経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

周りと違うこと

10代半ばというキラキラした時期を生きている私は死にたいと思ってしまう。
随分前から死にたいと思っていたが最近はこれまで以上に思うようになったのだ。心当たりもある。
数ヶ月前、私が一番慕って、親しんでもらっていた先輩が亡くなった。
当時は突然の事で信じられなかったが今になって考えると実感が湧いてくる。
考える内容には「先輩はもっと生きたかっただろう」というものもありそれについて友人と語った日もあった。
その友人も死の願望があったようだが先輩の件もあり命を粗末にしてはいけない、軽々しく死にたいと言ってはいけないと考えるようになったらしい。
友人だけでなく先輩と関わっていたほとんどの人がそう語っていた。
でも私だけ、そう思えなかった。
なんなら今まで以上に死にたいと思うようになっていた。
そんな自分を情けなく思い今に至る。
虐められていたり、生徒会がキツかったりで死にたいと思う原因は沢山あるんだろうけど1番はこと出来事じゃないかと思う。
周りに合わせられない自分が情けない。
命を軽く見てしまう自分が憎くて憎くてしょうがない。
そんな辛い世の中で私は生きなければならないのか。

感想1

「死にたい」というただでさえ取り扱いの難しい気持ちについて、その感覚が「周りと違う」と思わされたことは、今はもちろん、随分前から抱えていた投稿者さんにとってはとても心を揺さぶられるものであっただろうなと読ませていただいて想像していました。

「死生観」という言葉がありますが、生きることも死ぬこともそれぞれに考えや価値観の違いがあって、それは一律に括れないものですし、そこに至るまでの体験や経験も本来千差万別である気が私はしています。

投稿者さんの中では、「死にたいと思う原因は沢山あるんだろうけど」と書かれているように、元々虐めや生徒会のキツさなど「死にたい」を意識することがあり、それに加えて親しかった先輩が逝去されたことはさらに「死にたい」を深めるような出来事であったのかなと私には思えました。その感覚は投稿者さんだけのものであっていいと私には思えますし、他の誰かが肯定や否定を出来るものではない気がします。

同じようにそれは投稿者さんの周囲の人にも言えることではあるかと思いますが、多くの人が語っていたとあるように、「命を粗末にしてはいけない、軽々しく死にたいと言ってはいけない」という考えや価値観に至ったということは、ある意味では身近な人の死に直面して初めて「死にたい」という気持ちや死ぬことについて真剣に向き合ったこととも言える気がしますし、ともすればそれは「今まではどこか思慮浅く死にたいという気持ちを捉えていた」とも取れるように私には感じられました。

もちろんどちらも自分なりの考えや価値観、受け止め方をしたというだけで、どちらかが正しい・間違っているというわけではないと思います。ですので、投稿者さんが情けないと思う必要もないと思えますし、命を軽んじて見ているとは私には到底思えませんでした。

自分の考えや価値観が「周りと違う」と感じることは自己の感覚が揺らぐものであるかと思います。ですが、自分と同じ人間が一人として存在しないように、考えや価値観も人それぞれ違って当たり前だと思うので、投稿者さん自身が受け止めて感じた「死にたい」についての気持ちを蔑ろにせずにいてほしいと思いますし、これからの人との関わりでそういった気持ちも素直に語れる繋がりや場所が見つかってほしいなと思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

身近な人が急に亡くなるという出来事は想像以上に人の心を揺さぶるものであると私は思いました。日常に当たり前に近くいた人であれば、当たり前にあった存在がすっぽりと抜けてしまうわけで、いろいろな影響があるように思います。
「死にたい」は単に死にたいという希望だけではなく、うまく言葉にしきれない様々な気持ちが含まれていると私は思うので、あなたが死にたいという気持ちを持っていることも、その気持ちが先輩の死によってより強くなることも自然なことだと思いました。周囲の人たちと違うことで後ろめたいような気持ちがあるのかもしれませんが、周囲の人たちが必ずしも本当の気持ちを伝え合っているかどうかはわからないと思う私がいます。心の中で死にたい気持ちを抱えていても、それを伝えられない人もいるかもしれません。
いずれにしても、誰かが感じていることに正しいも間違っているもないので、そう感じる自分に耳を傾けてもいいし、受け入れてもいいと思います。自分のことを「命を軽く見ている」と感じてしまう気持ちがあるようですが、私には命のことを真剣に考えているからこその悩みや苦しみが伝わってきました。
これからも、苦しい気持ちを出したくなったらいつでも死にトリに来てください。

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