経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
しつこく続く心のざわめきへの対処法
60代、男性、無職、独身、独居です。
心がざわつき、気持ちがなかなか落ち着かず、そわそわして収まりがつかない時が度々あります。何かに熱中している時はいいのですが、ふとした瞬間に心がざわめき立ち、それに意識が集中してしまうのです。その状態になると、単純なミスや誤判断が頻発し、そのリカバリーにかなりの労力が費やされ、疲労困憊してしまいます。特に原因や前兆のようなものはありませんが、優れた芸術作品に触れて大きく感情を揺さぶられた後や地上波テレビの扇情的な報道番組を観た後などには顕著に症状が現れるようです。
そのため、気分に振り回されないよう細心の注意を払いながら日々を暮らしています。心がざわついた時は、無視しろ、焦点を当てるな、と自分に言い聞かせてその場を何とかやり過ごします。とにかく「今ここ」に集中しよう、今日を暮らし切ろうう、がモットーとなってから随分久しいです。
2年ほど前に母を亡くしたことをきっかけに不安障害と抑うつ症となり、精神科医の治療(薬物治療と精神療法)を1年余り受けていました。その後寛解となり、医師判断に従って治療終了(中断)となった経緯があります。精神的に辛い時は、我慢せずに精神科医の再受診をした方が良いのではないか、という思いもありますが、この程度のことで一々医師に頼っていては先が思いやられる、と何とか自力での対処を模索している昨今です。
日々の暮らし自体には特に問題はなく、大きな不安も抱えてはいません。衣食住は整っていますし、経済的にも社会的にも大きな悩みもありません。睡眠も食事も運動も良好な状態にあると思います。毎晩の飲酒習慣はありますが、純アルコール換算で20g以内ですのでおそらく問題には結びつかないレベルではないかと思います。
今の心のざわつきはあまりにしつこくて手を焼いています。冷静に考えれば、心のざわつき自体は疾病などというものではなく、強弱やそれに対する耐性の違いはあるにしても、誰しもが日々経験しているものであり、大きな問題になるようなものではないはずです。高齢期に入りストレスへの耐性も落ちてきたのかもしれない、とも考えられます。希死念慮を抱くほど深刻なレベルではないのですが、時折、もうこんな自分に付き合いきれない、と独り言ちすることがあり、閉口してしまいます。
おそらくは自分で不安を探し、過剰に意識することによって不安を育ててしまっているのでしょう。精神に問題を抱えて以降、アドラー心理学、森田療法、マインドフルネス、仏法等々、精神の問題への対処に参考になりそうな書物を読み漁り、自分なりにアレンジして試行してきました。様々な対処法を次から次に試してはあれこれ考え、問題を更にこじらせてしまっていたのかもしれません。今はシンプルに「気にしない、気にしない」を呪文のように唱え、それを習慣化するように努めています。気分の落ち込みは仕方のないものと諦め、過剰にフォーカスを当てず、「今ここ」「今やる必要のあること」に集中する。これが経験から得た対処法です。
感想1
まさにタイトルどおり「対処法」とそれに至るまでの経緯を書いてくれた文章で、読んでなるほど…と思いました。あなたは言語的に思考し整理してとらえるやり方が得意で、これまでもそのようにして色々なことを考えて実践してきたのかなと思います。
私も、30代ですが心が落ち着かずざわざわすることがよくあり、つい出てきた独り言に、ざわっとした気持ちになることもあります。
その中で哲学の本を読んでみたり、マインドフルネスを試したり、色々と自分なりの方法を開発してしのいできたところがあるので、読んでいて共感する気持ちになりました。
「優れた芸術作品に触れて大きく感情を揺さぶられた後や地上波テレビの扇情的な報道番組を観た後など」にざわざわするのは、同じではないかもしれませんが、私もすごくあるなぁと思います。あなtないとってのざわつきは、ミスや疲労につながる大変なものでもあるとおもうのですが、あなたの感受性があるからこその心の動きでもあるのかなと想像しました。私は心が動かされる時、その感情の強さや後を引く感覚に、苦しくて死んでしまいたいと思うことすらあるのですが、それが喜びのような感覚であっても、悲しみや、怒りや苦痛が多く混ざるようなものであっても、さまざまな感覚は、私が自分を知ったり、ときには社会に目を向けたり、この場所で生きていく活力にもなるもののようにも感じています。
精神科の受診については私は10年以上続けていて、1回頼ってさくっとなにかが治って終わるというよりは、受診を続ける中で状況ごとのサポートをしてもらうというイメージを持っています。だから、「この程度のことで一々医師に頼っていては先が思いやられる」というよりは、自分一人で考えて対処するしかなかった状況に、もし合う医師が見つかれば、違う視点からのサポートが得られるという可能性もあるかなと思っています。
私はとくに、日頃から自分の状況を研究して、主治医にそれを聞いてもらい、専門職の立場からアドバイスや質問などをもらって、生活の状況や自己理解をよくするために活用する……というような感覚で通院しています。そういう人はメジャーではないかもしれませんが、そういう使い方もある、と思ったので書いてみました。
あなたにとって、あなたの生活の中での「今ここ」が穏やかなものであることを願っています。投稿ありがとうございました。
感想2
私も心のざわつきやそわそわ感が強くあるので勝手ながら共感したり、あなたの感覚を興味深く読ませてもらいました。優れた芸術作品に触れた際に感情を揺さぶられるのは、『特別あなたの心へ影響を与えるような作品』か『世間的に評価を受けている作品』どちらで、(またはどちらも)それはどんな作品なんだろうかと思いました。私自身メディアに心を左右されてしまったり、芸術作品を見た時、気分良く感動できる時もあれば、「凄い作品を生み出せる人がいるのに私は…」とつらくなることや、時には嫉妬と羨ましさも出てくるので、気になったところでした。そしてあなたの文章を読んで、「自分をよく観察してきた方なんだなぁ」と感じました。でも強いざわつきを鎮めたいが故に、自分の内面を見ざるを得なかった…という過程もあるんじゃないかと想像しています。誰かに伝える対処法…より、『自分の経験の中で導き出した分析結果の共有(一つの提案)』に近い感覚もあるのだろうか、と私なりに色々考えています。そしてそこには苦しさもつらさもあり、まだ模索中な部分もあって、もがきながらも書き出してくれたことを感じました。
毎日細心の注意を払いながら過ごすことはかなり神経を擦り減らしそうと思ったのですが、そうやって意識していないと更にしんどいからなんだろうな…とも思いました。寝る前に「何とか乗り切った…」とホッとしながらも疲労感でいっぱいなあなたがいるのかなぁと考えてみたり、明日への重い気持ちもあったりしそうだなと想像しました。
治療が終了(中断)したとはいえ、今あなたがこうしてつらさを抱えていること考えつつ、そんな私も過去に診断を受けた精神疾患が顔を出す度、なんとか自力で対処しようと模索しているので、ここでも共感しています。この程度のことで…とありましたが、『この程度』かどうかは自分含め誰に決められるものでもないのかもしれない、と私は思ったのと、同時に、「この程度で受診していいのか?」という不安さ(もあるのかなと想像して)には私も覚えがあります。私は、「通うことになるとしたら嫌・薬使いたくないな・大したことないと馬鹿にされたりしない?」などあるのですが、もしかしたらあなたも似た気持ちがあったりするかなと勝手にですが考えています。あえてその言葉を借りていうと「この程度」だからこそ動ける内に受診してみる・今このように自身を振り返れる時に(そうするとメモも取れるし医師に伝えられるかなと思いました)行ってみるのもありなのかもしれない…と私自身の発見になりつつ、そう思いました。
確かに心のざわつきは多くの人が様々な形で経験しているかもしれません。でも私は、今こうしてあなたがここに気持ちを書き込んでくれたことや、しつこいざわつきを抱えて苦しんでいることを、しかと受け止めた気持ちです。いつまでこの状態が続くのか・何がこのざわつきに結びついているのか・この感覚とまだ付き合っていかなければいけないのかという不安も生まれてしまうだろうし、そこからまたざわつきも増すと私は思っているので、そんな自分の経験も踏まえて、ただ「ざわつくんだよね」で片付けられない状態のあなたがいることを想像していますし、簡単にスルーできるものではないよな…と思います。自分で不安を探してしまう、というのも、『不安の先取りができてしまう(先取りできちゃう不安が実際自分にある)』こともまず、つらさに繋がる一つであり、そこを辿った先にはこの社会に対する不安や、過ごしている環境への不安や心配もあったりするのかなと私は思いました。
あなたの気持ちやつらさ、感じていることをまたいつでもここで教えてください。投稿ありがとうございます。
感想1
まさにタイトルどおり「対処法」とそれに至るまでの経緯を書いてくれた文章で、読んでなるほど…と思いました。あなたは言語的に思考し整理してとらえるやり方が得意で、これまでもそのようにして色々なことを考えて実践してきたのかなと思います。
私も、30代ですが心が落ち着かずざわざわすることがよくあり、つい出てきた独り言に、ざわっとした気持ちになることもあります。
その中で哲学の本を読んでみたり、マインドフルネスを試したり、色々と自分なりの方法を開発してしのいできたところがあるので、読んでいて共感する気持ちになりました。
「優れた芸術作品に触れて大きく感情を揺さぶられた後や地上波テレビの扇情的な報道番組を観た後など」にざわざわするのは、同じではないかもしれませんが、私もすごくあるなぁと思います。あなtないとってのざわつきは、ミスや疲労につながる大変なものでもあるとおもうのですが、あなたの感受性があるからこその心の動きでもあるのかなと想像しました。私は心が動かされる時、その感情の強さや後を引く感覚に、苦しくて死んでしまいたいと思うことすらあるのですが、それが喜びのような感覚であっても、悲しみや、怒りや苦痛が多く混ざるようなものであっても、さまざまな感覚は、私が自分を知ったり、ときには社会に目を向けたり、この場所で生きていく活力にもなるもののようにも感じています。
精神科の受診については私は10年以上続けていて、1回頼ってさくっとなにかが治って終わるというよりは、受診を続ける中で状況ごとのサポートをしてもらうというイメージを持っています。だから、「この程度のことで一々医師に頼っていては先が思いやられる」というよりは、自分一人で考えて対処するしかなかった状況に、もし合う医師が見つかれば、違う視点からのサポートが得られるという可能性もあるかなと思っています。
私はとくに、日頃から自分の状況を研究して、主治医にそれを聞いてもらい、専門職の立場からアドバイスや質問などをもらって、生活の状況や自己理解をよくするために活用する……というような感覚で通院しています。そういう人はメジャーではないかもしれませんが、そういう使い方もある、と思ったので書いてみました。
あなたにとって、あなたの生活の中での「今ここ」が穏やかなものであることを願っています。投稿ありがとうございました。