最近、ニュースでやっているミャンマーでの犯罪組織のことの報道、辛いです。こんな世界がまだあって、しかも日本人も巻き込まれている事への衝撃もありたしたが、それより個人的にも辛かったのです。
私は高校生くらいまで、暴行を伴った虐待を受けていたのです。さすがに電気ショックはなかったですが、服で隠れる所を暴行されるとの体験談、繰り返し蹴られたりする様子の映像は、当時の私と同じでした。(こういう生々しい映像などは、辛い記憶がよみがえる人もいるので考えるべきと感じます)
繰り返しお腹などを蹴る父親、私に暴行する父親に、母親が私を押さえつけながら言った、「顔はやめときや、学校でばれるから。腹か尻を殴れ。」との言葉がフラッシュバックしました。
けして両親は仲が良いわけではなく、物の投げあいや突き飛ばしなどのある夫婦げんかはしょっちゅうでした。
1度、そのような喧嘩で母親がおかしい事を言ってたので父親の味方をしたら、次の日に母親に何度も叩かれました。「なんであんな奴の味方をするんや!」と言いながら。
妹がいますが、不思議と妹が虐待されるのは見ていません(私の居ないときにしていたかもしれませんが)。
両親の喧嘩の時は、妹は別の部屋に逃げましたが、私は自分が止めないと、と思って巻き込まれたのもあるかと思っています。
1度、泣き声を聞いた近所の人が通報したのか、児童相談所の方が来たことがあります。
でも、母親の前で虐待されてます、なんて言えませんよね。そのあとどんな目に遭うかは想像できました。当時は今ほど、虐待ならすぐ保護という風潮もなかったですし。
「ちょっと強く叱って泣かせた。暴行などはない」と話す母親の前で黙ってました。
それがあったからか、顔や見えるところへの暴行はしないように気を付けたのかな、と思います。
中学の時に、普段は見えないけど体操着になれば見える足の蹴られたアザに友だちが気づいた事がありました。
でも、下手な事を話したらまたされると思うと怖くて、「転んじゃったんだ」と言いました。
高校生の時にひどい暴力を受けて声が出なくなった時も、風邪をひいたふりをして乗り切りました。
暴行による痛みは、痛いと感じると辛いと思うようになったのか、次第に感じなくなりました。小学校くらいから痛みには鈍く、膝に画鋲が刺さってるのに気づかなかった事や、腕の骨にヒビが入ったのに泣きもしなかった事がありました。今でも熱い鍋を持っても平気で、後でやけどに気づいたり、縫うほどの傷を負ってるのに血を流しながら平気で帰ってきて夫に驚かれたりしています。
夫は暴行はしませんが、言葉の暴力がひどくて今も傷つく事は多いままです。でも、あのヒステリックな親のいる実家にまた暮らすのもつらい。
とはいえ神経難病とてんかんを患ってしまい、一人では生きられません。
生きる事にはいつも辛さが一緒についてきました。痛みには鈍いので、命を絶つのは難しくないとも思います。
痛みを感じる前に終わる気がします。
自ら命を絶てば色々な人に迷惑がかかる、でも難病障害者の私がいることで医療費がかかって国には迷惑、生き続けるべきか、居なくなるべきか悩んでます。
感想1
投稿を読みました。ニュース報道の内容が、あなた自身の記憶に結びつき、無理やり苦痛が呼び覚まされるような状況だったのかなと想像しています。映像というのは直接的に感覚に接続しやすいものだと感じるので、たしかに生々しく過去につながってしまうこともありますよね……。近年、映画などではトリガーウォーニング(トリガー警告)といって、フラッシュバックなどの危険のある可能性のあるシーンが含まれることを先に予告して視聴や閲覧への注意を促すという取り組みがありますが、残念ながら、まだ浸透しているとは言いがたい状況だと思います。私もメディアの映像などでダメージを受けることが多く、なるべく避けるようにはしているのですが、事前に防ぐことはかなり難しくて困ることがあります。
児童相談所の人が来ても、守ってもらえるとは思えない中で、身近な加害を伝えることはむずかしいですよね。通報があったとき、あるいはもっと別のタイミングでも、あなたを暴力から遠ざけられるには、どんなものがあったらよかったのか、どんな制度や考え方、取り組みなどがあればよかったのだろうか…と考えていました。
大人になった現在でも、あなたにとって暴力の記憶は過去ではなく、生々しいままのことなのだと思います。痛みを感じないことはあなたが暴力の中で生き延びるために必要だったことなのだろうと感じました。
夫からの暴言も苦しいけれど、親との同居との二者択一の中では、逃げることも難しい状況なのかなと思いました。病気がある中では選択肢が減ってしまうというのは、世の中の問題だなと思います。社会はどんな状況の人も保障すべきものであるはずですが、あまりにもそれが足りていない中であなたをまた追いつめているように感じて、憤りを感じるし悔しいです。
記憶だけでもたくさんの傷がじくじくとしている中で、「生きる」に耐えがたい「辛い」がぴったりとついて離れないような日々で、あなたを傷つけるものからすこしでも距離をおくことはできないのだろうか、すこしでも楽な過ごし方はどういうものなのだろうと思います。
あなたの人生の中の苦しさを文章にして教えてくれてありがとうございます。こうやって経験談を送ってくれたきっかけはなにかあったのでしょうか。書くことでなにか意味はありそうか、それともとくには思い当たらないか、わからないですが、このようにしてあなたがそこにいることを届けてくれてうれしく思います。よかったら、また死にトリを活用してもらえるとうれしいです。