生きている意味が分からないと何度感じた事か。
私の家庭は傍から見れば悲惨なのかもしれない。でもそれが普通だったからって何とも思わない訳ではない。
友達が親と子でカラオケ行ったり、両親で旅行行ったり、家族で楽しく食事したり。
新居に引っ越してからは家族団欒で食事を少しはした事あるが、それ以降きちんと食事を皆で食べた事はない。
そんな誰かにとっての「当たり前」が羨ましいのです。
だから私は「普通」に執着してしまうのかもしれない。
仲良くしていてもどうしても両親の話が出てくると祝福する気持ちではなく「羨ましい」という感情が出てきて化けの皮を剥がされたような気持ちになってしまう。そんな私は一体なんなんでしょうか。自分で自分が分からなくなって来ました。クヨクヨ悩んでいる自分が嫌い。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰かの普通を羨む私
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
あなたの心の内にある、人知れず抱えている葛藤に触れるような思いで読ませていただきました。
幸せそうに見える家族を見ると、寂しさや孤独感、怒りや悲しみなど、いろいろな感情が意図せず引き出されてしまうのかなと想像しました。
「化けの皮が剥がされたような気持ちになってしまう」との部分には、自分が他者を羨むときの何とも言えない感情を言語化してもらったように感じました。
「羨ましい」と思うこと自体は、本来何も悪いことではないはずですが、感情が纏う鋭さや恨めしさを、どこにどう向けていいか分からない苦しさでもあるのかなと感じました。
ここでは思ったことをそのまま、吐き出してもらえたらと思っています。
またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
人を羨んだり、祝福できない、誰かに対してネガティブな感情を持っている自分自身に嫌悪感を持ち受け入れられないような気持ちになっていることが伝わってきました。何となくですが、私たちは育ちの中でポジティブな感情以外は良く無い事と知らず知らずのうちに教えられてきたように思います。けれど、新聞やニュースをみると人間同士の「妬み(ねたみ)」、「嫉み(そねみ)」、「僻み(ひがみ)」が形を変え、様々な事柄に至っています。私自身、こんな真っ黒い感情を持っているのかと毎回自分にショックを受けています。何か良い取り扱い方法が無いものかと、何十年もジタバタとしているのが現状だったりして、あなたの投稿を読んで「わかる気がする」とつぶやいていた自分がいます。
自分自身で「化けの皮を剥がしてやる!」とにらみつけるのは何だかとても痛々しいような気もします。喧嘩ごしを緩め、「どうしたの?」と自分に尋ねてみると違う声が聞こえてくるかもしれません。クヨクヨ悩む自分が嫌いと書かれていましたが、なんとか釈明しようとする私がいました。投稿いただき、ありがとうございました。