経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうしてもつらいほう えらびがち

主婦です 物心ついた頃から 教育に厳しい家庭で育ちました
躾として 殴り罵倒 ……祖父と父からでした 女性たちは 守ってくれませんでした
家族が安心できる場所 という感覚がよくわかりません

とはいえ、自分の作った家庭に関しては、反面教師といいますか、
子どもたちは健康にのびやかに成長しています
夫は わたしに穏やかに暮らしてくれればいいと言ってくれますが
なぜか、どうしても人生でつらいほうを選択してしまいます

子どもが小さいとき 働き出しました
主婦の抗いか 挑戦か なんでしょうね

コロナ禍もあって 軽い地獄でした
それでも なぜか苦しい道とわかっていても 選んでしまいます
1人で崖を登っている気持ちです

ある意味 自傷行為かなとおもいます 自身を大切にする できていませんね

子どもの頃 自分の家庭が好きではなかったので、
クラスメイトから 温かい家庭の何気ない話を聞いたら傷つき、
いつしか アルバイトに精を出し
家庭に寄り付かなくなりました

いまでも 祖父母や父母に囲まれて暮らす小さい子を見ると、母親にあたる人とわたしを比べてしまい、非常に複雑な気持ちです
ですが、必死に子育てをして、
多少…、いやかなり 個性はありますが 人として成長してる我が子をみると
これでよかったのかな とおもいたいです

出身地とは違う土地で 1人 形の違う自傷行為にはしりながら 生きます

感想1

ご自身への深く鋭い洞察力を感じました。
その洞察力も過酷な育ちの中で培われたものなのか、もともと備わっていたものなのか、いずれにしてもその力が自らを救ってきたのだろうと感じました。そして、「形の違う自傷行為」もまた生き延びるための術だと感じました。おそらく、あなたの心身には苦しくギリギリの環境への馴染があり、分かっていても馴染んだ感覚に引き寄せられるのかもしれないと想像をしています。人にはきっといろいろな形の身の守り方があるのだろうと思います。
私が最も印象に残ったのはお子さんたちへのまなざしです。「多少…、いやかなり個性はありますが」とそれぞれの子どもたちらしさを認めつつも、「これでよかったのかな」と少し迷いがあるような表現がありました。私にはあなた自身が個性豊かな子どもたちの成長を素直に認めている気持ちが感じられました。しかし、この社会の基準や評価を考えたときにひょっとしたら、生きづらいとかちょっと外れてしまうのかもしれないとの心配も感じるがゆえの迷いなのだろうかと推測しました。会ったこともない私ですが、個性的なお子さんたちの成長を心からともに喜び合いたい気持ちになりました。そして、これからの社会はそうした個性を必要としているとも思っています。
まだまだ、日々の中に苦しみが隣にあるかもしれませんが、その苦しみと共存し、折り合いをつけようしてきた歩みを静かに受け止めました。また、死にトリが何かの役に立ちそうなら、いつでも訪れてください。

感想2

投稿ありがとうございます。
タイトルの語感に惹かれて読ませていただきました。

幼少期に厳しい躾を受けているとき、大人になり子育てしているとき、コロナ渦で働いているとき…書かれていない場面も含めて、投稿者さんはずっと「必死」に生きてこられたのかなと、まずは率直にそう感じました。そしてその必死さは、投稿者さんに少なからず手ごたえというか、ある種の割り切りのようなものをもたらしたのではないかと想像しています(過去を振り返りつつも、「今」を受け入れようとしているような印象を受けました)。
一方で「これでよかったのかな と思いたい」という表現があったように、自分や現状を「感覚的に」許容・肯定することへの難しさも感じていらっしゃるように読みました。そこには、幼少期のしつけ、安心感のなさといった影響もあるように推測しています。

「つらいほうをえらびがち」なことについて、「自傷行為」というふうに表現されていたことが、個人的にはとてもしっくりきました。先ほど書かせていただいたような幼少期の影響もふまえて考えたとき、投稿者さんにとっての「安心(これで大丈夫と思えるような感覚)」や「自身を守る(大切にする)」ための行動が、「つらいほうをえらぶ」ことになのかなと感じたからです。「自身を大切にする」というと、ゆったりと休んだり、大変なことをやめたりなど、いわゆる「ご自愛」的な発想が先立つ気がするのですが、そこには前提として「安心して行動や思考を放棄していいんだ」と思える下地がないと、むしろ罪悪感や自責感から落ち着かなくなるパターンがあると思います。投稿者さんがそれにぴたりと合致するかはわかりませんが、少なくとも「つらいならやめたらいい」という話ではなさそうだと私は感じました。同時に、「自分を苦しめずとも安心して休めるようになりたい」という願いのような気持ちもあるのだろうか…と感じたところです。

必死に生きる中で得た術も、小さい子どもと親を見て複雑に揺れる心も、どちらもまぎれもなく投稿者さんの気持ちとしてあって、そのバランスを探りながら日々を重ねている投稿者さんの姿を想像しながら、感想を書かせていただきました。よければまたお待ちしています。

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