経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

身近な人に気持ちを相談出来なくなった

こんばんは
よろしければ目を通して頂けるとありがたいです。

数年前からずっと「死にたい」という気持ちを抱いています。

最近、
その「死にたい」気持ちが強くなったのは失恋してからでした。

けど、
失恋してから随分経ち、
なんだか漠然と、言葉に出来ない「死にたさ」が心の隅に残ってずっと居るのです。

別に親に暴力を振るわれている、
とか、
虐められている、
とかでも無く、
強いていえばこの先の不安とか、
過去のフラッシュバックなんだろうなぁと思います。

仲のいい友達や親に、相談するたび、
「死なないで」「そんなこと言わないで」とか言われるたび、心苦しくなって最近は相談できず1人で溜め込んでいます。

精神科の病院の先生にも、
以前何かを相談した際、
的外れな事を言われてしまい、
それ以降自身の思っていること、
心のことを相談出来なくなってしまいました。

「死にたい」と検索するたび、
出てくるダイアル番号も、
親の目があったり、
そもそも恐怖でかけれなくて…

SNSもたくさんしていたけど、
病んでる内容くらいしか投稿することが無くなって、色んなアカウントを消しました…

「死にたい」と投稿すれば、
誰かが気にかけてくれる、
そんなふうに思う自分も嫌になりました。

友達に相談することで、
相手の気分も暗いものにしてしまい、
共倒れしてしまうのではないか、
という怖さもあり、
余計相談も出来なくなってしまいました

昨日から、
「どうせ死ぬんだから、何をしても無駄だ」という考え方になり、何をするにもおっくうになってしまいました。

今まで楽しめていた趣味も味気なく、
つまらなくなってしまい、
趣味自体もするのが面倒くさくなってきました。

このままずっと「死にたい」と考えてしまうくらいなら、「生きずらい」世の中なら死んでしまうのもいいのかな…とぼんやり思いながら、今日も生きてしまった…と一日の最後に思ってしまう日々です。

もしかしたら、
このままだといつか自分が本当に命を絶ってしまうのではないか…とか、
心にため続けている「死にたい」の気持ちが溢れ出して、とんでもない行動(他人に迷惑をかけるような死に方)をするのではないか…と毎日恐ろしいです。

でも、
心の底では生きたいと思ってもいるんです。
生きたいのにやっぱり死にたいの繰り返しで考えるのも疲れてきて………。

台所で包丁を持つ度、
荷物が届いてカッターを持つ度、
このまま自分を傷つけられたらどんなに良いだろうか、なんて考えてしまいます。

心配してくれる友達も親もいるのに、
どうして命を投げ出すような事を思ってしまうんだろう、私は酷いやつだ、愚かなやつだ、と自分を攻める時もあります。

この先も、
ぼんやりと希死念慮を抱えて生きていくんだと思うと、なんだかすごくつらくて苦しくて友達や親に申し訳なく思います。

もう自分でもどうしたらいいのか分からないんです………。

どんな風に考えても、
最終的に「死にたい」に行き着いてしまうから………。

まとまりのないつたない文章ですが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

感想1

こんばんは、あなたのお気持ち、教えてくれてありがとうございます。
読ませていただいて、死にたい気持ちが湧くくらいあなたにとっては過去のことだったり、未来のことだったり、色んなものがあなたの中に溜まっているような気がしました。それで、今は自分のキャパシティーをその色んな何かが超えちゃったところなのかな、と想像しました。

私自身は、キャパシティー内だったらなんとか制御がきくことはあっても、キャパシティーを超えると、全然うまくいかないというか、どんどん制御できていたものが溢れ出てきて、どうしようもなくなることがあります。だから、やたらめったら、自分に溜まったものを身近な人に吐き出しちゃって、全然受け止めてもらうどころか返り討ちにあって、もっと痛手を負っちゃうというか…。(しかも話をした後に、何をやってんだろうとさらに自分を追い込むまでがセット。改めて考えて本当に何やってんだろうという感じですよね。)
だからこそ、あなたが色んなものが溢れてもう自分は限界だ…と思ったときに、身近な人に思わず自分の想いがこぼれて話したくなる感じも自然のように思えましたし、気持ちを受け止めてもらいたくて話をしているだろうに、そうやってあなたの「死にたい」の背景を知ろうとせず、最初から思いやってるようであなたの気持ちを否定する「死なないで」はなんかしんどいかもと私自身は思いました。文章の端々からも人に迷惑をかけないように、いつも自分の話をしちゃってもいいのか気にしている、周りの人を大切にしたいというような家族や友達想いのようなものが伝わってきた気がしたので、さらに家族や友達からの「死なないで」という願いはあなたにとっては重く、強制感のあるものなのではないかとも感じました。だからこそ、身近に話せなくなり、その他の頼れそうな病院の先生にも話すことをチャレンジしてみても、受け止めてもらえなかった体験は、自身の気持ちを話すことへの怖さにも繋がって、今は「自分の気持ちを溜めるしかない」そんな状況に追いやられていった感じがしました。
他にも、SNSで死にたいと投稿する、そんな自分も嫌だと話をされていましたね。個人的には、それくらいにはあなたの気持ちが溢れてしまっていて、それを受け止めてくれる存在がいないからこそのものだと思うので、その発信はあなたの奥底からのヘルプサインのような気がしました。だから、もしかしたら気持ち悪く感じるかもしれないけど、それほど、もうせざるを負えないほどにはあなたは痛手を負っているのかな感じましたし、利用できるものは利用してほしいと勝手ながら思いました。

個人的には、あなたの気持ちはあなたのものだと思うし別に希死念慮を抱いてもいいと思っています。ただ、そうやっていっぱいいっぱいの時に受け止めてもらえないと苦しいだろうから、こうやって溜まってきた時にはぜひここに来て欲しいなと私は感じました。
改めて、自分の気持ちを伝えにきてくれてありがとうございました。

感想2

「死なないで」「そんなこと言わないで」って、本当によく言われる言葉で、私も言われた経験があるなぁ…と思います。私も希死念慮と付き合いが長くて、周囲の人に「死にたい」「つらくてもう無理」みたいな相談をしたことがありますが、同じように言われて、そんなこと言われたってどうしていいのかわからないよ…という気持ちになったことがあります。
「身近な人に気持ちを相談出来なくなった」というタイトルにあるとおり、周囲や精神科の医師からの返答を聞いている中で、相談すること自体難しくなっている状況なのだと思いました。

(ちょっと脱線かもなのですが)そういえば、何年か前に、死にトリの運営をしている法人で「簡単に死なないでと言わないで」というタイトルの冊子を制作していたのを思い出しました。私は制作にはとくに関わっていないのですが、読ませてもらって、とても印象的だったのを覚えています。
内容としては、「死にたい」って言葉を聞いたときに、つい「死なないで」と返しちゃうような人(「死にたい」とあまり思ったことがない人?)向けの「死にたい気持ちってなんだろう?」ということを「死にたい」人たちと考えているものでした。そういう冊子が必要なくらい、しんどいときに相談したいと思っても言葉が通じないことって多いのかな…と想像しています。
友達も親も心配してくれていることはとても伝わってくるからこそ、自分を責めてしまう気持ちも、個人的にはすごくわかるなぁと思いました。

電話相談も気になりつつ、親や電話自体に不安もあるし、SNSもアカウントを消して、考えれば考えるほど「死にたい」「生きたい」「なのにやっぱり死にたい」とへとへとになっている中で、死にトリを見つけて、経験談を送ってくれてありがとうございます。
私があなたの言葉をどのくらい受け取れているかというと、自信がないところもあるのですが、「死にたい」という一つの言葉だとしても、そこに込められている感情や、意味や、つらさは個別のものだと感じています。
あなたにとっての生きづらさや「死にたい」がどういうものなのか、一緒に分解して考えてみたいなと思いました。
よかったら、また言葉を聞かせてくれたらうれしいです。投稿ありがとうございました。

お返事1

感想ありがとうございます

あれから、
友達にふっとしたキッカケで希死念慮について、「死にたい」と話してしまいました。

それについての答えはどっちつかずな様な感じでしたが、なるべくあなたには死んでほしくない、というものでした。

そのメッセージを受け取った夜、
いつもなら涙を流しながら寝ていたのに
不思議と落ち着いていて、
心の中で、自分自身にかけてもらいたかった言葉を言いました。
(「今までよくがんばってきたね、大丈夫だよ」とかそんなような事だったと思います)

そして、
今までの落ち込んだ私では考えられないような、「心配してくれる友達もいるんだし、もうちょっと生きてみない?」という言葉が心の中に浮かびました。

感想にもあったように、
正直キャパオーバーだった私から、
浮かぶような言葉では無かったので、
びっくりしました。

友達に話してしまったのも、
SNSなどでやたらめったら騒いでしまったのも、
最初は失敗だな………と思っていたのですが、今思うと結果オーライ?だったのではないのかな、と思い始めています。

たぶん、
感想の通り、私自身のヘルプサインだったのだろうと思います。
(現実で「死にたい」というと猛反発されるので、身近な人に求められるいい子に振る舞う分、ネット上などで「死にたい」と書いてしまったのかな、と……)

今までにも希死念慮が溜まって、
リミッターを超えそうになると、
友達に相談したりしてた事はあって、
その度止めてもらうことを自分が求めてしまっているのでは、と思っていました。

ただ、
相談してた友達も、
感想の通り、
「そんなこと言われても…」と思われていたかもしれません。
(実際相談して後悔したこともあります)

それに、
今回の希死念慮は色々あってなんとかなったものの、また次に自分がキャパシティオーバーになってしまったら………と、思うとそれもまた怖くて…。

ですが、
希死念慮を抱いて、
自分勝手に死ぬには、
やっぱり、
心配してくれる人や、
私が居なくなったら困る人のことを考えると出来なくって………。

これから、
また希死念慮を抱いても大丈夫なように
相談出来そうな人がいる場所や、
病院も先生が合わないって感じたら、
別の病院に行くことも検討しています。

それこそ、
希死念慮でいっぱいいっぱいになって苦しい時に、頼れる場所を作っておきたいなと思いました。
(難しいことだとは分かっていますが…)

この先も、
「生きたい」と「死にたい」を繰り返すかもしれません。
また、
この「死にトリ」のサイトに経験談を送るかもしれないです。

ですが、
とりあえず今日生きちゃったんだから、
明日も「自分が居なくなったら悲しむ&困る」人のために、生きてみることを決行してみます。

改めて、
感想本当にありがとうございました!

読んでいて、
心が軽くなり、
涙が出ていました。
本当にありがとうございます。

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