経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
心のままに書いてみます。
先日、指導を受けている先生から怒られた。
“あなたは、自分で自分のことをできない人だと思っているけれど、出来ていることがたくさんあるのだから自信を持って発言しなさい。自分は出来ないと思ってはいけない。前と比べて成長したところを見て、自分を認めてあげなさい。できないと思うことはダメなことだ。”
このようなことを言われたと思う。
私は、これまで落ちこぼれの人生を歩んできた。
中学受験に失敗し、高校受験では不合格を恐れて志望校は受験せずにランクを落とした高校に進学した。
大学受験は、国公立は全て不合格で、一つだけ受けていた私立の大学に進学した。大学も、私立はランクを落として絶対に落ちないようなところしか受けなかった。
中学、高校は運動部に所属していた。
中学の頃はキャプテンを任されていた。でもそれは人間性を買われただけで、自分の実力を認められたわけではなかった。試合に出ても私以外の子は個人戦でも入賞して賞状をもらって帰って来るのに対して、私は個人戦で入賞したことは一度もなかった。
これまで生きてきて、自分が一生懸命頑張ったことが結果につながったことはあまりなかったと感じる。
たくさんの不合格や挫折を経験し、私は出来ない人間なんだと思い知らされる人生を歩んできた。
一生懸命頑張っても結果が出ない時、私はできない人間だから仕方ない。と諦めることで自分を守ってきた。
だから先生に怒られ、人生を否定された気がした。
できないと思うことはダメなことだと言われた時、気持ちがぐちゃぐちゃになった。
確かに私は自分のことを、何も出来ない、能力のない人間であると認識している。
これまでの人生で突きつけられてきた多くの不合格がその証拠であると思う。
でも、出来ないと認識しているからこそ出来るようになりたいと思って努力することができると思っていて、自分に能力がないとか出来ないと思うことは決して悪いことではないと思ってきた。
しかし、出来ないと思うことはダメなことだと言われてしまった。
この人が言うのならばそうなんだろうと思うほど、私は先生を尊敬している。
この人のようになりたいと思っている人に、自分の今の考えはダメだと言われ、
考え方を変えたいと思った。
でも、私には自分が何も出来ない無力な人間であると思うことがそんなに悪いことだとは思えない。
私はどう生きていったらいいのだろうか。
感想1
「心のままに書いてみます。」という言葉が表すように、今のあなたの素直な気持ちや本音が滔々と文字として書き並べられているように感じて、心にすっと沁み入ってくる感覚をおぼえながら文章を読ませて頂きました。
学生時代に私自身が考えていたことに近かったり、(あなたが先生から言われた言葉と一言一句同じというわけはないですが)似たようなことを何度か言われた経験があるので、もしかしたらそうしたことに自分自身を重ね合わせながら読んでいたところもあったのかもしれません。
勉強や運動、進路や進学において、あなたが今までに、きっと自分の前に立ち塞がった様々な「出来ない」に向き合ってきたのだろうなと想像しています。そしてどんな結果をもたらされようとも、あなたが自身が直面した「出来ない」から決して逃げようとせずに、現在の自分を超えようと絶えず研鑽を積み重ねようとやってきたことは、今現在「出来ない」の海に漂いながら生きている私からすれば、誰にでも真似できることではないように思えますし、思わず尊敬の念を感じてしまいました。
ただ、そうは言っても「出来ない」からこそ自身の頑張りを続けていく中で、なかなか成果が出ない状況が続くのはとても辛いでしょうし、“だからこそ”「自分を守るために、自分は出来ない」と思うようにしていたあなたにとって、尊敬している先生から投げかけられた言葉はあなたの考えを根底から覆すものであったのでしょうし、激しく心を揺さぶられるものだったであろうなと思いました。
少し話が逸れてしまうのですが、先述した通り私自身は「出来ない」ことが多い人間です(唐突にすみません)。ですので、あなたがそうしてきたように私自身も「出来ないことが出来るようになりたい」と思い、何とかしようとしてきてきたことは(10代は特に)多かったように思います。ですが、自分が思っているような成果はやはりあまり出せずに諦める、もしくは「自分はこういう人間なんだな」と自分を納得させる、あるいは説き伏せるような考えを持っていた気がします。しかしながら、そういったことを繰り返す(ときにはあなたが先生から言われたような言葉をかけられる)中で、「きっと自分は出来ないことに直面してそれをなんとかしようとしたことが実らなかったことよりも、“出来ない自分を受け止めるのがつらかった”んだな」と思う瞬間がありました。
それ(そのことを前提に話すのは違うのかもしれませんが)で言うと、あなたが尊敬できる先生から投げかけられた言葉はあなたにとっては考えを惑わすものであったかとは思いますが、「出来ないことに対して、真摯に実直に向き合うことは決してわるいことではない。けれど、その結果が伴わなかったとしても、出来なかった自分を何も出来ない・能力がないと受け止めようとしないでほしい、ひいてはそう思うことによってあなた自身であなたの可能性を狭めないでほしい」、もしかしたらそんなメッセージが込められたものでもあったのかなと想像しました。
あなた自身が「自分に能力がないとか出来ないと思うことは決して悪いことではないと思ってきた。」と考えているように私自身もそれが悪いことだとは全く思いませんし、今のあなたの考え方や生き方をあなた自身が変化させたり否定する必要もないと思います。ただ、もし結果が伴わない瞬間があったとしても、それによってあなた自身が出来ない、力がない人間だとつきつけられたわけではないということを思わず伝えたくなった自分がいます。
ずっと背骨にしてきた考えや信念が揺らされることは考えることも多いかと思いますが、これから先のあなたが、今の自分をどんな形であれ受けれいれられるようになるこれからであってほしいなと勝手ながらに願っています。
投稿ありがとうございました。
感想2
これまでの自分の生き方・考え方を否定されたような気持ちにさえなりながら、相手と自分の違いに白黒をつけるのではなく一度受け入れ、整理しようとしている投稿者さんの姿を感じながら、読ませていただきました。「自分は何もできない」という認識をしながらも、そのことを完全にネガティブに捉えることはせず、むしろ足がかりにしてきたであろう投稿者さんは、きっと物事が出来る・出来ないの二元論ではないことを体感的に知っていらっしゃるのかなと感じました。だからこそ、先生の「ダメなことだ」という断定的な物言いはより投稿者さんを揺らがせ、書き乱したのかなともイメージしています。
私が一番気になったことは、先生の言葉の意図でした(投稿者さんも掴みかねているところなのかもしれませんが…)。先生個人の経験則による考えなのかとまずは思いましたが、それよりは投稿者さんの感覚に訴えかけるような言い回しにも見えますが、投稿者さんはどんなふうにこの言葉の「思い」を捉えていらっしゃるのか、聞いてみたい私がいます。
私は、全部「出来ない」とするのではなく、自分の今の実力をよく見定めてほしい、というような意図にも感じましたが、そのためには自分と向き合う・自分の出来なさを受け入れる過程を経る必要があるのかなと思うと、それはそれでしんどさがある気がします。一方で今書きながら思ったことですが、投稿者さんは「出来ないからこそ努力できる」と書いてくださっていたので、すでに自分を受け入れようとしていると言えるのかな?とも感じました。
もしかするとですが、これまで投稿者さんが感じてきた「出来ない」は結果論だった(合否や勝敗など)けれど、今の先生が投稿者さんを見る視点は、結果以上にその取り組みの過程であったり、(全般における優劣ではなく)個人としての成長を見ているようにも思いました。そうであれば、同じ「出来る」「出来ない」という言葉を使っていたとしても、メッセージ性にギャップが生じることもあるのかなと…(あくまで勝手な想像ですが)。もし私が同じセリフを尊敬する人から言われたら(私も自分を「出来ない」と捉えている人間なので)、「どうしてダメなんですか?」と質問したくなるかもしれないとも考えました。
考え方を変えたいと思うほど師事する存在に出会うことの希少性を想いつつ、投稿者さんはこの経験談を書いてくださる中で、そしてそのあとも、今回の出来事について考え続けているのだろうかと想像しています。気持ちがぐちゃぐちゃになるほどの衝撃はあまりに多いと疲れてしまいそうですが、同時にそれほどの揺らぎを経て形作られていく投稿者さんの生き方・考え方があるのかな、よければまた聞いてみたいな、とも思いました。
投稿いただき、ありがとうございました。
お返事1
私の気持ちに寄り添った感想をいただいてありがとうございました。
少し心が救われました。
先生が私を強くしようとしてくれていることは分かっています。
傷つけようと思っているわけではない。
それでもこの言葉には心を揺さぶられました。
正直に言うと傷ついた。
体験談を書いてからも、この言葉の意図をよく考えました。
”ちゃんと後ろからサポートしてあげるから、もっと自分を信じて色んなことにチャレンジしなさい。あなたならできるよ。自分でできないと思う事で自分の可能性を狭めるのはもったいない。”
と思ってくださっているのだと今は受け止めています。
出来ないと思わないようにするには、まだまだ時間がかかると思いますが少しずつでも自分ができた事を認めてあげれるような人間になろうと思います。
本当にありがとうございました。
感想1
「心のままに書いてみます。」という言葉が表すように、今のあなたの素直な気持ちや本音が滔々と文字として書き並べられているように感じて、心にすっと沁み入ってくる感覚をおぼえながら文章を読ませて頂きました。
学生時代に私自身が考えていたことに近かったり、(あなたが先生から言われた言葉と一言一句同じというわけはないですが)似たようなことを何度か言われた経験があるので、もしかしたらそうしたことに自分自身を重ね合わせながら読んでいたところもあったのかもしれません。
勉強や運動、進路や進学において、あなたが今までに、きっと自分の前に立ち塞がった様々な「出来ない」に向き合ってきたのだろうなと想像しています。そしてどんな結果をもたらされようとも、あなたが自身が直面した「出来ない」から決して逃げようとせずに、現在の自分を超えようと絶えず研鑽を積み重ねようとやってきたことは、今現在「出来ない」の海に漂いながら生きている私からすれば、誰にでも真似できることではないように思えますし、思わず尊敬の念を感じてしまいました。
ただ、そうは言っても「出来ない」からこそ自身の頑張りを続けていく中で、なかなか成果が出ない状況が続くのはとても辛いでしょうし、“だからこそ”「自分を守るために、自分は出来ない」と思うようにしていたあなたにとって、尊敬している先生から投げかけられた言葉はあなたの考えを根底から覆すものであったのでしょうし、激しく心を揺さぶられるものだったであろうなと思いました。
少し話が逸れてしまうのですが、先述した通り私自身は「出来ない」ことが多い人間です(唐突にすみません)。ですので、あなたがそうしてきたように私自身も「出来ないことが出来るようになりたい」と思い、何とかしようとしてきてきたことは(10代は特に)多かったように思います。ですが、自分が思っているような成果はやはりあまり出せずに諦める、もしくは「自分はこういう人間なんだな」と自分を納得させる、あるいは説き伏せるような考えを持っていた気がします。しかしながら、そういったことを繰り返す(ときにはあなたが先生から言われたような言葉をかけられる)中で、「きっと自分は出来ないことに直面してそれをなんとかしようとしたことが実らなかったことよりも、“出来ない自分を受け止めるのがつらかった”んだな」と思う瞬間がありました。
それ(そのことを前提に話すのは違うのかもしれませんが)で言うと、あなたが尊敬できる先生から投げかけられた言葉はあなたにとっては考えを惑わすものであったかとは思いますが、「出来ないことに対して、真摯に実直に向き合うことは決してわるいことではない。けれど、その結果が伴わなかったとしても、出来なかった自分を何も出来ない・能力がないと受け止めようとしないでほしい、ひいてはそう思うことによってあなた自身であなたの可能性を狭めないでほしい」、もしかしたらそんなメッセージが込められたものでもあったのかなと想像しました。
あなた自身が「自分に能力がないとか出来ないと思うことは決して悪いことではないと思ってきた。」と考えているように私自身もそれが悪いことだとは全く思いませんし、今のあなたの考え方や生き方をあなた自身が変化させたり否定する必要もないと思います。ただ、もし結果が伴わない瞬間があったとしても、それによってあなた自身が出来ない、力がない人間だとつきつけられたわけではないということを思わず伝えたくなった自分がいます。
ずっと背骨にしてきた考えや信念が揺らされることは考えることも多いかと思いますが、これから先のあなたが、今の自分をどんな形であれ受けれいれられるようになるこれからであってほしいなと勝手ながらに願っています。
投稿ありがとうございました。