結婚して4年付き合ってから10年経つ妻とは離婚寸前状態。
付き合っている時から、私自身が風俗やマッチングアプリ、SNSを使ってずっと浮気をしてきました。
妻には付き合ってる時から何度も何度も一緒に居て欲しいと懇願してきましたが、今年の2月にまたSNSで女の子と連絡をとってしまいそれが発覚し、もう何もかも許せない。結局口だけとずっと拒絶状態。
そして、2月の浮気がバレた日は私の母ががんの末期で入院をし始めた日。
母親には片親でここまで育てて貰ったにも関わらず最後の最後にこんな不幸なことをしてしまって本当に申し訳ないと思っている。
今は自力で立つことはできないが、意識と食欲ははある状態で、先生からは余命宣告もされており残り数ヶ月しかないと言われている。
母と妻はとても仲が良くお出かけしたり、ご飯を食べに行ったり本当に人の気持ちに寄り添うことができる完璧な妻にも関わらず、私はひどい事をしてしまった。
この言葉で片付けられないぐらい妻の心を傷つけてしまった。
もう本当に妻との関係も母の命も最後なのにどうしようもない事をしてしまった。
言葉では謝っても修復は不可能。
何をしても許してもらえない。
自分でもどうしていいのか分からない。
挙げ句の果て誰にも相談ができない、イライラと不安と悲しい気持ちが良からぬ方へ行きギャンブルに手を出して貯金をほとんど使ってしまった。
もうどこにも助けは出せない。
人生が詰むとはこの事なんだなと思う。
母親は必死にがんの痛みを毎日堪えて生きているのに。
妻は私の浮気を見てきてずっと苦しい思いをしてきたのに。
私はこんな生き方をしていいのでしょうか。
本当に今生きているのが精一杯です。
感想1
読み終えたあとに、何とも形容しがたい胸の奥に沈むような感覚が残りました。あなたの抱える葛藤や罪悪感、後悔、そしてこれからへの不安が、痛いほど伝わってきます。「生きているのが精一杯」という言葉をはじめとする、絞り出すような言葉の一つひとつに、どうしようもなく追い詰められている姿が浮かびました。
あなたの文章からは、人間の脆さと、それでもなお抱えてしまう欲や逃避のあり方が滲み出ているように感じました。長年連れ添ってきた妻さんとの関係を裏切り続けてしまった自分、信頼を壊すと知っていながらもやめられなかった行動、それを何度も繰り返してしまったことへの自己嫌悪…そして、お母さんの死が目前にあるという状況が、罪の意識をより深く刻んでいるように私には映りました
一度失った信頼を取り戻すことがどれほど難しいか、おそらくあなたは誰よりも今、それを実感しているのだと思います。言葉では謝っても修復できないという現実、相手の気持ちを傷つけてきた年月の重みが、ここまでの関係にしてしまったのだと真っ直ぐに自分を見つめている姿には、ある種の誠実さも感じました。ただ、それと同時に、「自分ではもうどうしていいかわからない」という言葉の裏に、責任を引き受けることから逃れたい気持ちや、現実の辛さから目を背けてしまいたい葛藤もあるのではないでしょうか。(違っていたらすみません)
浮気やギャンブルといった行動は、しばしば“自己破壊的な癒し”として選ばれてしまうものだと思います。孤独や不安、罪悪感と向き合うための言葉や支えが不足していると、人はどうしても短期的な快楽や現実逃避にすがってしまうことがあるのだと私は考えています。(一概にそれだけとは言い切れませんが)これは個人の弱さだけでなく、相談先の少なさや、男性が弱さを吐き出すことを社会的に許されにくい文化の中に生きていることも影響しているのではないかなとも考えたりしています。
“こんな生き方をしていいのか”と自分に問いかけているところに、まだ何かを変えたいという願いが残っているのだと私は思いました。痛みの中でそれでも自分を見つめ、問い続けることができる限り、人は変われる可能性を持っていると私は信じたいです。投稿ありがとうございました。