経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

みなさんだったら、どうしますか

まとまりのない文章で申し訳ありませんが、吐き出させてください。
現在11ヶ月休職中、今月半ばから復職の予定。
今の職場には、適応障害で前職を退職したとは採用面接時に伝えてあった。ただ、現職場の上司からの、私の年収に関する発言(業務上の指導ではなく、転職サービスに関する雑談の流れで、「あなたは転職して年収が低くなった側だと自覚して仕事した方がいい」と言われた)、上司が社内会議後等、苛々するときの負の感情、たとえばピリピリとした怒りの雰囲気を醸し出すこと、社内の人間への文句の聞き役に私がなっていたこと、イライラして机を蹴るなどの言動に影響されすぎて気分が塞ぐようになったこと、いろいろなことが重なり、再度適応障害になった。そのあとまたさらに色々あって結局、うつ、PTSDにもなった。
先日、生活リズムが安定してきたため復職の打ち合せをした。会社の、私に対するご配慮には本当に感謝している。お世話になった方々には本当に頭が上がらない。ただ、その上司が、「◯◯さん(私のこと)早く帰ってこないかな」「戻ってくるのが嬉しい」と言っていると聞いた。上司の言動で周囲に影響が出ているにも関わらず(私と入れ替わりで、他の場所でうまくいかずに上司の下に来た社員も結局休職になったと聞いた。直接的な理由は上司ではないかもしれないし、直接聞いたわけではないので断定はできない)。そのような状態にしては、さきほどの「早く戻ってこないかな」はだいぶ頭がお花畑の脳天気な発言だなと思った。私であれば、私の言動で休んだ人が戻ってくるのなら、まず申し訳なさが先にたってそんな発言はできない。もちろん言動が全てではないが、私は人間の本性を見極めるにはその人の言葉、行動を見ているし、私も同様に他人から見られているとも思っている。人は人、自分は自分なので、あっちはそんな人間なんだな、と思うしかない。
私自身、約40年付き合ってきた自分の打たれ弱い部分を少しでも和らげたいと思い、臨床心理士のカウンセリングを実費で受けたり、訪問看護の利用もできると教えてもらったため、区の精神保険係と医師に相談して利用したりするつもりでいる。「会社としてのご配慮」は充分すぎるほどで本当に感謝しかない。ただ、「年齢を重ねたため、なかなか人の性質は変わらない」という理由で、「組織に影響を与えるマイナスの感情の発露や軽率な発言について、個人で取り組む」何かしらの具体的な措置をしていることは、「本人も意識するようにしている」としか話題に出なかった。私は、40年積み重なってできた自分の気質を少しでも和らげようとしているのに、向こうがしていることは「意識する」だけなのが許せない(このような、過度な期待も和らげる方がいいが、どうにもモヤモヤする)。
ただ、どんなことがあったかの聞き取りの際、上司からの謝罪はいらないと伝えた。あまり大事にはしたくないし、私の打たれ弱さも原因だと思っているからだ。それに、会社にあまりにも負荷のかかる配慮を要求すると退職勧奨されそうで(実際遠回しではあるが一度だけ言われた)、言いづらいというのもあった。復職はしたいが、不安も大きい。また、C型肝炎のウィルス持ちなので、薬を飲まないと50歳、60歳頃から肝硬変や肝がんになる可能性が高いと4月に消化器科の医師から言われた。実際に自分の肝臓が、健常者のそれと異なる所見があったらしい。今月の通院で、また薬を飲むか飲まないか決めてくれと言われている。
こんなクソみたいな世界で打たれ弱すぎる気質を持ったまま生きながらえて80、90まで生きるくらいなら、早く人生を終わらせるためにも、C型肝炎を治療する薬は飲まないつもりでいる。そもそも血液製剤の輸血で感染したキャリアなので、国家賠償の訴訟対象外でもある。好きでC型肝炎になんかなってない点は同じなのに。
生きにくい世の中は今後も続くと思う。腹水や黄疸や、症状が発現して苦しくても、早くおさらばして早く真っ暗闇で1人の世界があるならそこに行きたい。年齢を重ね、発現した症状が苦しすぎて、やっぱり薬を飲めばよかった!と思ったとしても、自分の選択した結果なのだから文句はない。
でも、長々書いたところですでにシンプルな答えは出ている。

①自分に合わない会社は退職、転職する
②C型肝炎の薬を飲みウィルスを除去し、罹患の可能性を少なくする
ただ、この答えはあまりに正論すぎて、今の私が選ぶことはできない。
みなさんだったらどうしますか。

感想1

私自身が打たれ弱い人間なのもあり、もし自分だったら…とじっくり想像しながら読みました。私は祖母が肝炎(たぶん輸血のキャリアだったから私には遺伝しない)から肝硬変まで進行しており、でも80歳を過ぎても元気に生きているので、肝炎の話はどこか他人事じゃない気分で想像していました。

上司については、自分のしたことに鈍い人というか、相手の立場から感じてることを想像するのが難しい人って確かにいるよなあ、と自分の経験も思い出しながら感じました。悪気はたぶんなく、相手の立場や自分が与えた利害を認識するのが本当に苦手なのだろうと私は思っているのですが、だからといってそれを広い心で許容できるほど私は余裕ないしなあ・・・というか実害があれば負の感情は抱いちゃうよね、私は人間だもの、と思います。
でも腹を立てたところで、相手が変わる可能性は薄いと感じるし、自分がもう相手にそれを伝えようと思えるほどの気力もないし、自分の中で落としどころを見つけるしかないのだけど、なんだかなあ、みたいな。(自分の経験と重ねて、いや、それを超えて自分の経験について考えているので、あなたの話とズレている部分があったらごめんなさい)
私の周りには、まあそういう人もいるよねと他人を許せるタイプの人もいるのですが、私とその人の違いは、私は自分に厳しい努力家で、許せるタイプの人は自分を時々(周りに迷惑をかけないレベルで)甘やかしたり力を抜ける人、という部分があると私は考えています。だからあなたも、私と似ているかまではわからないですが、自分に厳しい人なのだと感じました。

①合わない会社は退職し転職する②C型肝炎の薬を飲むは、確かに正論かもしれません。でもその正論と、正論に反して自分に優しくしない選択の、白黒をつけない道もあるのかな…?と私はぼんやり思いました。
すでにあなたがそうであるかと思うのですが、「とりあえず今は」退職しないし薬も飲まないという結論で、途中からそれを変えてもいいし、変えなくてもいいし・・・ひとまず先延ばしにするのも一つの結論だというイメージが私にはあります。

随分と私の語りたいことばかりを語ってしまいました。すみません。
言葉にするとおそろしいほど一般論ですが、人間はそんな簡単に割り切れない生き物なのだと私は感じています。だからモヤモヤを発信すること、誰かと共有してみることは大切で、あなたにとって必要だったらまた書きにきてもらえたらと思いました。

感想2

自分の中での「答え」が出ているけれど、どこか納得がいかない。というより「身体」と「心」と「頭」が一致しないという感じを想像しながら読みました。(身体)で感じていることが確かにあるけれど、それを、いろんな理論や常識など(頭)で無理矢理に解釈したり納得させようとする中で(心)がついていかない。みたいな状況を想像しました。言葉で自分に起こったことを捉えるのはとても難しく、また結論を出すことは難しいことで、それは必ずといっていいほど心とズレてしまうという感じが私はしています。なので、私なら、変な言い方ですが「山に登る」とか「放っておく」というようなことをしそうだなと思いました。無理矢理(頭で)結論を出してもろくなことにならないという経験則があり、自分も周りもどう変わっていくかは分からんから、自分の感情も含めて放っておいて、流れに任せてみる。信頼できない人間も確かにいるし、一緒に息を吸うのも嫌だという感情もある。あなたの言うように世の中はくそみたいだなと私もとても思います。しかしそれ自体はどうしようもないことだし、世界はそこだけではない。自分には見えない世界が自分の想像以上にあり、自分の力など愚にもつかないものであるということを信じてみるという感じでしょうか。苦しい時というのは間違いなく自分が変わる時だなという感覚もあります。死と背中合わせの苦しい時ほど自分にとって大事になる時でもあり、乗り越える力が必ず人間(もしくは時間や流れ)にはあると信じて、任せてみるというのもいいのかなと思いました。塔和子という方の「師匠」という詩ですが、苦しい時に思い出す詩です。ハンセン病で長期隔離されていた方の詩で、苦しみを師匠と名付けているような内容でした。あなたの文章を読んで思い出しながら書いていました。抽象的な応答になってしまいましたが、率直に感じたことを書いてみました。

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