私は半年〜1年に1度、「死ななきゃいけない」と強い焦燥感にかられることがあります。
初めて死にたいと思ったのは小学4年生の頃でした。
当時、幼いながらにも「持ってはいけない感情だ」と思い、誰にも打ち明けることができず、クローゼットの中の奥に死にたいと書いた紙を貼り発散していました。
昔から社交的で人と話すことが大好きだったため、周りにそれとなく死生観の話をしましたが、死にたくないと思っている人はいても死にたいと思っている人はいませんでした。
その日を境に今までずっと希死念慮にとらわれていて、元々虚弱体質なのもあり、心身ともに健康な日は1年に1度あればラッキーな状態で生きてしまっています。
メンタルクリニックには通っていて、パニック障害と醜形恐怖症の診断はおりていますが、肝心の希死念慮については何を話せばいいのか分からず話せていません。
自分が死にたい理由が分からないです。
過去、恋人に相談したこともありました。
ただ、原因になりうるものや、なぜそう思ったのかなどを考えると突然頭が真っ白になってしまい、言葉が出てこなくなってしまいます。
自分でも原因が分からないまま、自分の中でストレスが溜まってしまい、死にたいから「死ななきゃいけない」に変わってしまいました。
ここ数年、突然発作のように死ななきゃいけないと焦り、涙が止まらなくなることがあります。
助けようとしてくれた人と対話してもだめでした。
何故死ななきゃいけないのかと聞かれても、分からないんです。
自分でも何故か分からないけど、なるべく早く、今すぐにでも死ななきゃいけないと思って必死になってしまいます。
もちろん、話した相手はそんなことはないと否定してくれるし、私のことを好きでいてくれる人がいるのも分かっています。
死ぬ必要がないことだって理解はしているのですが、どうしても死ななきゃいけないという気持ちがなくなりません。
長くなるので割愛しますが、家庭環境が極端に悪いことや、虚弱体質なせいで一般的な職業につけないこと、休みが多くなることで存在意義を見失っているのだろうと思います。
今までたくさん環境を変えようと動きましたが、全て無駄になってしまい、もう生きるために努力したくないと思い始めてから「死ななきゃいけない」と強く思うようになりました。
ただ、そこまで焦るほどの分岐点になるような出来事に心当たりがありません。
自分でもどうしたらいいか分からないものを人に相談するのも難しく、解決できずにいます。
このような普通ではない人間になってしまったのが本当に色んな人に申し訳ないです。
死ななきゃいけないという焦りに従わずに過ごすのが本当に難しいです。
それほど衝動的になってしまう強い希死念慮とどう生きていけばいいのか分かりません。
感想1
「~しなければならない」という強い思いは、一体どこからやってくるんだろう…とぐるぐるしながら読みました。自分の心が生み出しているのか、誰かに思わされているような…なににせよとても怖い感覚のように想像しながら、感想を書いています。
死にまつわる思いはいろんな形で表現されますよね。「死にたい」「死ぬしかない」「消えたい」などなど…中でも「死ななきゃいけない」という言葉は、投稿者さんも書いてくれているように強い焦りや切迫感のようなものを感じます。一方で、「それがどうしてなのかわからない」とすると、言葉に依る強さと体感が自分の中で上手くつながらず、戸惑うような気持ちもあるのではないでしょうか。
少し私の話をすると、私はずっと「死ぬしかないんだ」と思い続けていました。それは、自分の社会的な能力や継続力のなさから、どうしても学校や仕事に馴染めない、「ここには居られない」と思っていて、「自分には生きる道がないんだ」と心から信じていたからです。
いわゆる「社会のレール」に乗れず、それ以外の選択肢も提示もしてもらえず、ひたすらに適応できない自分を責めるしかない、という構図は、私に限らず誰しもに起こっていることだと感じます。投稿者さんが同じ理由を抱いているかはわかりませんが、そういった社会の「圧」が怖いくらい浸透していて、無意識に私たちを苦しめているのではないかと、私はよく考えます。
「死にたい」という言葉や気持ちは、極個人的なものとして扱われることが多い気がします。気持ちは人それぞれ違うので、そういった意味では「個人的なこと」なのですが、先ほど書いたような社会の圧だったり、周囲の環境だったり、働き方のバリエーションの少なさだったり…と、目に見えない窮屈さ・息苦しさがたくさんあって、自分(個人)だけで跳ね除けたり、誰かに簡単に取り払ってもらったりできるものではないんだろうなあと思います。同時に、その希死念慮に突き動かされて耐える時間、自分で自分がわからない怖さなど、そういったものはいくら想像しても、共有しても、本人にしか分からない実感があるとも思います。投稿者さんの中に渦巻く言葉になっていないもの、どうしていいかわからないものを、言葉として外に出すことが、まずは1つの助けになればいいなと感じます。