経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
なにをやってもうまくいかずに逃げ続ける人生
30代後半。
タイトルの通りです。
実際に診断されたわけではありませんが、いわゆる大人のADHDの節があり、これまでどんな仕事もうまくいかず、怒られては逃げ続ける人生を送っています。
何度言われても同じミスを繰り返し、同じ指摘を受け続ける。集中力が続かず仕事でミスをしてしまう。
自分の不注意であり、ミスをしなければいいと言われればたしかにそのとおりかもしれません。
でも、どうしてもできないんです。いろんな対策を講じ、今度こそ大丈夫だろうと思っても同じミスをします。
そのたびにいろんな人から失望され、嫌われ、ノケモノにされてきました。
ADHDなんて目には見えない病気、診断されたところで世間では言い訳にしか聞こえません。だから自分は病院にいったことはありません。どこに相談しても、最終的には自分がしっかりして頑張らないといけないという結論にたどり着くため。誰かに相談したこともありません。
環境を変えるにしてもこの年齢。何度も転職をするには限界があり、正直、貯金もありません。
きっとこれからなにをやっても人から嫌われ続ける人生を送るくらいなら、早いうちに自ら命を絶ったほうがよいのかと思っています。
実際に自分が悪いのだと自覚しております、だからこそ死にたくなります。
感想2
自身に(投稿者さんと若干の差異はあるかと思いますが)同じような特性があり、年齢も近くこれまで辿ってきた足跡もとても近しいものがありオーバーラップするような感覚を覚えながら文章を読ませていただきました。
ADHD(に限らず)などの特性が言葉や認識としては以前よりは語られる世の中になってきているのかもしれませんが、現実にはまだまだ個々人の理解や組織としての受容などが未だ浅いように私の体感としては感じます。
そういった社会や人から向けられる眼差しが強い中で投稿者さんが模索し続け、求められるものをなんとかして体現しようと行動し続けてきたことには並々ならぬ努力や心労があったのだろうなと想像しています。しかしながら、それだけの苦労があっても(あったからこそ)出てしまうミスは、気をつけるというものではなくもはやどうしようもないものとして余計に投稿者さんを追いつめることになり得たのかなと思えました。
「最終的には自分がしっかりして頑張らないといけないという結論にたどり着く」という言葉(これは昔も今の私も同じようなことを思っているのですが)も、本来は当人の創意工夫や努力している部分に目が向けられるべきなのに、仕事や社会が成果や遂行能力だけを見ることに偏重している構造になっていることが大きいからこそのようにどうしても私個人としては感じてしまいます。
そういった中では努力や対策をしても出来ないことがより露呈してしまう気がしますし、それによる他者からの失望や排斥をより生みやすい循環になってしまうように私には思えてなりません。
ただ、一つハッキリとお伝えしたくなったことは、注意しても自身が繰り返してしまうことを正面から受け止め、何とかして自分なりに奮闘してもどうにもならないことが「投稿者さん自身の問題」だとは私にはどうしても思えませんでした。それだけ自分の弱さや苦手と向き合うことやそれによって起こってしまう結果に対して真摯に受け止めることは簡単ではないように私には思えるからです。
自身の特性と向き合い上手く付き合いながら生きていくことは容易ではないのかもしれません。しかしながら、私自身今は細々とではありますがなんとか生きているので、つらい中でもこれまで生き抜いてきた投稿者さんのこれからを一緒に考えたい気持ちを勝手ながらに抱いていました。投稿ありがとうございました。
感想1
読ませていただきました。失望され、嫌われ、ノケモノにされるという言葉が印象的でした。今度こそは上手くやろう、ミスをしないようにと気を付けて取り組もうとしている姿が浮かんで来るようでした。私はADHDと診断をされているのですが、今度こそはちゃんとミスをしないように取り組もうと意識をしているつもりが、どうしても肝心なことを忘れてしまったりするので、「どうしてもできないんです。いろんな対策を講じ、今度こそ大丈夫だろうと思っても同じミスをします。」という言葉に私も同じような気持ちを重ねてしまいました。(勝手に心の距離を近づけてしまいすみません…)新しい環境に飛び込むのは、とても勇気がいることだと思います。まして、頑張ろうとしても上手くいかない経験だったり、そのことによって、人から失望され、疎外された経験が繰り返されれば、逃げ続ける人生を送っていますと書いてくれましたが、怖くて逃げたくなるのも無理もないことだと感じました。これからの生活のことやお金のことも考えると八方塞がりのような気持になってしまうのではとも想像しました。多様性を認め合うことを、最近、よく社会の声として聞かれていますし、発達障がいという言葉もよく耳にしますが、現実の社会では、ADHDの特性についての理解も浅く、人によって特性の違いがあることも、なかなか理解がされていないのが現状だと感じます。本人の頑張りが足りない、ミスを繰り返すのは怠惰などと評価されてしまいがちで、社会が本人に責任を転嫁してしまうのもまだあるのではと感じます。人間は、社会との繋がりを絶たれることで、心に痛みを感じ、傷つきも深くなり、ノケモノにされたことは、投稿者さんが悪い訳では全くなくて、疎外し尊厳を守ろうとしない社会に対して憤りと悔しさを私は感じました。今回死にトリに投稿してくださったこと、社会の暗闇で泣き寝入りしてしまいそうな、叫びとして受け取りたいと思いました。社会のために一緒に考えたいと思いました。死にトリに参加してくださりありがとうございました。