生きていたい。そう思うことが少しずつ増えてきたように思える。私がこの文を綴り始めたのは三月十六日。高校生の私にとっては春休みである。春休みというのは(殊更四月というものは)新しい環境に慣れなければいけなかったり、不安が大きくなったりと、死にたい気持ちを助長するのではないだろうか。ここに集う皆さんは、あなたは、死にたくて、苦しいから、シニトリという場に集まっているのではなかろうか。タイトルにはああ書いたが、私も未だ死にたいと言う一人である。そこで、私は過去の自分と向き合ってみることにした。この「死にたい」は、今というより過去に原因があるように思えたからだ。少し長くなってしまうが、お時間をいただければ幸いである。最後に私なりの希死念慮攻略ライフハックを少しだけ書いておくので、これが誰かの役に立つことを心から願っている。
まず、私は以前にも体験談を投稿したことがあるので、その時の体験談を読み返してみた。二〇二三年 十二月二十一日に「セーフ?アウト?」を、二〇二四年 一月八日に「セーフだったって」というものを投稿していたので、それを。一つ目の方には、当時の私が思ったことがぎゅっと詰め込まれた悲鳴と嗚咽の文だった。もう一年前に書いたものなので内容はあまり覚えていなかったが、書いている途中で苦しさと惨めさに涙をこぼしてしまったことを覚えている。そうだ。私は父を恨んでいて、憎んでいる。こちらの文に綴られた、「ここはキャバクラか何かですか?」。今よりずっとひどかった暴言暴力。このときの私は限界であった。極限の状態で自分の置かれている状況を形容しようとして、なんとかこの言葉が出てきたのだろう。今見ると少し滑稽な言葉に見えるが、的確であるとも思う。このときに、私の心は壊れてしまった。精神科医に通って、それなのに良くならなくて自殺未遂をし、救急外来に運ばれた。今、私が死にたい気持ちを捨てきれずにいるのは、きっと心があのときに全壊してしまったからだ。少しずつ積み上げて、組み立てて、修正してはいるものの、どうしても元通りに戻せない。はまらない欠片があるから、治りきらない。きっとこの先もそうだろう。欠けたまま年老いてゆくのだろう。しかし、最近は、それでも構わないと思うようにもなってきた。もう希死念慮は仕方がない。だからせめて、この希死念慮が膨らまないよう、のらりくらりやっていこうと。だから家族の愚痴を聞くのもやめた。嫌なことは嫌と言うようになった。嫌なことをされたらやり返すようにした。するとどうだろう、家族は途端に態度を変えた。私を対等として見るようになった。父だけは未だナルシストで俺様いちばん!でやっているが、その他の皆は、私を「人」として扱うようになった。
(ちなみに、この体験談のはじめに私は「自分の性自認は男性だ」と記したが、これは精神疾患によって自分を見失い、自分の中で性別さえも不確かになっていた、というわけであった。今の性自認は女性である)
次に、「セーフだったって」の方を読んでみた。先程私は「人」というように人の字にカギ括弧をつけて表記をしたのだが、これにはきちんと訳がある。この文の中で、過去の私は当時をこのように語っている。
「人生とは、幸せとは?私の人生はどこにあるの。わたし、いつまでお父さんの言いなりなの。人形なの?傀儡なの?いいえ、ヒト。人のはずなのに、人権は。私が幸せになる権利。それはどこにあるの。「ヒト」には、人権がついて初めて「人」になるのです。「ヒト」は生物。ただの生物的な分類。種類。しかし「人」は人間。社会の一員となり、支えあいながら生きている。個人。そう私は思います。いまの私は前者のヒトです。だって人権がないんだもの。」
まとめると、私的には「ヒト」はただの生物学的分類であり、「人」は社会の中で立場を確立させている個人だ、ということらしいのだ。この言葉、私は気に入っている。これもさっきのキャバクラの例えと同じく、生と死の極限ギリギリの淵のところでようやく出てきた言葉なのだが、今読み返すと、確かに! と思わざるをえなかった。よくもまぁ、こんな言葉を残しておいてくれたな。ちなみに当時の私よ、お前にも人権は元々備わっていて、今はそれを父という怪物に取り上げられていたに過ぎないのだ。返してほしくば自分から行動を起こすほか無いのだぞ。
自分から行動を起こす。それをやってのけたのは「セーフだったって」を書いた同年の二〇二四年の冬だった。児童相談所へ電話をかけたのだ。それから面会があったのだが、これがまぁ散々な結果に終わった。面会には私と母とで向かったのだが、そのことが父にばれ、その結果、父激昂。どこのラージャンだお前は。ラージャンが分からない方はぜひ調べてみてほしい。厳つい筋肉ゴリラモンスターの画像が出てくるはずだ。まぁ、ともかくそんな様子で、私は3時間ほど説教をされた。父曰く「俺は児童相談所に相談されるほどのものではなかっただろ! 世の中にはもっと酷い親がいるんだぞ! 俺をそいつらと同列に見做すとは何様だ! 俺はお前のせいで親失格のレッテルを貼られたんだ! ギャー!(発狂)」だそうだ。喧しい。ここまで散々酷いことしてきたろ。自業自得だろ。そう思ったがそれを口にすれば、ただのラージャンを激昂したラージャンに進化させることは目に見えていたので黙っていた。しかし私も人間。腹に立つこと、許せないことはある。彼の発狂具合にイライラが募りに募って、ついに臨界点を越えた。勢いよく立ち上がってしまった反動で、私の座っていた椅子がガタンと音を立ててしまった程に。
「勝手なことばかり言うな! 何が親失格のレッテルを貼られた、だよ! 私だって今まで散々傷つけられてきた! 私はあんたのこと怪物だと思ってる、人間じゃないと思ってる! まともに話もしないで怒鳴りつけて何が親だ!」
このとき、私は、生まれて初めて父にまともな反抗をした。真っ向からぶつかった。父は面食らっているようだった。恐怖で足がすくんで震えた。涙がとめどなく溢れてきた。それでも、ここで食らいつかなきゃ、私、もう一生こいつの言いなりだ! 決死の覚悟で噛み付いた。これが、最後のチャンスかもしれなかったから。死ぬ気で噛み付け、きっと最後の抵抗だから。 …………その後のことは正直よく覚えていない。ただ、あのとき、軽いパニックになりつつも言いたいことは言ったつもりだ。
死にたい気持ちは、きっと、あのときに少しばかり軽くなったのではなかろうか。それからも乱高下を繰り返して、今は、今の私に収まるくらいの穏やかな希死念慮が、私の中に根を張っている。ふとした瞬間に死にたくなるし、嫌なことがあれば私の心臓に根を張った希死念慮は急速に成長し、毒の花を咲かせ、それが過ぎると毒の実をつける。しかし、私はそれでも生きている。そして、これから先も生きていけそうだ。何となくだが、今はそう思っている。
長くなったが、最後に、私なりの希死念慮の原因とその攻略の糸口になった要素を書き留めておこう。
・環境の変化
私は中学から高校へと環境が変わったことで、ストレスが軽減した。中学時代に適応障害による不登校をしていたので、全日制ではなく夜間の定時制学校に通っているのだがこれがなかなか過ごしやすい。電車通学なので自転車より楽。通学のストレスも減った。もし環境にストレスを感じているのなら思い切って環境を変えてみるのは一つじゃないかな? 環境の変え方が分からない方は、シニトリさんやその他専門家さん達ががきっと相談に乗ってくれるはず。
・周囲への抵抗
私は受け身かつ口下手、そして自責思考のトリプルコンボが決まっていたので、なにか嫌なことをされても「言っても伝わらないし、結局全部私が悪いんだから我慢するしか無い」と諦めを持っていたが、これが限界を超えたときに自殺や自殺未遂は起こるのでないか。そう気がついたので私は嫌なことをされたら、その場できちんと伝えるようにした。「それは私見過ごせないわ」という態度を、誰に対しても変えず、内心びくびくオドオドしていたが、見せかけだけでも毅然とした。なめられたら負けだ。相手にとって、自分を格下だと思わせたらだめだ。そういう気持ちで、少しずつ、日常の中で些細に抵抗していったら、周りが少しだけ変わった、気がする。実際に変わったのは周りではなく、私の考え方だけかもしれないが。
・のらりくらり
何でもかんでも完璧に! いやそれは無理。完璧主義は悪いことじゃないが、それがプレッシャーに変わったときが恐ろしい。私は「家の人たちのメンタルケアして〜、家事お手伝いして〜、みんなの愚痴聞いて〜、不登校なんだからせめてそれくらい完璧にしなきゃ」というメンタリティのときがあったのだが、このときは大変苦しかった。今はのらりくらりを身に着けて「メンタルケアくらい自分でやれ、家事はできるときに手伝う、え、愚痴? 気が向いたらね」と言うふうに適当に流しているので、それもストレス軽減に繋がったように思える。
おわりに。今、皆さんは元気だろうか。ご飯は食べれているだろうか。お風呂は入れているだろうか。風邪は引いていないだろうか。しっかり眠れているだろうか。違う、元気じゃない、そう思った人は、どれくらいいるのだろうか。もしかしたら、過去の私のように、周りに充満している毒を恐れて、隙間だらけのガスマスクを必死に口元に押しつけて、びくびくしながら浅い呼吸を繰り返している人もいるのかもしれない。不定期に聞こえる爆音を恐れて、音をあまり防げない耳栓を必死に耳に押し込んでいる人もいるのかもしれない。そう思うと、なんだかとても悲しくなる。どうかそんな人たちに幸せな人生が待っていることを願わずにはいられない。そして、ここまで読んでくれてありがとう。この文を読んでくれたあなたが、これ以上悲しまず、傷つかず、笑顔の多い道を歩んでいけることを、私はずっと願っています。
感想1
客観的にご自身のことを見つめ直していらっしゃる印象でした。過去の経験談の話が今回の経験談の中で出てきたので、それも合わせて読ませていただきました。
「死にたい」原因は過去にあると思って過去の経験談を読みながら振り返ったとき、あなたの表情はどんな感じだったんだろうか…と思いながら読み進めていました。過去の経験談を読んだあなたは泣いていたのか、真顔だったのか、苦虫を噛み潰したような顔だったのか…。剽軽な表現を見てたまに笑っている可能性もあるのかな…いや思い出すのはしんどいだろうしそれはないのかな…とか考えちゃいました。
過去を客観的に振り返ってみる程度の「距離」ができたのか、あるいは「距離」をとろうとしているのかな…なんていうことを思いました。辛いことを書きだすとメンタルにとって良いと私は何かの本で読んだことがあるのですが、無意識的に過去と「距離をとる」ために過去を振り返っている部分もあるのかなぁ…なんて感じました。経験談の中に「ちなみに当時の私よ」と、過去のあなた自身に対して向けている言葉もあることが印象に残りました。
もしかしたら、心が壊れてしまった瞬間の過去の自分に対して、無意識的に花を手向けるような意味合いもあるのかな…とふと感じました。壊れた心が元に戻らないのは、私もその通りだと思っていますし、別に元に戻す必要はないと思っています。そもそも「元の心って何?」「一体どうなったら『元』になるんだろう」とも思います。パッチワークのようにカラフルな布を継ぎ足していくような気持ちでもいいのかなと思うところです。あなたにとってはその方略が「のらりくらり」なのかな…と思います。
こうやって書いているうちに河井隼雄さんの『こころの処方箋』という本を思い出しました。その本の一節に「生まれ変わるためには死なねばならない」という文がありました。「死ぬ」っていうのは肉体の死を意味しているわけではなく、「象徴的に死ぬ」ということです。「象徴的な死」はあなたにもあったのかな…と思うところでした。私は心理学にはあまり詳しくないのですが、「象徴的な死」がないからといって回復できない…というわけでもないとは思う部分はもちろんあります。また、「象徴的な死」はもしかしたら後付けのようなものなのかもしれないなぁ…と思っています。
『セーフだったって』を書いてからあなたが行動を起こすまでの間に、あなたにどんな変化があったんだろう…と思いました。もしかしたら、あなたが変わることとあなたが行動を起こすことは同時進行だったのかもしれないし、変わっていたとしても行動を起こすまで精神的なもの以外での様々な制約があったのかもしれない…と、様々に想像を膨らませていました。
昔あなたが書いた2つの経験談と合わせて読んだ印象で、他の方も感想で似たようなことを書かれていますが、周囲に違和感を抱いて分析したり打開策を考えたりと、「生きる、生きようとする力」があると感じました。それがあなたの言う「毒の花」ではなく、別の大きな花になるのかなと私は思いました。
私としては「毒の花」という表現はすごく気に入りました。仮に「周りに充満している毒」が本当は少なかったとしても(毒がない社会、環境なんてあるのだろうか…)、自分の中に毒の花があって育っていくところもあるのかな…と感じました。主な抵抗の矛先(毒のありか)は人によって異なるのかなと思いましたし、抵抗の方法も様々にある(直接言い返すだけではなく、逃げたり他の人を味方につけたり、など)のかなとも感じました。
あなたの変化について言えば個人的に気になったところとして、性自認の部分があります。私も過去色々と抑圧された経験があり、「強くなりたい」「女性でいるのが怖い」って思ううちに「私は女の人ではない」っていうふうに考えが変わっていました。もちろん肉体的に強い女性(スポーツ選手とか)もいますが、当時の自分の中で「女性である自分は物理的な力が弱い」「力が弱かったら太刀打ちできない」って思いが強かったです。「強くなりたい」というより「現状を変えたい」という思いがあなたの場合は「男性になりたい」という思いに変化したのかな…なんて、自分の過去の体験から想像していたところでした。もし違うのであればごめんなさい汗。また、そういう抑圧体験がなくて、本当にただ「別の性別になりたい」「自分に性別なんてない」って思う人も当然いるかと思います。
あなたが書いてくださったように、環境が良い方向に変化することは確かに希死念慮の攻略に一役買っていると思います。あなたも、今は以前より良い環境に出会い、以前よりは過ごしやすくなっていることが経験談から推察され、その点に関しては「本当に良かったなぁ…」なんて思っています。
父親に抵抗するときすごく怖かっただろうなぁ…と思いますし、家庭環境やら自殺未遂やら周囲の理解のない言葉やら、本当に苦しかっただろうな…と思っています。きっと私には想像できない苦しさだと思いますし、その瞬間の気持ちはなかなか体験できないような凄まじいものなんだろうなとも思います。せめてあなたを労わりたい、と思いました。投稿してくださったあなたも、あなたなりのペースで幸せな人生を送れたらいいな…と勝手ながら願っています。