経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

うつ病と複雑性PTSD、解離、不安障害、依存症、仕事への執着

 幼少期のことはぼんやりとしか思い出せないが、おそらくは波乱に満ちたものだったと思う。
 母親は、こちらからは理解できないようなきっかけで癇癪を起こし、父親に暴言、暴力をしたり、私や兄に対して罵詈雑言を毎日のように浴びせてきた。「私はいつでもあなたたちを捨てて、(女として)やり直せる。」と、父や私のいる前で何度も口にしていた。
 父親は、仕事で不在のことが多く、私や兄の学校生活のことには何も関心を示さず、家にいるときには母親からの暴言に耐えかねて物を壊したり、大声で母親を罵ったりしていた。
 私は父母の顔色を伺い、常に緊張し、恐怖に陥っていた。いや、「恐い」と感じることすら許されない環境だったかもしれない。何も感じないようにしてきた。心と身体を切り離し、何も聞こえない、何も思わないようにして自分を守った。言ってみれば「解離」である。そのツケが成人してからやってくるとは分からずに、上手くやっている、と思い込んでいた。
 学業成績は良くて、幸運なことに友人関係にもそれほど悩まされることもなく学校生活を送ることができた。家庭学習も自ら進んでやり、高校受験では、県内トップの高校に無事合格した。父母が褒めてくれることはなく、むしろ母は「調子に乗るなよ。」と言ってきたが、何とも思わなかった。
 高校でも友人に非常に恵まれ、成績にも困らず、たまたま友人に誘われて入った部活で自分の居場所ができ、活動に熱中した。全国大会にも毎年出場した。勉強も一生懸命やった。父母にあまり迷惑をかけたくないと思い、塾には通わずに自力で学習し、国立大学に入学した。
 大学入学後は、家庭環境による負荷も私の限界に到達しつつあったのかもしれない。母は、初めての就職先で挫折を味わって早々に退職した兄に罵声を浴びせ続け、私にも兄の愚痴を深夜まで長時間聞かせるなどした。そのうえ、就職活動中の私に対し、「あんたは見てくれで落とされるからどこにも採用されないね。」と笑いながら言ってきた。私は、家の中で隠れて抜毛するようになった。抜毛が続いたある日、家のゴミ箱に溢れている髪から私の抜毛を知った母が、私を心配するではなく、「何やってるんだよ!」と恫喝した。
 それでも志望していた就職先(児童、家庭福祉関連の会社)に無事採用され、ホッとしていた矢先、母は、「そういう仕事をするなら、私の離婚したいって気持ちがよく分かるようになるわ。」と満面の笑みで父と私の面前で言い放った。このときも、情け無いことに何も感じなかった。
 就職してからは、一生懸命仕事に励み、頻繁な出張とデスクワークを両立させ、残業も沢山した。達成感や楽しさを感じる場面も多く、充実していた。また、就職をきっかけに親元を離れたので、一人の時間を確保できることに安心していた。ただし、周囲からいくら褒められても自分の仕事に納得できず、自分にダメ出しする日々であった。
 そのうちに、無理がたたって不安障害を発症してしまい、休職する事態となってしまった。
 転院先の病院で、うつ病と複雑性PTSD、解離、不安障害を併発していると告げられた。信頼の置けるドクターからの言葉だったので、素直に受け止めることができ、自分のことがわかって安心した。長年の苦しみに終止符が打たれ、これまでの努力が報われた思いだった。
 とは言っても、病気の苦しみがすぐになくなるわけもなく、現在も、休職が長引いており、未だ仕事に復帰できないでいる。最近では、抜毛が止んだ代わりなのか買い物依存に陥ってしまい、カードローンを抱えてしまっている。まだ貯蓄で賄える額ではあり、今後の対策としてクレジットカードを手放すつもりでいるが、不安は付きまとう。
 それから、児童や家庭を支援する仕事を手放したくなく、一刻も早く復職したい気持ちで落ち着かない。これでは療養にならないので本末転倒であるが、一日の大半を仕事のことに思いを巡らせて過ごす毎日である。果たして復帰できるのだろうか。

感想1

これまでの経験を整理して、この先を見出そうとするような姿勢を感じました。必死に生きてきたあなたが真剣に綴った語りを共有できた実感を静かに受け止めています。
もっとも印象に残ったのは診断名を告げられた時のことです。「自分のことがわかって安心した」と書いてありましたが、私も読みながら「よかった」と心の中でつぶやきました。その前提として信頼できるドクターからの言葉だったからとあり、医療系の大学で学んだことがそうした医師との出会いや信頼関係の構築にも関係してるのかなとも考えています(違ったらすみません)。
私は子どもの頃から長期間、虐待の環境で育った人たちとトラウマの勉強会をした経験があります。ハーマンの「心的外傷と回復」を用いて、複雑性PTSDのことを理解していったのですが、ハーマンは回復のためにはまずは確かな医療機関によって診断をつけることが第一歩として必要だと強調していて、あなたの経験と重なりました。そういう意味では、最後に「果たして復帰できるのだろうか」という問いに対して、回復が進めば復帰できると信じたい私がいます。そして、回復して復帰してほしいと願う気持ちもあります。なぜなら、こうした経験をしたあなただからこそ、児童や家庭を支援する上で発揮できる力があると感じるからです。私自身も長く子どもや家庭の支援に関わっているため、同じ職場ではなくても、同じ日本のどこかの自分の問題の延長として子どもや家庭に向き合う仲間が増えてほしいと思います。
とはいっても、アディクションの症状と共に生きていくことは簡単なことではないと思います。親とも物理的に離れたとはいえ関係は続いていくことによって、苦しさやジレンマなどもこれから訪れることもあるかもしれません。繰り返し書かれていた母からの暴言に「何も感じなかった」というシーンが私には印象的で、私は何も感じる必要はない、感じないことで自分を守っているのだろうと思い、トラウマの症状である「狭窄」の威力を感じながらも、回復して感覚や感情を取り戻していった時の混乱もあるのかもしれないと考えていました。そういった意味で、回復をしてほしいと願いつつ、実際にはそう簡単ではなく、回復の道もまた新たな苦しさが伴うのだろうと思っています。
医療機関とは良好な関係があるようなので、医療以外のサポートやつながりがあると心強いのかもしれないと感じました。同じ経験をした人との出会いや少しずつ仕事に戻れるような緩やかな働き方など、あなたが必要とする資源とつながることを願っています。死にトリも一つの社会資源として、あなたの語りを受け止め、こうして一緒に考え、あなたの経験から学びたいと思います。また、よかったら死にトリを訪れて語っていただけたらと思います。投稿、ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。幼い頃から自分自身を律し続け、常に何かに耐え、頑張り、決して誰にも迷惑をかけまいと生きてきたことが切実に伝わってきました。“生存のための努力”を、子ども時代からずっと一人で背負ってきたような、そんなイメージを抱いています。
家庭の中で、言葉が暴力のように振るわれるそんな環境の中で育つということは、ただ日々を送るだけで大きな消耗を伴うものだと想像します。まして、お母さんから発せられる「捨ててやり直せる」といった言葉や、存在そのものを軽んじる発言は、子どもにとって心の安全基地を根こそぎ奪うようなものだと思います。お父さんの不在や無関心、時々怒りが爆発してしまう姿もまた、家庭という場所に「安心」を感じる余地なんてなかったのだと感じました。
そうした環境中で、何も感じないようにしながら学校では成績を維持し、進学もしていったその成果の裏にどれだけの努力と忍耐があったのかと想像すると、“評価されること”と“心の満たされなさ”の乖離があなたの心をより苦しめたのかもしれないなと想像していました。母親からの「調子に乗るな」という言葉に何も感じなかったのも、それがあなたにとってはあまりに当たり前の日常だという感覚があったのかもしれないなとも思います。
志望していた職に就くことができ、その職業に対して責任や誇りもあったのではないでしょうか。だからこそ休職せざるを得なくなった時、後悔や焦り、自分を責める思考からなかなか抜け出せずにいることにも、深く頷けました。たとえ周囲に褒められても、「自分に納得できない」という感覚は、きっと長年にわたる“無条件の肯定”の不足から来ているのではないかなと思ったりします。自分がどれだけ努力しても、「それでいいよ」などと言ってくれる存在が幼少期から欠けていたことの影響は、成長しても根強く残り続けるものだと、私も決して家庭環境が良かったとはいえない中で育ったことで感じることです。
また、診断に至るまでの過程も、その過程で“今までの苦しみが正当なものだった”と肯定されたような感覚もあったのかなと。心の不調が“気のせい”ではなかったと確認できたという意味でも、よかったのではないかなと感じています。
一方で、過去の抜毛や今は買い物依存になってしまったのは、心の埋められなかった空白が別の形で表れたように私には映りました。回復過程でよく起こってしまうことだというのは私もトラウマについて学んだ時に知ることができましたが、だからといって簡単にそうした自分を許せるものではないですし自己嫌悪(否定)も日に日に増していくものだよな…と、それでもそんな自分と向き合おうとする力があなたにはあるのだと文章を読んで感じているところです。
「児童や家庭を支援する仕事を手放したくない」という思いが、この文章の中で何よりもまっすぐで強い気持ちが込められているなと私は受け取りました。家庭の苦しみの中で生きてきたからこそ、その痛みを知っているあなただからこそできることってあると私は思います。当事者性があるというのは時として強みにもなります。回復はきっと可能で、その手放したくないという思いが回復に繋がる力にもなり得るとも思いました。
復帰を急ぐ気持ちは当然のことだとは思いますが、あなたがこれから他者の人生を支える側になるためにも、まずはあなた自身の回復を最優先にすることが、今は必要なことなのではないかなとも思いました。どうかこの先少しでもあなたが安心して過ごせる時間が訪れることを願っています。育ってきた環境や依存に悩む一人として私はまた一緒に考えたり、あなたと言葉を交わせたらなと思いました。良ければまた死にトリに声を届けてほしいです。

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