この経験談を読んでくださる皆様、初めまして。これから私の学生時代の嫌な事を記載しますので、もしよろしかったら最後までお付き合いください。
私が今から10年前の話なんですが、当時私は高校1年生だったんですが入学してから初めて検定を受験したんですが自分だけが出来なくて、その結果を担任の先生が周りの生徒さんがいるなかでバラしてしまって周りの生徒さんから嫌な事を言われてしまい今でもトラウマになってます。他にも授業前にレポートを配布しなきゃいけないのを出来なかっただけで他の生徒がいる前で怒鳴る友人がいて、出来なかった事を謝ろうとLINEで送った所「男なら堂々としてなきゃ😁」なんてLINEが来て自分の中でふざけんなという気持ちとその事がトラウマとなり今でも苦しいです。高校を卒業してからは専門学校に進学したのですが、進学先では就職したくて入学したのに就職に必要な検定を受験させずパンフレットに記載が無く、入学相談でも言われてない学校独自の検定しか受けさせてもらえなくてその資格全て取ったのに担任から馬鹿にされたり出来なかったり、わからない部分があるだけで場所問わず鼓膜が破けるレベルで怒鳴りつけられたり散々な思いをしました。
今でもこれらがトラウマとなってフラッシュバックしてきて息を吸うのが難しくなったりする時もあります。最後にはなりますが今は自分でリハビリみたいな事をネットで検索して実践しています。ここまで読んでくださってありがとうございました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
学生時代の嫌な事(高校生・専門学校の頃)
感想2
投稿ありがとうございます。
思わず「こちらこそ初めまして」と口にしてしまいました。拙い感想となってしまいますが、こちらこそ最後までお付き合いいただけたらうれしいです。
高校1年生の時の担任があなたにした「バラす」行為は、あなたを深く傷つけただろうな…と率直に思いました。生徒は先生の振る舞いから学ぶものだと思うので、先生が「バラした」ことは「あなたの意思を軽んじて扱ってもいい」かのように、周りの生徒に学習させてしまったのではないかな…と私には思えます。「嫌な事」を言ったり友人が「怒鳴」ったりしたことは、行為として許されないことだと思いますが、私はそのことにお墨付きを与え、責任を果たさなかった先生や学校に腹立たしい気持ちになりました。ただ「男なら堂々と」というLINEには私も「ふざけんな」とツッコミたい気持ちです。。怒鳴る方の問題に誠実に対応しようとしたのになんだそれは、、と理解に苦しみました(そもそも態度と性別は関係ないですしね…)。
専門学校でのことも正直耳を疑ってしまうような…ひどい経験の連続だったのだなと混乱を覚え、胸を痛めました。担任の先生をはじめ、大人たち、学校側の責任は大きいと感じます。あなたの問題ではないと強調したいです。
こうして見てみると、高校でも専門学校でもあなたは人から「馬鹿にされたり」「怒鳴られたり」を繰り返ししてきたのだな…と感じます。それらはたった一度でも怖く、鋭い痛みを伴う経験なのに、繰り返し経験していれば「トラウマとなってフラッシュバックしてきて息を吸うのが難しくなる」ことも当然あり得ることだと私は感じます。ただ(専門家ではないので定かではありませんが)フラッシュバックは危険から離れて少し落ち着いた状況になってから起こるという話を私は聞いたことがあります。そうだとすると、今のあなたはひどく傷付く経験の中を必死に生き延び、10年もの歳月をかけて傷に触れ-「リハビリ」もしながら-その状況を自ら獲得してきたとも言えるのではないかと私には思えました。生き延びることも傷に触れることも決して簡単なことではないと私は思います。これまでのあなたの歩みに心からのリスペクトをお伝えし、焦ることなく、そして他者の力を借りながらこれからも過ごしていてほしいと感じたとお伝えして、感想としたいと思います。またよければ書きに来てください。改めて投稿ありがとうございました。
感想1
投稿読みました。過去の嫌なことを言葉にするのは想像している以上にエネルギーを使うものだと個人的には感じているので、気力のいるものだっただろうと思いつつ、それでもこうして綴ってくれたことであなたの中で少しでも何か良い方向に変化があるといいなと思いました。
一つひとつの出来事どれもが、当時の年齢や立場を思うと、あまりに重く、傷として深く残ってしまうのは当然だと私は感じます。検定の結果を人前で明かされることや、失敗を公の場で怒鳴られること、それがどれだけ人格を否定されたように感じられたか、言葉の端々からその苦しさが伝わってきました。「ふざけんな」と思った瞬間や、LINEのやり取りに込められている友人からの軽視の態度には、ただ単に怒りというより、“自分の痛みが真剣に扱われていない”という悔しさや虚しさがあったのではないでしょうか。(違っていたらすみません)相手の何気ない言葉や態度が、本人にとっては深く突き刺さることもあるという、そうした繊細な心の動きが学校や周囲の大人に丁寧に受け止められることは少なく、むしろ“我慢”や“強さ”にすり替えられてしまう現状に、より苦しさがあなたの中に積もっていったのではないかと想像していました。
専門学校でも「パンフレットと実態が違う」「資格を取っても認められない」「怒鳴られる」という理不尽さの連続に晒されながら、それでも最後までやり抜いたことは、本当に簡単なことではなかったと思いますし、そこにはきっと「今度こそは…」という願いもあったからこその努力だったのではないかと私は感じました。けれど、それをまた裏切られるような形で否定されたときの無力感は、想像以上のものであったはずですし、なんだか勝手ながらやるせない気持ちにもなってしまいました。今もなお、フラッシュバックに苦しみながら、それでも自分でリハビリ的な取り組みを続けているということに、あなたの中にある地力を感じています。それはただ単に“回復していく”だけではなく、“自分を守るための選択”でもあると思います。
本当であれば、人が傷ついた時には、安心して立ち止まり、回復を助けてもらえる場所があっていいはずだと私は思います。ですが、それがこの社会には十分に用意されていない現実も確かにあります。今あなたが感じていることも、経験してきた痛みも、どれも「なかったこと」にはならないとは思いますが、それがこれから出会う場や人との繋がりによって(そもそもそれ自体容易なことではないのは承知の上で…)少しでも軽くなっていけたらな…と心から願っています。また何か伝えたいことや気持ちの整理がしたいなと思った時はいつでも死にトリを訪れてもらえたらなと思います。投稿ありがとうございました。