経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親を怨む

私には、同い年、同職の従妹がいる。従妹のほうが誕生日が早いこと、体格も私よりいいことから、私は妹のように育った。従妹同士にしては仲は良かったほうだと思う。従妹は早い段階で、妊娠しにくい体質とわかっていて相談されたから、私のほうが早くに結婚したけど結婚式のタイミングも譲った。母のセカンドパートナーから、立て続けの挙式は、叔母(従妹の母)も金銭的に厳しいから、少し時間を空けるように言われた。従妹より半年ほど遅くに私は挙式した。

そもそも私は挙式を望んでいなかったが、母は「親としての卒業式だから絶対に挙げて」と強制した。私たち夫婦は、フォトウェディングを考えていたが、酒癖の悪い父に代わって、ほぼ女手一つで育ててくれたようなものだから、恩返しもしたいしなあ、と挙式することにした。結婚式は、予算もあまりないので親族のみでやると言っていたのに、母が勝手に母の仕事仲間を招待すると言ってしまったと、突然のことだった。結婚式まで時間もなかったこともあり、それは断ったが、罪悪感が残った。結婚式場で競馬新聞を広げたり、祖父母の遺影を持ち込んだり、好き勝手されて、主人の家からはおかしい家族と思われた。恥ずかしかった。

挙式と同年、従妹が妊娠した。従妹の義母はやや過干渉らしく、それから逃げるために、また田舎での出産のほうが費用も安いという理由で、私の実家で出産したいと申し出があった。その当時私は何も考えず、了承してしまった。それから間もなく、私も不妊体質だということが病院の検査で分かった。ここ2.3年が勝負だろうとのことだった。不妊治療を進めていくうち、何度も失敗して精神的にどんどん落ち込んでいった。それもあってか、私は従妹が妊娠していること、私の実家で出産しようとしていることが許せなくなってきた。そのことは母に何度か話していたと思う。そして、私の誕生日と一日違いで、従妹の子供は生まれた。母に、母のセカンドパートナーに、私の赤ちゃんを一番に抱っこしてほしかった。今までさんざん恥ずかしい思いもさせられたけど、それが夢だった。でももう叶わない。

私は泣いた、狂った。母に対し、私は死にたくなるほどつらい思いをしているのに、どうして私を優先してくれないのと電話越しに叫び散らした。母は新しい命が優先といった。そのためなら私の命なんてどうでもいいと聞こえた。そうして自殺をしようとした。主人に止められて何とか今を生きている。仕事中にも泣き出してしまうありさまで、休職し、精神科に通院している。母からたまに来る連絡には、元気にしている?だとか、娘を心配する母親のテンプレートのような文章が並んでいて、そのたびにあの日の感情がフラッシュバックするので、主人に協力してもらってブロックした。

思えば私は、昔から劣等感の塊だった。優秀な兄に対する両親をうらやましく思い、認めてほしい、愛してほしいと必死に勉強した。それでも自頭が悪いのだろう、叶わなかった。友達も少ない。嫌われることが怖くて、自分から何かすることができず、また距離感もうまくつかめない。初めて死にたいと思ったのは自転車に乗れなかったとき。兄は3歳で乗れたのにね、と比較されていた。毎年、自分の誕生日が近づくと、海に飛び込んで人魚のように泡になって消えてしまいたいと、死に方がわからない幼い私は妄想していた。大人になった今でも、消えてしまいたいと何度も思う。自分に責任のない方法で、この世のありとあらゆるものから、感情から逃げたいと思うのだ。自殺は責められてしまう、だから自分が悪くない方法で、消えてしまいたい。頭の中で、泣き狂う私に対し、抱きしめて、優しくしてあげるようにアドバイスを受けたが、できなかった。

自分自身の気持ちについてネットで検索をかければ、アダルトチルドレンだとか、機能不全家族だとか、いろんなことが出てくる。私が今こうして消えたいと毎日思うのは、家庭環境のせいなのではないか。思えば結婚式も、従妹の出産も、すべて、すべて、母が私を愛してくれないから、大切に思ってくれなかった結果起きたことなのではないか。怒りがこみあげて、呪いのように真っ黒な感情であふれている。衣食住に困ることなく、五体満足で育ててもらったんだから、親を怨むなんて、望んでいない。それでも私は悪くない、被害者だと言いたいから、怨まずにはいられないのだ。

こうして書いている間も、これが読まれることで私はかわいそうな被害者だと思ってくれることを望んでいる。私だけでなくて、多くの人が私の母を従妹を断罪してくれないだろうか。私がこんなにも不幸なのに、傷ついているのに、どうしてあなたたちは幸せを手に入れているのか。許せない気持ちが呪いになっている。

できるのなら、呪いたくない、怨みたくない。でもそうなってしまう。この呪いがある限り、私はずっと苦しいのに。誰か、助けてほしい。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。綴られていることの一つひとつが、心の内にある痛みが鮮明に表現されているなと思うと同時に、それがこれまでずっとただの「個人の問題」として片づけられてきた積み重ねでもあるように思えました。ここに綴られた悲しみや怒りなどの感情を共有できる場所が、あまりにも少なかったのではないかと想像しています。
今の結果があるのはお母さんが自分を大切に思ってくれなかったからなのではないかという思いには、自分の存在をまるっと受け入れてほしかったという切実な叫びが込められているように感じ、それは単なる“わがまま”とか“依存”などとはまったく違う、深い意味のあるものだと私は思いました。家庭という最小単位で、自分の価値を肯定してもらえない場合、外の世界で傷つかずに生きていけるはずがないというのは、あなたとは状況や程度は異なるかもしれませんが、私も母の考えや感情に振り回されて育ってきたことから感じることです。「衣食住に困ることなく、五体満足で育ててもらったんだから、親を怨むなんて、望んでいない。」という声が、この社会の構造の罪深さでもあると私は感じました。
この社会は、親子関係における“恩”の幻想(と、私は捉えています)が根強く、特に母親への感情は歪な形で押しつけられることが多いように感じています。“母は無条件に子を愛するべきで、子も母を尊敬すべき”という考えは、現実には多くの例外があるのにそれが無視されていると思います。それなのに、例外に苦しむ人の方が“間違っている”とされる空気があるのにはどうも私は納得がいかないなと思ってしまいます。あなたがこうして、これまで負ってきた傷を言葉にして表現したことは、沈黙を守ってきた社会に対する小さな異議申し立てのように私は感じ、ちょっと表現が難しいのですが、勝手ながらあなたに仲間意識を抱き、現実が大きく変わるわけではないかもしれませんが、こうして表現してくれたことを嬉しく思いました。
また、不妊治療や出産にまつわる不公平さも、女性は自分の意思とは関係なく、妊娠する・しない、産む・産まないというテーマに直面させられることが多く、それが他人との比較の中で苦しみの種になることも少なくないなと感じています。あなたが従妹の妊娠を素直に喜べなくなった過程は、無理もないことだと私は思いました。側から見るとそれを“嫉妬”や“心が狭い”と思われてしまうこともあるかもしれませんが、“喜ぶべき場面”であるということを強要されているだけであって、それはあなたの気持ちを無視したままのものだと思うので、自分が感じたままでいいということを伝えたくなりました。
結婚式に関しても、自分の意志とは別の文脈でどんどん形を変えていってしまったところにも、あなたが人生のハンドルを自分の手に持てなかった悔しさが滲んでいるようにも感じました。自分の幸せや望みではなく、誰か(特にお母さんや、もしかすると体裁も含まれていたのかもしれませんね…)のために行われたこと…このことを象徴的に、あなたが人生の多くの場面で、自分の思いや選択を後回しにしてきたことがよく伝わってきました。あらゆる場面で積もっていった絶望感などが、「消えたい」という気持ちに変わっていったことは、何の不思議もないな…と私は思ってしまいました。
最後のほうで「かわいそうな被害者だと思ってくれることを望んでいる」と書かれていましたが、社会的に“被害者”として認定されない限り、正当な感情でさえも否定されてしまうこの世界の在り方が、あなたにそう言わせているのではないかと考えてしまいました。痛みを持つ人が、自分で自分の正当性を証明しなければならないなんて、あまりに過酷すぎるよなと、なんだか悔しい気持ちにもなってしまっています。
誰かを怨んでしまう気持ちは、怨まなくては立っていられないほどの理不尽に押しつぶされそうになったからこそ生まれるものだと思っています。あなたが抱える呪いの正体がただの「怒り」や「悲しみ」でないからこそ、ここまで長く、深く続いているのではないでしょうか。ちなみに私も普段はあまり意識しないようにしていますが、心の奥底では母親のことをずっと怨んでいる感覚はあって、でも「できるのなら、呪いたくない、怨みたくない」というあなたと同様の気持ちもあるので、その葛藤の苦しさはとても共感できるなと文章を読みながら頷いていました。
あなたがこうして抱くものを声としてあげることで、ほんの少しでもその呪いが言葉という器におさまっていくことができたらな…と願ってやみません。
また、死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。お待ちしています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
何度も読ませていただいて、まず感じた事は、きっとこの文章には収まりきらないくらいの様々な経験をされてきたのだろうな…という思いでした。
あなたが「怨み」という感情に対して長い間向き合い、耐え続けてきた経験からは、寂しさ、苦しさ、悔しさ…など様々な感情が伝わってきましたし、母親さんがあなたに投げかける言葉ひとつひとつに息が詰まる思いになっていました。文章を読んでいて息が詰まるのだから、実際に経験してきたあなたはどんなに寂しかっただろう…と思いました。

文中に、ご自身のことを「劣等感の塊」だと伝えてくれたと思います。私は、その言葉がとても印象的でした。あなたの思いと一緒かどうか…は分からないですが、私はあなたが自分のことを「劣等感の塊」と思わせてしまう環境に対してやるせない気持ちになっていました。(それが、あなたにとっての「怨み」の一部だとしたら、私もきっと同様に「怨み」を抱え得ることになるな…と勝手ながら想像しておりました。)
もしもあなたのことをもっと認めてくれる人がいたら、「嫌われてもいい」と思えるような安心できる環境だったら…と思うと、そんな気持ちになってしまったのです。
「親ガチャ」という言葉をよく聞くようになった今、まさにこの言葉を使いたくなってしまいました。子どもは親を選べないという現実が、生きる道をも奪う可能性があるのではないか…と勝手ながら思っていると、そんな社会で生きていくのが嫌になるなぁ…と、個人的にしんどさでいっぱいになりそうな感覚になっていました。
そう感じるからこそ、私はそんな社会の構造を変える必要があるんじゃないか…とも思うのです。あなたの感じる呪いは、「親に感謝するのは当たり前」といった感覚が浸透している社会の、勝手な”当たり前”によって生み出された部分もあったりするのかな…と考えていました(あくまで私の勝手な思いにはなりますが)。私は、あなたの抱いている感情が「これが自然な気持ちだ」と伝えられるような社会になってほしいな…と思いましたし、そんな社会になるために行動に移せられるような自分でいたいと改めて思いました(理想論にはなってしまいますが)。

また、ブロックをしてみて、少しでもあなたにとって安心できる瞬間は増えたのかな…と勝手にグルグルと考えていたのですが、消えることのない母親さんへの思いが心の中にずっとあると思うと、たとえ安心できると思った瞬間があったとしても、ふとした瞬間に「怨み」が出てくることもあるのではないかと勝手ながら思っております。(日々しんどい気持ちを巡らせ抱えながら今を過ごしているのだと勝手ながら想像しています。)
そうした中で、文章の最後に「助けてほしい」という言葉を伝えてくださったこと、私は、これまでに抑え込んでいたあなたの心の声を聞かせていただいたような気持ちになりました。
これまで従妹さんや兄さんと比べられてきた環境は、もしあなたが助けを求めたとしても聞き入れてくれる環境ではなかったのでは…と思っています。もしあなたの助けが聞こえる環境だったら…と悔しい気持ちになった一方で、もう少しあなたの声を聞いてみたい思いにもなりました。もしもまた文章を書きたいと思ったときがあれば、いつでも書きに来てほしいと思っています。改めて、投稿ありがとうございました。

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