私は36歳の男です。精神疾患をもっています。精神科にも通院しています。病名は「神経症性障害」です。
この文章は、自分の人生のことを誰かに知ってほしくて書いています。ただ「こんな人間がいた」という事実を、少しでもこの世界に置いておきたかったのだと思います。
私は、子どものころ、いじめられていました。おそらく理由なんて特にありませんでした。ただ「そこにいた」だけで、笑われたり、からかわれたり、無視されたり、そして暴力も直接的にはありませんでしたが、ちらつかせられました。小学生の時は不登校にもなりました。
中学生の頃も同様にいじめられました。家では当時厳しかった親に「学校へ行け」と怒鳴られました。学校では毎日、柔道部の男子に「死ね」と言われ続けました。殺されるかと思いました。ほかの男子も私をからかいました。私を無視しました。私と距離を置いていました。毎日「殺されるかもしれない」という恐怖と戦いました。ある日、登校途中、ふと死んだら楽になるかもしれないと死のうとするイメージがわきましたが、実行はできませんでした。ただ泣いていました。ある日、中学校で私は過呼吸になりました。どうしようもない恐怖が襲ってきたのを覚えています。そのご学校を休みがちになりました。また死の恐怖が襲ってくるかもしれないと思うと外に出ることが怖くなりました。「どうして自分だけ」と理不尽さを感じ涙しました。
高校生の頃はいじめられませんでしたが、これまでの過去がトラウマになり、休みがちになりました。出席日数ギリギリでした。3年目の3学期、ついに出席日数が足りなくなりました。私は通信制に転籍し、半年遅れで卒業しました。
その後、私は6年引きこもりました。
6年引きこもった後、NPO法人さんの力を借り、違う町で生活するようになりました。生活費は親が出してくれました。そのご新たな地で就労セミナーやボランティア、短期のアルバイトを行い、社会復帰を目指しました。アルバイト→空白期間→アルバイト→空白期間のような生活でした。そのご事務員として仕事をするようになりましたが、半年で辞めました。小さなミスが多く、仕事も要領が悪く、覚えられませんでした。辞めさせてくださいと私は涙ながらにお願いしました。
その後、A型作業所の工場に勤めることになりましたが、休みがちになり、2年目の終わりごろ退職しました。さらにその後、就労移行支援を利用し、2年目の終わりごろ、障がい者枠で事務員として雇ってくれる企業さんが現れました。その企業さんでは4年近くお世話になりました。仕事もしっかりこなせました。人間関係も良好でした。が、わたしは休みがちでした。そして最近、そこすらも退職しました。
苦悩は学校、ひきこもり、就職だけではありません。
私には性的な経験がありません。「童貞」なのです。これが強烈な劣等感と孤独の源になっています。おそらく多くの人が経験してきたことを自分は経験しておらず、「自分だけが取り残されている」と感じます。今までの人生、性を肯定できたことがありません。思春期以降、性を不浄なものと感じるようになり、性的な空想を繰り返しながらも、そのたびに自己矛盾や罪悪感に苛まれてきました。自分に欲望が芽生えるたびに「これ以上踏み込んではいけない」「社会的に破綻する」といった強いブレーキがかかりました。女性が嫌いというわけではありません。「愛されること」「精神的にも肉体的にも受け入れられること」への強い願望があります。しかし、性的欲求を「穢れ」ではなく「愛の延長」「生の一部」として受け入れたいのですが、長年の価値観がそれを許しません。女性と触れ合い、相手と深くつながりたいという淡い希望がありますが、叶わない夢でしょう。
私は「性風俗」や「性の商品化」に対して強い嫌悪と拒絶感があり「なぜ存在するのか理解できない」のです。人権侵害とすら思えてしまいます。ただ、一方で、性的なコンテンツを現実逃避的に消費してしまうことがあり、その矛盾に強い苦しみを感じています。
そして、「性」は私を攻撃してきます。性的な話題、メディアでの取り上げ方(たとえそれが真面目な性教育番組でも)コンビニやドラッグストアにおいてあるコンドーム、グラビア雑誌、恋愛ドラマ、映画のラブシーン、これらが視界に入るたびに胸が張り裂けそうになる。苦しくなる。涙が出てくる。ここにいてはいけない感覚に襲われる。それだけじゃない、若い女性が視界に入るだけで、「劣等感」で心が引き裂かれそうになる。女性が近くにいるだけで、うまく息ができない。体がこわばる。ここに居てはいけないと思ってしまう。そして女性と目を見て話すことすらできない。こんな自分が情けなくて毎日涙を流している。
職場の隣の席の女性が若い方だった。彼女はパートナーがいるそうだ、会話が聞こえてきた。彼女は仕事ができる。安定して出勤できる。私の劣等感を投影しているようで涙が出てきた。毎日、劣等感に向き合うことを考えただけで疲れ果てた。私は会社を辞めた。それだけでと思われるかもしれない。ただ私にとっては死ぬほどつらいことだったのです。
私には人としての価値が「欠如」しているのだと思います。
「風俗に行って早く捨ててこい」「男が好きなのか?」「捻くれてる、拗らせてる」散々、散々言われてきました。
これらの言葉は、自分のアイデンティティを全否定する言葉でした。自分の存在を踏みにじる言葉でした。
先に言ったように、性を売り物にすることは、私は受け入れられないし、これからもこの価値観は変わらないでしょう。性を穢れや汚れ、恥と思う一方で、「尊いもの」と思いたい。その矛盾に苦しんでいます。一度でいいから、性を通じて「人とつながる喜び」や「生きている実感」を得たいと切望しています。が、叶わないでしょう。これまでがそうだったように。
こうやって職を転々としている間も、劣等感を感じている間も、私の一人暮らしを支えたのは両親でした。
10年以上も!私はとんだバカ息子だ。最低の親不孝者だ。10年で何一つ結果を出せなかったのです。
今も自立できていない。今までも、これからもそうでしょう。これからも劣等感は消えることはないでしょう。いじめられてトラウマになった過去も、辛い思いも消えない。私は経歴も、人としての価値も、「失敗作」なのです。過去の苦悩を抱え、コンプレックスを抱え、そしてこれからの人生のさらなる苦悩を想像するだけで死にたくなる。
いじめられない過去が良かった。安心して中学校生活を送りたかった。トラウマを抱えず高校生活を送りたかった。社会に出たかった。恋愛してみたかった。満足な収入を得て両親を安心させたかった。楽をさせてあげたかった。
現実の社会の評価は、空白期間が多く仕事も続かない、童貞のきもちがわるい無職。そんな私が出来上がっただけでした。
だれよりも社会に忠実であろうとしたのに、従順であろうとしたのに・・・。
最近毎日、涙を流す。今まで書いたことを考え涙を流す。安らぎが欲しい。その安らぎはこの世にはないのかもしれない。私は遺書を書こうとした。両親へ「産んでくれてありがとう」「かなしまないで」「あなたの子供でよかった」「上から見守っているよ」。涙が邪魔でうまく書けなかった。家族の顔が浮かんできた。
今は生きることに気持ちが傾いているが、死ぬ方に気持ちが傾く日が来るかもしれない。そこに安らぎがあるかもしれない。コンプレックスで胸が張り裂けそうになったり、息を詰まらせたり、体をこわばらせたり、また同じように就職で失敗をしたり。すべてを消してくれる「無」があるかもしれない。死が救いになるかもしれない。今日も、明日も死の誘惑を感じながら、時間が過ぎていく。
感想1
あなたが過去の様々なトラウマに苦しみながら、日々を積み上げてきたことを感じました。文章のメインテーマになっている「性」的なことについて、読みながら色々と思いを巡らせていました。なぜ、性的な経験の有無によって他者に評価されなければいけないのか…と考えると、そういう風潮の背景に、かなり邪悪な制度設計の問題を感じます。
問題は、それらの価値観が日常的に押し付けられるうちに、私たちの中にも価値観が入り込んで、取り除こうにもむずかしくなってしまうということだと思います。
性的なサービスを提供する場所も、本来、さまざまな人たちが社会的に対等な関係を持つことができ、対等に対価を得ることができているなら、その人の「性」そのものが商品化されるのではなく、ただ技術やサービスの提供ということになると思います。
ただ、少なくない現実に、「性風俗」などの空間で(もっと言えば、それ以外の多くの空間で)個人の性的なものが一方的に消費されてしまったり、勝手に価値づけられてしまったり……ということが起きているからこそ、あなたは「強い嫌悪と拒絶感」を感じている、という要素もあるのかなぁと思いました。
残念ながら、私たちの生きる社会では、「男性同士」のきずなの強さの証明に「異性」が使われてきた歴史があります。それは、どのくらい経験があるか、どのくらい所有しているかという権力の誇示の歴史で、それ自体がとても男性も含めた全ての人を狭い価値観に追いやってしまっているものだと思います。
「風俗に行って早く捨ててこい」「男が好きなのか?」「捻くれてる、拗らせてる」という言葉は、どれもそれらの価値観を内面化してしまい、疑うことすらできなくなってしまった人たちのセリフだと感じました。
そういう言葉の投げかけはただの暴力だと思いますが、投げかけられた側も、繰り返し言われるうちに、その考えを切り捨てることがとても難しくなってしまうように思います。
私も恋愛や性愛ということが今ひとつわからず、周囲の状況によく乗れないまま生きてきました。トラウマもあり、学生時代は不登校を経験し、社会の中でも働くことはなかなか難しく、仕事も辞めたり休んだり、転々としてきています。
「だれよりも社会に忠実であろうとした」と書いてありましたが、あなたがこうやって思考してきたことや、努力してきたこと、苦悩しながら生きてきたことが「社会のため」「社会の評価のため」に還元されなければいけないのはなぜなのか、本当はそうではないのではないかと感じました。
というのもここでいう「社会」は社会のすべてではないように感じたからです。
こうやって苦悩を言葉にするのも簡単なことではなかったのではないかと想像しています。でも、こうやって言葉になったものは、個人の表現として、社会の中で考えるための財産になると私は思っています。社会に忠実であり従順であろうとすればするほど、気付かないうちに、よりいきやすい社会のあり方を想像することや、いまのシステムを変えるようなやり方を考えて対話していく力を封じられてしまうように思います。
その中で、こうやってあなたの思いを言葉にして送ってくれたことには意味があるように感じました。
私たちはさまざまなあり方で生きています。「こうでないからだめだ」というふうに否定されないで(自分自身でも否定する必要なく)生きていける社会を、私は心から願っていて、その社会のために、一緒に色々なことを考えてみたいと思っています。死にトリに参加してくれてありがとうございました。