経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
昨年秋、自閉症スペクトラム障害の診断を受けた者です。
ずっとずっと、自分は普通ではないと思って生きてきて、やっと答えが出た、と感じました。
ただ、診断が出たからといって、誰かが生活を支えてくれるわけではありません。
両親や兄弟は健在ですが、幼い頃から折り合いがつかず、(個人的な感想としては)都合のいい奴隷のように扱われ、ある時ふと「このままここにいたら使われるだけ使われて、自分の人生なんてものはないまま死ぬんだろうな」と思ったことをきっかけに、逃げるように家を出た身なので、実家を頼るわけにはいきません。
自閉症の診断は出たものの、保護を受けるには及ばない自活能力がある、とも判断されたため、生活保護は受けずに、昼間の仕事と夜の仕事(いわゆる“そういう”お仕事です)を掛け持ちしながら、過去にストレス起因で作った借金を返しながら、一人で暮らしています。
全て、この人生を選んできた自分の責任です。
殺されるのではと怯えて親に反抗しなかったことも、泣き叫んで暴れるくらいの抵抗すらしなかったことも、全て私が選んできたことです。
でも。
いっそ生まれなければ。
母親が妊娠中毒症にかかり、母子ともに危ういと言われたそのとき、私を犠牲にしてくれれば。
この生が、なければ。
罰当たりだとはわかりつつも、そう考えてしまいます。
今年、寒い冬の最中。
季節性の鬱になりました。
物心ついたときから毎年冬に調子が悪くなっていましたが、本格的に心と体に限界が来てしまいました。
人は皆、最期は一人。
だから、苦しみながらも、ほんの少しだけ周りの手を借りつつ、一人で生きねば、と、踏ん張っていたのに、どうしようもなく動けない日々が続いています。
私の生に、何の意味があったのでしょう。
ここまでやってきたことに、何か意味があったのでしょうか。
一人静かに生を終えてしまいたい。
けれど返すものも残っているし、会いたくもない家族親族が、私の身辺整理をすることを考えるとおぞましく、まだ終わるわけにはいかないと歯を食いしばる毎日。
こんなときに、心から頼れる人が一人でもいれば、「最期は一人」と自分に言い聞かせずに済んだのでしょうか。
今の私には、なにもわかりません。
感想2
一文字一文字、丁寧に綴られた文の中に、あなたの人柄と、抑圧を受けてきた時間の双方を感じるようでした。
寒い日が続いていますが、うつの症状はいかがでしょうか。この冬は例年に増してあなたにとって厳しいものだということが伝わってきています。
自閉症スペクトラムの診断を受け、あなたなりの視点や感じ方というものを少しずつ整理しているところなのかなあと想像しながらも、加えて家族との関係で受けた傷がまだまだ深く、特性と家族のことと複雑に絡み合って、あなたの生きづらさにつながっている印象を受けています。
「ほんの少しだけ周りの手を借りつつ、一人で生きねば、と、踏ん張っていた」と書いてくださったところから、家を出てからしてきたあなたの努力が痛いほど伝わってくるようでした。家族から殺されるのではと怯えるほど、そこには安心感というものはなかったのではないかなと想像します。むしろ人に対する不信感が強い状態で、人に頼るということも「どうすればいいのかわからない」という状態だったのではないだろうかと思いました。
重なる物価高の中で生活が圧迫され、誰しも不安感が強まっている世の中です。頼れる人もおらず、どうしようもなく動けない日々というのは、孤独や不安が強まるのも当たり前だと感じます。
家族を頼れないからこそ、頼りたくないからこそ、動けない状態の時には、生活保護(お金の心配をせずしっかり休養をとり、また働けるようになったら、働くことができる誰でも使って良い制度です。)を含め、使える社会制度を活用してほしいとそんな気持ちにもなっています。
「人は皆、最期は一人」というあなたの言葉の事実に突きつけられながら、誰しもがどうしようもなく孤独で、私たちは孤独を持ちよって、孤独に還っているんだなとあなたの言葉から考えたりもしました。
また、「意味があるとは証明しやすいが、意味がないとは証明しづらい」という言葉が思い浮かびます。もっとあなたと生と死に対する会話をしてみたいな、と思いながら感想を書き終えます。経験談への投稿ありがとうございました。またいつでも書き込みに来てください。
感想1
読み終わって、(タイトルとなっている)最期は皆一人だから、という表現に詰まっているあなたの気持ちやイメージに、今想像を巡らせています。
ちなみに、仲間といっていいかはわからないですが、私も自閉スペクトラム症です。この経験談には自閉であることの生きづらさはあまり書かれていませんでしたが、日々緊張や違和感、馴染めなさを抱えて生きてきたのではないかと想像しています。
過去のことも、今のことも、将来のことも、とても孤独というか、自分の力でどうにしなくては、と踏ん張っている分だけ、誰か頼れる人がいたら…という「もしも」に焦がれる気持ちも出てくるのだろうか?などとも考えています。
あなたにとっての「最期は一人」というのは、「最期は一人なのだから、今一人であることも仕方ないのだ」と孤独に耐えるための言葉、ロジックなのかなとは読み取っています。
そして、一人じゃない=心から頼れる人がいる、というのは、物理的に近くにいるじゃなくても、「いざとなったら自分は助けを求めていいんだ」という自分への人権意識や、周囲への信頼、という意味合いにもとれるように思いました。
あなたの家庭環境は、人権意識や信頼が積み上がらない、むしろ裏切られ続ける環境にあったと思うので、人は抑圧によって「孤独にさせられる」ともいるように思いました。あなたがなるべく早いタイミングで、信頼できる大人に出会えたり、家庭から出られたら違ったのでは…?と私は想像してしまうので、そういった社会にしていかないとと改めて思います。
また、あなたが反抗できなかったことは、「選んだこと」ではなく「選ばざるを得なかった」ことで、あなたの責任ではなく環境、社会の責任であると私は考えます。
でも、私がここで「社会の責任だ」と叫んだところで、社会から何か補償やサポートが十分あるわけではなく・・・もどかしさとやりきれなさを感じる限りです。
経験談の最後は「今の私には、なにもわかりません」と書いていましたが、なにもわからないことが「わかった」という段階にあると私は感じました。
わからないことがわかったら、あとは誰かと対話することで(それには、書くこと、読むことも含まれると思っています)、少しずつわかってくる、見えてくるものがあると私は経験から思っています。逆に、わかったと思っている状態では、誰の言葉も吸収することなく、理解が停滞してしまう気がしています(自分も「わかった」と思いすぎないように気をつけないと・・・)。
死にトリには、いろんな人の率直な言葉があるので、いつでも訪れてもらえたらと思います。