経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

社会の除け者

 他人はおろか、家族、親しい友人、恋人からの褒め言葉や厚意も素直に受け取れません。相手の気持ちを自分に置き換えて考えると、それがどんなに悲しい気持ちになるかは分かるのですが、どうしても自分が褒められていると思えません。
 自分には人から褒められる要素があるとはとても思えないので、お世辞だと弁えるようにしています。というのも、自分は気遣いや人の気持ちを察する事が苦手なため、どこに身を置いても人の迷惑にしかなれない人間だと自分で分かっているからです。しかし、誰にも迷惑をかけないよう一人でひっそり生きていけるほど強くもありません。人の迷惑にしかなれない自分が嫌で仕方ないです。こんな私が他者を気遣っても嫌な思いをさせるだけではと怖くなり、ますます自分から孤立してしまいます。
 どうしたら社会と普通に関われるようになれるのでしょうか。何をしても自分は除け者のような気がしてなりません。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。人からの言葉や自分に向けた厚意を信じたい気持ちもある(のかな?と私は感じました)けれど、信じられないという感覚、私自身もそうなので頷きながら読ませてもらいました。そう感じるのにはどういった背景があったのかまでは書かれていないので、詳しくは分かりませんが、もしかしたらこれまで人との関わりの中で自信を失くしてしまうようなことや、自分の中で思っていることと実際言動に表出してしまうことのズレ(例えば本当はそういう意味で言ったわけじゃないのに、誤解されてしまったなど)で嫌な思いというのか傷ついてきたこともあったのかなと想像していました。
周囲に“迷惑をかけないこと”を良しとする価値観は社会的にも根強くある(特に日本は)なと感じますし、自分の小さな失敗や不器用さなどが、必要以上に責められているように感じてしまう人も少なくないと思います。そして、「できないことがある=存在価値がない」と無意識に思い込んでしまうこともあるのかなと。でも、本当は人との関わりの中にこそ、少しの不器用さや誤解があっても成り立つ余白があっていいはずですし、他者とのつながりの中で育まれる“自信”もあるはずだと私は思います。そして誰もが何かしら人に迷惑をかけて生きている存在だとも私は思うので、あなたが迷惑をかけてしまうことに苦しく感じている気持ちは伝わってきますし、それはそれとして受け止めたいなと思いつつ、あなただけが迷惑をかけている存在ではないよと伝えさせてほしいです。
「自分は気遣いや人の気持ちを察する事が苦手」と書かれていましたが、「相手の気持ちを自分に置き換えて考えると、それがどんなに悲しい気持ちになるかは分かる」という言葉から、十分あなたは他者に対して想像力があるのだと思いますし、違うベクトルで気遣いをすごくされている方なのではないかなと私は感じました。それにしても察する文化(と私は捉えています)は本当に厄介だな…と改めて思わされます。異なる人間同士、相手の考えや思いを汲み取るなんて難しいよ!と声を大にして訴えたい気持ちです。
どうしたら社会と普通に関われるようになれるのか…あなたにとって普通とはどういう状態であることを指すのか機会があればもう少し詳しくお聞きしてみたいなと思いました。“普通”に囚われてしまうことで、苦しくなってしまうようなら、少し視点を変えて自分を完全に変えようとするのではなく、少しずつ、ほんの少しずつでも自分にとって無理のない関わり方を探していくことが、遠回りに見えて一番確かな方法なのかもしれないなとも思いました。(そう簡単なことではないとは思うのですが…)こうして思っていることなどを言葉にすることで多少でも心持ちが違うのであれば、また死にトリに声を届けてほしいなと思っています。

感想2

社会とあなた・誰かとあなた…それがなんだかとても離れた所にいるように感じていたり、自分だけが遠くから社会や人々を眺めている、そんな感覚もあるのだろうかと経験談を読みながら想像しています。そこに対しての不安な気持ちや、これから先を考えた時の恐怖感も伝わってきた気がしました。
あなたがこれまで他者から受けた褒め言葉はどんなものなのだろう、と考えています。外見(ファッションや姿勢など含め)・行動や言動・考え方などなど…ほかにも「褒め言葉」はきっとあらゆる姿形で存在するのかもしれないと思ったのですが、あなたが特に受け入れ難いものや、その中でも多少は受け入れられそうに感じるもの、その区別はあったりするのかなと気になりました。その部分に、もしかしたら何かあなたの中で発見になるようなヒントが隠れていないか…と勝手に一人色々考えてしまいました。
また、「褒める」や「気遣う」「察する」ということに、あなたが何か違和感を持っている可能性もあるのかなと思いました。それは、これらを「コミュニケーションの手段」として使う事そのものに対する違和感というか…。人や社会との関わりの中で、これらは特に重要視されてるように私は感じていてなんだかモヤモヤするところがあります。あなたもそこに対する考えや感覚が何かあったりしないかなと思ったところでした。
投稿ありがとうございます。またいつでもここにきて書き込んでください。

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