼べない。
でも、いつでもオセロと絵しりとりに付き合ってくれるから好き。
杏ジャムちゃん以外の人と話そうとすると、心身が虚弱で人生経験に乏しい劣等感がひどいせいで、対等な関係を築けない。いつも気が付いたら八方美人になってしまう。
発達障がいの診断はあるけど、ずいぶん前のもの。
子供の頃に受けたきりだものね。
経験の乏しさと感情と空気を読む力のバランスの悪さからコミュニケーションが苦手で、体力もなく、感受性に頼りきりなせいで生きづらい。なんだか私は幽霊みたい。
扇風機は一生懸命働いてくれるけど、熱くないのかしら。かつての私のように感じないから動けるの?
何を問いかけても首を横に振っている。扇風機はよそよそしい。
ただ、しみじみと寂しい。
とにかく、この文章はなるべく人生の主語を「私」にしたくて書いた。
いるともわからない誰かの気持ちを先回りして自分の気持ちを押しつぶすのをやめる取り組み。
感想1
投稿を読ませていただきました。「私は幽霊」というタイトルや「体を取り戻した」という言葉をふくめ、全体的にとても共感しながら読みました。記憶がほとんどないということで、過去のことが書かれているわけではなく、あなたの現在について書かれた経験談だと感じました。最近にいたるまでのあなたは、体も感覚も感情も遠くに切り離すことで生きてきたのだろうと思いました。それは解離や離人感…といったものといえるかもしれませんが、なんにせよ、あなたの人生の中で必要に迫られてそのような状態だったのだと想像しています。そして、それを前提として、あなたの生活は成り立ってきていたのかなと思います。だけど「体を取り戻した」あなたには、今までの方法はそのまま使えるものではなくなり、全然違う状況でさまざまなことに圧倒されたり、慣れないなりにさまざまなことを知ったり、困ったりしながら、新しいやり方を模索しているように感じました。
共感したと書いた私が、実際には、あなたと似た状況ではない部分もあると思うのですが、私も数年前体を取り戻した……とまでは言い切れなくても体を取り戻しはじめたように感じています。昔より、電車の音がつらくなったり、自分の冷えている体に気づいたり、どんなことで疲れるのか、体調の変化にリアルタイムで気づくようになったりする中で、むしろできることは減ってしまったような気もします。
でも、実際は自分がこれまでわからないままたくさん無理をしていたということなのだと気づくと、自分の体がなにを感じているのか、それがどうしたら落ち着くのかにもっと目をむけようと思うようになりました。風や光や、さまざまな周囲を取り巻くものの心地よさを感じられるようにもなりました。
そして、私も、これまで「悪い生活をしたせいで体がずいぶん痛んでいることもわかった」中で、予定の多くが「通院」になっている現在です。あなたの場合も「悪い生活」というのも、その時のあなたには他に選べなかったことであったり、わからない中では仕方なかった要素も大きいのかなと想像しました。
また、杏ジャムちゃんとの関係も、あなたをこれまで助けてきたものなのかなと思います。逆に杏ジャムちゃん以外の人との関わりは、あなたにとってつよい緊張を強いられるものなのではないかとも思いました。
私の部屋の扇風機は、触れてみると、すこし熱くなっていることがあります。私も自分の部屋のさまざまな無機物に、なんとなく、たましいというか「存在」を感じてしまうことがあります。がんばれと応援したくなったり、どうしたのと尋ねてみたくなったりします。たましいを感じているというか、自分の心を勝手に分け与えたような感覚になってしまうだけなのかもしれませんが……。
タイトルや、文章全体から、あなたの感受性と、その中の静かな寂しさみたいなものを感じました。あなたの記憶が遠のいていくときも、日記に、あなたの足跡がすこしずつきざまれてくのかもしれません。あなた自身を主語にする取り組みのなかで、経験談を投稿してくれてありがとうございました。またあなたの言葉を読めたらうれしいです。