長生きのため健康のためと言って食べることを制限しなくてはいけない。
世間体、家族のためだからと仕事には行かなければならない。
生活のためにやりたいことも我慢しなくてはならない。
給与をもらうため会社では心を無くし上司、同僚、部下、お客に気を使わなくてはならない。
どこにでもルールや決め事を決めても守らなくても済んでいく人もいる。
わがままや自分の意見だけを押し通していける人もいる。
世間では多様性を認めなければならないとか口ばっか良いことを言っているだけで結局、何をやっても許される人、要領良く立ち回れる人が得をするだけで真面目や一生懸命なんて認められず、むしろ馬鹿をみるだけで嫌になってくる。
自分は何のために生きているのか、生きていても仕方ないと思えてくる。痛みや迷惑を掛けずに死ねるなら今すぐにでも消え去りたい。
誰にも知ってもらえず、もがき苦しみ、生きてくしか、ダメな人間には手段がないのか?
迷惑を掛けずにこの理不尽な世の中から去りたい…
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きる目的
感想2
経験談への投稿、ありがとうございます。
真面目に、真剣に向き合う人ほど損をしているように感じる―そんな社会に対し不満を感じているところに痛いほど「わかるなぁ」と、何度も頷いているところです。
投稿者さんは特に仕事の中で社会に対する違和感を感じているのかな、と私には感じ取れました。それこそ仕事=組織である以上、ある程度の規則であったり、規則には抵触しなくとも配慮しなければならない部分であったりがあると思うのですが、投稿者さんはそういった部分のとても繊細なところまで気をまわしているように感じ取れました。だからこそ、投稿者さんにとって「決められたルールに沿わないと見える人」がとても気になるのではないかなとも感じます。
「要領よく立ち回れる人が得をする」という事実に関しては、私も羨ましさを感じることがあります。同時に、「真面目や一生懸命なんて認めてもらえない」ということに共感しつつ、それを悔しく感じながらも「誰かしらはちゃんと見てくれているんじゃないか」と淡いかもしれない期待を捨てきれない私もいます。
ただ、投稿者さんがそういった事実に違和感を感じているのは、それだけ「真面目に」「一生懸命に」「真剣に」物事に向き合ってきたからだと、また、その違和感は時間をかけて培ってきた投稿者さんの努力の証なのだと私は思います。
少なくともこの投稿に感想を書かせていただいている私は、投稿者さんの積み重ねてきたものを文字づてとはいえ知ることができたし、もしかしたら私のほかにも、ちゃんと投稿者さんの姿を見てくれている方がいるのかもしれないなって思いました。
改めて、投稿ありがとうございました。
感想1
時代の変遷とともに価値観や多様性の拡張が語られることが多くなってきてはいますが、厳然としてある社会や現実とのギャップに投稿者さんの今の苦しさがあるように(社会通念的にはマイノリティとされる中で生きている私としては)感じていました。
「~しなければいけない」で溢れている世界で何とかして自分を当て嵌めて生きていくことを強いられる社会において、投稿者さんの言うように、「やりたいようにやっても許される」という感じで渡っていける人は私の体感としても多く感じます。
それもまた「一つの多様性」として尊重されるものなのかもしれませんが、真面目に一生懸命やってる人たちからすると、「じゃあ自分たちの多様性は?」という気持ちになるのも自然な気がしますし、どこか自分だけが不利益や損を被っているように感じられてしまう気がしてしまいます。
多様性が広がっていってほしいとは思いつつ、もしかしたら際限なくそれらを肯定していくことは難しいのかもしれません。ですが、誰かや何かの多様性の上に別の多様性が成立することには疑問も憤りも覚えますし、それが社会から求められるものに応えていたり、ルールを重んじた上でのものならなおのこと無碍にしてはいけないことのように私には思えます。
つらつらと自分の思うことを思わず語ってしまいしたが、私には真面目や一生懸命何かに取り組むことが悪いこととはどうしても思えませんし、「他の誰かや何か」より優先されるべきものとも思えないので、綺麗ごとかもしれませんが投稿者さんのもがき苦しみながらでも生きている辛さが認められるこれからであってほしいと思いました。
投稿ありがとうございました。