新卒で入社してもうすぐ丸5年目になりますが、過去1番くらいの混乱期に沈んでおります。
仕事内容としては保険会社の本社社員で保険事務が主ですが、その他にも開発業務なども担当することがあります。
最近、ある事務業務が他の部署から丸ごと移管されることになり、その担当者となったため新しい事務業務を始めた段階です。今までの既存の業務にプラスアルファで新しい業務が加わる状況です。
全部1人で担当するわけではなく、3人で担当することになりました。
しかしながら同じ時期に、私だけその業務に加えて、開発業務やその他複数のタスクを振られました。しかも期限もすべて2週間ほどしかありません。
こちらの業務いずれも経験したことがなく、初めての業務になります。
前任者から過去対応したメールだけ送られてきましたが、それだけではどこから手をつけたら良いのかわかりません。「ちょっと雑すぎんか?」と、余裕がないからか思ってしまいます。
また、来週からさらに仕事が増える予定です。これは経験したことある仕事ですが、「もう流石にありえん。ひどいよ…!!」と。トドメをさされた感覚です。
若手ですし、「様々な経験をしてほしい」と言うのはわかります。そのとおりだと思います。
ですが、私はただの人間です。皆さんもそうですよね。できる量には限りありますよね。
12時間、1日の半分、昼休みもろくに取れずに仕事する人がいる一方で、定時前に楽しそうに雑談し、定時にすっと帰っていく人も多くいます。
仕事の偏りが生まれるのは仕方ないと思います。完璧に平等に割ることはできないから。
とはいえ、限度を超えた偏りは体力だけでなく、精神的にもダメージが大きいです。
「お疲れさまでした」を聞くたびに、何か大事なものが削ぎ落とされていく感覚です。
仕事とかあらゆる責任、背負ってるものを取っ払って、軽い身体に健康的な精神に近づきたい。。。
「仕事偏りすぎです」と泣きながら訴えるというリアルすぎる夢もみました。
いや〜な夢で中途半端な時間に目覚めた後に、出勤する憂鬱さはおそろしいものでした。。。
転職という選択もありますが、時間も気力も余裕もない。なにより勇気がない。
ないないづくしです。せめてあたたかな家庭や気軽に相談できる友人がいたらなと思いますが、一人暮らしで、友人も社会人だったり家庭もある人もいるので、なかなかストレスを吐き出す先もないです。
私から仕事を取ったら、何も残らないとも言えます。
ないないづくしの私に何か希望を与えたい。
この状況を打破したいのです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
最近の私→ないないづくし
感想2
過去1番くらいの混乱期・・今まさに背中に乗っているであろう責任やプレッシャーの重さが、こちらにも伝わってくるように読みました。
仕事内容も多岐に渡り、加えて初めての業務や期限付きの条件もあるとのこと・・会社の体制変更や上司の意図はかろうじて汲み取れるものの、日々積み重なっていく疲労と内なる心の叫びには、そう感じてしまうのも当然だと思ってしまう私がいました。
「限度を超えた偏りは体力だけでなく、精神的にもダメージが大きいです」との部分には、こちらの姿は見えませんがうんうんと頷いてしまいました。
あなたもしみじみ実感しているかと思うのですが、これだけ疲弊している中で、業務を振る側は一体何を考えているのだろうか・・と疑念が過ってしまいますが、「若手」というイメージがあまり良くない方向へ働いていたり、「仕事は少し無理をしてでも頑張るもの」「乗り越えた先ではきっといい経験になる」といった無自覚なパワー系根性論や、「◯◯さんなら大丈夫」などの一方的な励ましが漂う職場なのだろうかと想像したりしています。
(違ったことを言っていたらすみません)
経験を積むにしても、心身の安全を脅かしてまですることなのだろうか・・とも考えてしまいました。
仕事に忙殺されていると休日もなかなか休めないように思いますし、あっという間に月曜日が来て、心の声を押し殺して玄関の扉を開ける・・そんな情景が浮かんでいます。
転職も頭の中に浮かびつつ、一歩踏み出すには葛藤があるのですね。
確かに余裕のない中では、勇気を出すエネルギーも枯渇してしまうように感じます。
「私から仕事を取ったら、何も残らないとも言えます」との一文は、同じく一人暮らしで、職場と家を往復するばかりの自分にとって、共感とともに刺さる言葉でした。
生活に占める仕事の割合がどんどん増えているように感じる中で、バランスを取っていくにはどうしたらいいものかと、私も一緒に考えてみたい気持ちです。
安直に何か新しい趣味でも始めるかと思いながら、つい後回しになってしまいますが・・。
何をするにしても、程よい健康あってこその仕事や暮らしと思うと、心と身体を壊してまでやらなければならないことは世の中にないような気もしています。
日常の中ではなかなか気持ちを吐き出す先がないとのことでしたが、ここではあなたの苦悩をありのまま書き置いていってくれたらと思っています。
私も思ったことをつらつらと綴ってしまいましたが、またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
悩みの深刻さ、切実さは十分に感じているのにもかかわらず、まず一番に「文章表現が軽妙で、良い・・・」という感想を伝えたくなりました。でもその柔軟で冷静な受け止めや、重く聞こえすぎないように表現する力は、あなたが気を遣う我慢強い人であることを示しているようにも思えて、単に「良い」で済ませていい話ではない気もしています。
仕事については業務の増え方も、その引き継ぎも、ちょっとどころがだいぶ雑すぎると私は思いました。また、全体でバランスよく業務が増えているならまだしも、仕事量の偏りがあるなら、納得のしようもないと感じます。
「お疲れさまでした」を聞くたびに削られる感覚は、誰もこの不平等に十分に目を向けない、自分のこころや存在が周りからは無いものにされている、こんなんじゃ助けを求められるわけもない、といった感覚なのかなと想像しました。(全然違ったらすみません)
どうしても、転職しませんか…?と提案したくなってしまうのですが、そこで「ないないづくし」にぶち当たるという話ですよね…。
ないものを色々と挙げながらも、なにより勇気がない、とあなたは一番を勇気と表現していましたが、私はそれは「自分らしく生きる勇気」「自分を信じる勇気」「自分を守るための勇気」みたいなものなのかなと感じました。
状況は理解できてる、自分の心身はSOSを出している、でも、どうしても身動きが取れない・・・。そういうことは自分自身もあるし、周りを見ていてもある気がしていて、足りないのは、自分の感性でいっちゃえ!といういい意味での自分勝手力というか、逆に言えば敵は「お前の存在価値は周りに認められるかどうかだ」と言ってくる社会というか…。
現実問題、経済面で仕事を辞めるのがかなり難しい場合もあるかと思いますが、自由を阻んでいるのは、そういった現実面の制約だけでなく、自分の心の中に根づいてしまった何かも影響しているように感じます。
そう考えたときに、勇気や希望をもつために必要なのは、同じく勇気がほしいと悩んでいる仲間とのつながりなのかもしれないと私は思いました。直接身近にはいなくても、ネットでただ一方的に文章を読むだけでも、私は仲間の存在を感じられるときがあります。(ちなみに、勇気になるかは謎ですが、私も私の周りも、5年も同じ会社で働いたことのない、転職癖のある人がわりと多くいます。それでどうにかなるかは人それぞれ事情が違うかとは思いますが、経験的にいえば、自分の心身を健康な状態に戻せれば大体のことはどうにかなります)
この経験談であなたが語ってくれたものを読んで、勇気が湧く人もいるかもしれないですし、どこにどんな形でもいいので自分の想いを表現することは、大いなる可能性を秘めていることだと私は思っています。