私は物心つく頃から違和感を感じて今も生きています。幼稚園のころから、私はずっと虫や自然、野生動物達が大好きでした。幼稚園の頃はそんなこと否定されず、ただただそうゆう子なのだと思われていたんだと思います。小学校中学年に入り、虫、蛇やトカゲ、危険な生き物(猛獣など)が好きな女子はほとんどいないと初めて知りました。もちろん、1人や2人ならいましたが、そのせいで私はいじめに遭うようになりました。なぜかもう1人の子はいじめには遭いませんでした。今思うと私はその頃から人付き合いが下手だったのだと感じます。忘れ物をしたり、虫を捕まえて観察したり、植物の葉を観察したりと変わっている人ではあったのかと思いますが人付き合いさえ上手ければいじめには遭うことは無かったのではないでしょうか。小学校のある時、私はいじめのことを先生に相談しました。その時先生が言った言葉が衝撃で今でも鮮明に思い出すことができます。「忘れ物をすることが多いからあなたはいじめられるんですよ、それは当然だと思います。もう少し忘れ物をしない努力をしましょうね。」と言われたんです。私が忘れ物をすることが多いのは事実ですし、その事について努力しない私も悪かったのだと思いますが、忘れ物をしても愛嬌がある人はいじめ等とは無縁です。むしろいじめる側に回っていました。もう私は家族に頼ろう、話そうと考え、相談をしました。いじめられていて辛い、もう学校に行きたくは無い、先生も味方はしてくれないと子供ながらに一生懸命に説明したのを今でも覚えています。その結果親は先生と同じようなことを言いました。全ては私が悪いんだと思いながら過ごし、小学校の6年間は幕を閉じました。その頃に、私の母は痺れを切らしたのか離婚し、家を出ていきました。中学生になり、私はいじめとは無縁になったと思っていました。友達はできて、先生も味方で、クラスメイトもよく話すとは言いませんが話せるようになれたからです。ですが1年生の後半になるにつれみんなの私への反応は変わっていきました。明確にこれはいじめだと気がついたのは掃除の時間でした。私の机だけが倒され、みんなは笑い、教科書やノートはそこら辺にばらまいて遊んでいました。私が見ていることに気がついた瞬間、みんなは固まり、笑いを浮かべているだけでした。もう本当に信用できる人なんてこの世に居ないと思いました。この頃に私は学校と家族から気持ちだけでも、身体だけでも離れようと、体を傷つけたり、家出をして神社で一晩を過ごしたりし始めました。中学の3年間はほぼいじめられる期間でした。家族はずっと、ずっといじめられる側の、私の気持ちなんて分かってくれず、むしろいじめる側に徹していきました。優秀な兄を持ちながら、私はずっと真面目だけど優秀とはかけ離れた存在で、兄だけ優遇され私が差別的に扱われるのも仕方の無いことでした。高校に入り、やはり最初は幸せでした。友達はできて、先生は友達のように接してくれて、クラスメイトは素行不良だけどみんな根は優しくて楽しかったです。そんな中私はある男の子に喧嘩をふっかけられました。後で理由を聞くと「俺の事酷いあだ名で呼んでるだろ」と。まず関わったこともない人にどのように喧嘩をふっかけるのか、そもそもに私はあだ名を付けるようなタイプではなく、仲良くなっても呼び捨てをするぐらいでした。そうその子に説明をするも虚しく、全く通じませんでした。むしろエスカレートしていき、ロッカーにガムが吐き捨てられたり、廊下を歩くだけでその子の仲良くしているグループの子たちから悪口を吐かれる始末。耐えきれなくなり私は不登校になりました。そんな中先生はある提案をしました。「スポーツ大会があるからそれは出てみないか」と。体育着登校をすることが決まりでしたが私は学校に体育着を置いていて、取りに行けず友達に持ってきて欲しいとお願いをしました。持ってきてくれてありがとうと伝え、次の日のスポーツ大会は楽しく過ごすことが出来ました。おかげで学校へ行く勇気が出て、次の日の学校へ向かいました。すると体育着を届けに来てくれたAさんが「𓏸𓏸〜!ビックニュース!」と言うのでどうしたの?と言いながら駆け寄りました。「命令すんじゃねぇよ、殺すぞ」といきなり言われました。頭の中には無数の「?」しかありませんでした。なんの事?どうしたの?と聞くと、体育着を届けにお願いをした事でした。私は命令のつもりでもなんでもありませんでしたから驚きました。命令ではないと何度説明しても、苛立っているからか聞く耳を持たず、ただただ私は罵倒されました。私側は1人、Aちゃん側は6人でした。勝てるわけもありませんでした。口を開けば罵倒、耐えきれなくなり保健室へ逃げ、家へ帰りました。1年生の間は基本的には不登校、時々行っても保健室登校という形で過ごしました。アルバイトをして、お金を稼ぎ、時間を過ごし、頑張っていました。ある時アルバイトで入れないですと言った所に勝手にシフトを入れられていました。そんなことも知らずに家にいた結果、無断欠勤だということになり、クビにされました。親にも罵倒される毎日となりました。無断欠勤だと企業は説明したからです。何度説明しても罵倒される毎日、苦しくて、辛くて、ネットカフェに頼るようになりました。2年生になり、クラスも変わったこともあり、学校へ行けるようになりました。次のアルバイトも始め、楽しくやっていましたが、教わってもいないことを任せてはこんなことも出来ないのかと、因縁をつけてくるパートの方がいました。なら教えてくださいと言ったら、年上にそんな口を聞くんじゃありません!と逆ギレをされ、何かがプツンと切れてしまって、また辞めてしまいました。親はもちろん、兄弟、従兄弟、祖父母までもがバイトを辞めたことを咎めて来るようになりました。私が説明をするも「いいからそんなこと言ってないでバイト行けよw」「アルバイトしてないってばw」と、そんなやり取りをすることが増えて、どんどん心は削れていきました。親だけは、親だけでも、私の味方でいてくれたら、きっと自傷行為もしていない、ここに言葉を綴ることもない、心を病んで眠れないこともない、そう考えると親が、家族が憎いと感じます。今私は色々と悩んでいることがあります。こんな親だったし、こんな環境だったから相談できるような所もありません。人と繋がりたいとは感じています、信用したい、仲良くなりたい、逆に信用して欲しい、仲良くして欲しいんです。ただ、人を信用出来ないんです。どうせ裏切られるとか、悪い考えばかりは達者なんです。そんな私にも、ちゃんと信用したいと思う人達が出来ました。今までに出来た裏切られた友達とは何か違うものがある気がするんです。そんな人が7人もできました。1人目は優しくて友達思いで良くも悪くもどこか抜けてる人、2人目は大人っぽくて優しくて頼れって言ってくれる人、3人目はふわふわしていて話し方が優しくてお姉さん感がある人、4人目はよくふざけてみんなを笑わせてくれる人、5人目は言葉は優しいんだけど言い方が少しとげとげしてて、でもきっと友達思いで優しい人、6人目は元気で良く笑って優しくて努力家な人、7人目はゲーム好きで優しくて包容力があって何より私が辛いことにいち早く気がついて何も言わず寄り添ってくれる人です。なぜ裏切られた友達と違うと感じるのか分かりません。ただ信用したい、出来るかもしれないと感じさせてくれるし何よりずっと一緒に居たいんです。いずれ私のことは全て話そうと思っています。信用出来たらきっと話すと思います。こんな私でも受け入れてくれると嬉しいなと考える今日この頃です。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
今までと今
感想2
一文目の「違和感」という言葉が気になり、感想を書いています。
投稿者さんがこれまでに感じてきた「違和感」は、その時々で形を変えてあらわれ、時には投稿者さんを傷つけるものでもあったのかなと、感覚的にですがそう捉えながら読みました。
年齢を重ねて、「人と違う」ということは「良くないこと」と見做されがちな「社会」に近づいていくにつれ、人が人に対して態度や言動で差別したり、排除したりする光景を目の当たりにする(自分がそれを受けてしまうこともある)機会が増えていくと思います。
投稿者さんもまた、小さいころから、クラスメイトや先生・親などといった大人たちの態度や言動によって、漠然とでも「自分は人と何か違うのか」という感覚(違和感)を周囲の人からもたらされてきたのかなと推測しました。
同時に、これも勝手な想像かもしれませんが、投稿者さんは「ずっと戸惑い続けている」のではないかな、という印象を抱きました。例えば、「どうして同じものが好きなのに、私だけがいじめられるのだろう?」という”対応の違い”を感じたり、「どうして親は私の味方をしてくれないのだろう?」という”求めているものとの違い”を感じたり…でもその「どうして」をぶつける相手も機会もないまま、どうにか自分の中で自分自身のことや環境を咀嚼しよう、納得しようとし続けてきたような、そんなふうに感じられました。体の中で言葉に出来ない気持ちや処理しきれない出来事が積もりに積もっているようなイメージが浮かび、それもまたひとつの「違和感」なのではないかと考えました。
心無い言葉を投げつけられてきたことで傷ついて、人を信用するのが怖くなるのはとても自然な感情だと思います。そして、「信用」は決して片方だけの問題ではないと思います。いじめのように、態度の荒い側が強くなってしまうような一方的な人間関係も残念ながら存在しますが、お互いにお互いのことを考える対等な人間関係も存在します。だからこそ今、投稿者さんの身近にいる人たちが、そんな関係性を築ける相手だといいなと感じます。
よければまた、感じていることを書きに来てみてください。
感想1
ずっと周囲から理解されず、訳も分からないままいじめが続き、大人も助けにならない状況が書かれていたので、理不尽な思いやもどかしさを感じながら読み進めましたが、最後に今は頼れる友達が複数できた様子に少しだけホッとしました。
書き出しの子どもの頃の生き物が好きだったエピソードについては、実は私も同じように生き物がとても好きだったので、勝手に親しみを抱いています。私も女ですが、いわゆる一般的に女の子が好きそうなものは興味がなく、虫を捕まえてきてはいろいろな実験のようなことを一人でやってみたり、夏休みの間はだいたいは生き物の観察をしていたので、そんな時に出会っていたらいい友達になれそうだとも思いました。そもそも、子ども時代に興味を持つ対象に男女差はそれほどないと思うのですが、世の中の男の子らしさ、女の子らしさみたいなものがあり、違ったものが好きだと周囲から否定されたり、批判されたりすることがありますが、本当におかしなことだと思っています。
全体を読んで最も強く感じたのは、あなた自身が周囲から理解できるような説明を受ける機会がなく、自分だけでいろいろなことを処理してきたのではないかということです。自分にとって必要な情報を知ることができず、教えてもらおうと思っても、必要とされないような情報や助言が与えられてきたように思います。冒頭の生き物への興味もそうですが、あなたは自分の好きなことが明確にあったり、周囲の人たちとうまく関わりたいと思っていたり、自分らしく穏やかに過ごしたいという願いを持っていたことが伝わってきました。しかし、その願いのための具体的にどうしたらよいのかということをわかるように教えてもらえずに、ただ単に「忘れ物が多い」という現象を咎められるようなことが多かったように感じました。それは、日々うまくいかないことやいじめられることそのものでも苦しいと思いますが、さらにどうしていいかわからない、工夫や変化の方法が得られないという苦しみも重なって苦労をしてきたように思いました。
そういう意味では、今、理解しあえる友達がいることは強みになるだろうと思いました。とはいっても、友達関係も移り変わります。ずっと仲が良ければそれはそれでいいと思いますが、仲がいい人と距離ができたり、仲が悪くなったり、ちょっとしたうまくいかないこともあるかと思いますが、それらを含めて人とのかかわり方の経験値がこれから積み上げられることを願っています。また、必要な時には死にトリに来てください。