経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

後悔と苦しみを背負って

私は小学4年生の頃、1人の友達に対して嫉妬してしまいました。元々、大人数が苦手だった私は、数少ない仲良しの子(仮名 A子ちゃん)に依存的な感情を抱いていました。

その日以来、A子ちゃんと少し距離を置いてしまって、辛くて苦しくてどこにもやれないこの思いを発散するように、リスカを始めてしまいました。
先生に見つかって親にも言われて、お母さんはなんでこんなことをしたのかと問い詰めてきて、お父さんは厳しい目で見てきました。
許されるはずがないことをしたのだから、当たり前だと自分に言い聞かせながらもうリスカはしないとみんなの前で約束をしました。

でも、A子ちゃんとの事があって、私は人に依存してしまうようになりました。元カレの浮気が原因で人を疑うようにもなりました。
勝手に依存して、期待して、裏切られる。
誰も悪くないです。私が悪いんです。
身内に幸せそうな人がたくさんいて、とても憎たらしいんです。恋人がいて幸せそうに笑う人や、頭が良くてテストでも毎回いい点とってる人、友達が多くて毎日が幸せそうな人、好きなことに没頭して充実している人。私以外みんな幸せそうで憎たらしい。

急に涙が出る時があります。その時はいつも、どうして私ばかりと神様に向かって八つ当たりします。
私も幸せになりたい、過去のトラウマから抜け出して普通になりたい、人に愛されたい、必要とされたい。

今日も学校に行けてないし、リスカもやめれてないけどちゃんと生きています。こんな子供に育ってごめんなさい。これからも一生、後悔と苦しみを背負いながら生きていきます。

感想1

タイトルにある通り、とても強い後悔の気持ちが伝わってきました。ただ、読んだ私としては「そんなに謝るような悪いことは、全然していないよ」と心の中で声をかけていました。あなたの中では学校は行くことが当然で、学校に行けないことはよくないことだと思っているのでしょう。また、リスカも同じくよくないことで、やめなければならないと思っているのだろうと思いました。おそらく、親を含めて身近な大人からそうしたメッセージを受け取ってきたのだろうと思います。(リスカを知った際の先生や親の反応からもそんな雰囲気を感じました)
私はそういう一般的な考え方と全然違う意見を持っています。学校は行きたくて行くのなら全然構わないし、学ぶ場所として意味のあるところだろうと思いますが、苦しい思いをしながら無理をしていく必要はないと思っています。(死にトリの連携サイトの生きづLABOというサイトにこんな記事があります「①学校って行かないとダメなの? | 生きづLABO 」https://ikidulabo.com/sos/gakkou1/)
そして、リスカも依存(アディクションという言い方をすることもあります)も全然悪いことではなく、つらさや苦しさを一人で何とかしようと努力をしているからの行動で、無理をしてやめようとしなくてもいいと思っています。(リスカについても生きづLABOの質問箱を紹介しますね。「Q.自傷をやめなくていい理由を詳しく知りたい | 生きづLABO」https://ikidulabo.com/directorsroom/q-jishou-yamenakute/)
そのうえで、これだけ自分のことを客観的にみつめて分析し、真剣に考えることができる力があるからこそ、苦しいのかもしれないとも思えました。ここまでの考察を一人で抱えるのは苦しいことだろうと思います。だから、こうして書いて送ってくれたことを歓迎します。もう一人ではないので、また死にトリが役に立ちそうならいつでも来てください。そして、利害関係のない匿名のチャット相談なども、一人で抱えるモヤモヤを整理する機会になるかもしれません。あなたの声は同じようなモヤモヤを抱える人たちの何かの力になると私は思いました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。文章を読んで、まず感じたのは小学4年生の頃に抱いた「嫉妬」や「依存」や「裏切り」といった感情をここまで正確に捉え、それを自分自身で「悪いこと」として内面化していることに正直ちょっと驚いている自分がいます。(断じてそんなことはないですが、バカにされたように感じられたらすみません。少なくとも幼い頃の私はここまで考え、言語化もできなかったと思います。)
A子ちゃんとの出来事は、ただの“友人関係のすれ違い”ではなく、あなたにとっては大切なつながりが失われて、自分の存在価値や愛される資格にまで疑問を投げかけるものだったのだと思います。大人数が苦手な中で、ようやく見つけた安心できる居場所が壊れてしまったこと、その痛みをどこにも吐き出せず、自分の身体に向ける(リスカする)ことでようやくどうにか保っていたのだとすれば、それは「許されない行為」ではなく、精一杯のSOSだったと私は感じました。私も学生時代、仲の良い子に依存してしまい関係が壊れてしまった経験を何度か繰り返していることもあり、あなたの苦しさに痛いほど共感を覚えています。
他人の幸せが「とても憎たらしい」という言葉はあなたの素直な感情で別に悪いことではないと私は思います。この社会は、「他人の幸せを喜べる人間であれ」といったようなことを無意識に求められて育つことも多いですが、自分が苦しい時に他人の幸せにまで気を配るなんて酷なことで、あなたの抱く感情はごく自然なものなのではないかと感じました。そしてあなたはその感情を自分の心の一部として否定せずに書いているということは、それだけ既に感情と向き合う力を持っている証のようにも感じました。
リスカをやめられなくても、学校に行けなくても、「ちゃんと生きている」と自分で言える、それだけで今は十分だと私は思います。どうかこの先、少しでもあなたのままで安心して過ごせる場所や人に出会えることを願っています。その場所の一つとして死にトリがあれたらなとも思いながら、また何か伝えたいことや外に出したい思いがある時はいつでも訪れてください。お待ちしています。

一覧へ戻る