経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

働きたくない、楽になりたい

年末年始に旅行へ行ってリフレッシュできて、とても幸せな気持ちで毎日を過ごしていた。でも今、仕事が始まってまだ一週間しか経っていないのに、会社の上司の機嫌に振り回されて、とても気持ちがしんどい。天国から地獄に落ちた気分。心療内科から貰っていた抗不安剤を飲んで、何とかやり過ごしたけど、家に帰って横になっていると、何のために生きているんだと悲しくなる。昨日までの幸せな自分はどこへ行ったんだと。上司や評価という自分でコントロール出来ないものに人生を左右されて、自己肯定感を奪われ、ただただ苦しい。そして、社会人になってから、もう何度もこの状況を繰り返していて、生きることに嫌になる。幸せな時間を過ごしては病み、また幸せになるために行動しても病むの繰り返し。もうこんな辛い時間は過ごしたくない。こんなに心が疲弊するんだったら、さっさと楽になりたい。苦しみから解放されたい。でも仕事を辞める勇気も死ぬ勇気もない。だから抗不安剤で誤魔化しながら、だましだまし仕事を続けている。本当はこんな人生は歩みたくない。薬にも頼りたくないし、ずっと幸せな気持ちのままで人生を謳歌したい。でもそれを選択してしまうと、今まで頑張ってきた時間が無駄になるし、せっかく築いてきた給料も失ってしまう。そうなるのが怖い。給料を失ったら、食べたいものも食べられなくなるし、旅行にも行けなくなるし、好きな人にも会いに行けなくなってしまう。そうはなりたくない。そうなるくらいだったら、抗不安剤を飲んでいる方がマシだと思えてくる。いずれこの苦しみも時間の問題で無くなるだろうし、社会も変わってきているから、自分が救われる機会が来るまでの辛抱だと信じている。報われる日が必ず来ると信じている。だけど、やっぱり、苦しい。苦しみを打ち消すためにも、心療内科の先生からおすすめされた書籍を読んだり、運動したり、日光浴したり、甘いものを食べたり、たくさん寝たり、自分に出来ることはやっているつもりだ。でも仕事が始まると、幸せな自分というものが奪われてしまい、とても苦しい。そして、この繰り返しの人生にももう疲れた。仕事をしないと生きてはいけない、でも仕事をすることで他人に人生をコントロールされて、自分が自分でなくなるなら、何のために生きているんだろう。この苦しみから解放されたくて、ずっと答えを探しているけど見つけられない。幸せになるための努力をしても、報われない。もうこんな人生に疲れた。早く楽になりたい。

感想1

投稿ありがとうございます。
1月が終わろうとしていますが、これまでの期間をどのように過ごしてきたのだろう…と気になりながら感想を書いています。

あなたの経験談を読むと、あなたには理想の生き方があり、その理想のためには働かなくてはいけない。でも「上司や評価という自分ではコントロール出来ないものに人生を左右される」ことの不自由さ・苦しさがあり、本当は仕事をやめたいといった狭間に立たされているのかなと想像しました。あなたの理想の生き方は「食べたいもの」を食べ「旅行に」行き「好きな人に」会いに行く生き方で、自由な「人生を謳歌したい」のだろうと見受けられました。その理想や、狭間で悩むことは私とほぼ同じなので共感の気持ちと同時に、どうしたらいいんですかねぇ…とあなたと一緒にじっくり考えてみたい気持ちになりました。
これは私がそうだからという根拠のない仮定の話なのですが、タイトルを「働きたくない」とあなたはしているものの、本当はあなたは働くことそのものが嫌いではなく、上記した「上司や評価」などに振り回されることや、心療内科に通ったりよくなる努力をしたりしても、今の「仕事」が「苦しみ」にあなたを引き戻すことがつらいのではないかと思ったのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、今の「上司」と違う部署などで働く選択や、仕事(職種・働き方)を変える選択もあるのかなと思ったことは書いておきたいと思います(あなたの仕事や職場環境などがわからないのと、すでにあなたは何度も試してきたかもしれないので、ずれた話になってしまっているかもしれませんが…)。それが難しい場合には、一定期間「仕事」から離れてみる(休職や退職して失業手当などを利用する)のも大事なのかもしれないと私としては感じました。理想の生き方が容易ではなくなってしまうかもしれませんし、「時間が無駄になる」と感じるかもしれませんが、あなたが身も心も削られながら過ごす時間は、かえって理想から遠ざかってしまう恐れもあるように感じたのです。あなたがひとりで「答えを探し」続けて苦しまず、立ち止まって、いろいろな人の視点や知恵を得ながら進んでいけたらいいなと勝手ながら思います(もちろん今の暮らし方をあなたが選ぶのも自由だとは思っています)。ここに投稿してくれたことで少なくとも私は、同じようなことでいつも悩む立場として違う視点をもらえたようにも感じました。またよければ書きに来てください。

感想2

会社での日々のしんどさに追い詰められながらも、自分をなんとかケアしながら生活しているあなたの様子を想像しながら読みました。本当にお疲れ様です、という気持ちになっています。お疲れ様というと挨拶みたいですが、労わる言葉のストックがたりず、すみません。仕事の場所では「お疲れ様です」という挨拶がよく使われるけれど、こんなふうにあなたが疲労させられてしまう状況は、そんな挨拶では片付かないとも思いつつ、「お疲れ様」が当たり前になっていること自体が変なのでは?という気分にもなりつつ、という感じでいます。

「会社の上司の機嫌」に周囲が振り回されてしまうような状況は問題があるし、公正な空間ではないような感じがします。でもその上司に評価されるという関係性の不均衡の中では、あなたはそれに我慢して従ったり、無理をしてでもなんとかしなければいけないことが多いのかなぁと思いました。それは家に帰ってぐったりしてしまうのも、「何のために」と自問したくなるのも無理からぬ話だと感じています。
一方で旅行ではリフレッシュできたり、心療内科の先生とおそらくはいい関係を築き、教えてもらったことを試したり、自分のためになることを色々と実践しているあなたには力があるのだとも感じます。
それなのにたくさん充電しても、そのエネルギーが食いつぶされてしまうような状況は理不尽だと感じました。

頑張ってきた時間、築いてきた給料があるからこそ、辞めたり転職したり、ということを考えるのが難しくなっているのですね。きっと頑張って得たお金で楽しみを得ていくことは、あなたのエネルギーの循環スタイルなんだろうなぁと感じています。また、その循環が崩れるくらいしんどい今があるのだと思いますが、それもきっと一過性だとも感じるところもあるから、ふんばりたい気持ちもあるのかなと思います。
私にはあなたの職場や状況の詳しいことはわからないですが、「楽になりたい」という言葉は、日々の仕事やそれ中心の生活があまりにも苦しいということをいっている言葉だと感じています。文章から、あなたはきっと元々リフレッシュが得意な方であるように感じているのですが、そういうあなたが「楽になる」がわからなくなるくらい、日々の中でリフレッシュしきれない日々が続いているということなら、少し休んでみるのもひとつなのでは…とも思ったりしました。
あなたがあなたでなくなってしまうと感じるような場所では、たくさん心身がすり減ってしまっていることだと思います。
(ちなみに私は過去に転職回数が10回くらいはある仕事を辞めがちの人間なので、あまり参考にはならないと思うのですが、傷病手当や失業保険などの制度もあったりするので、意外と仕事をしなくても生きていけるし、転職にしても準備をする時間はそこそこあった気がします。)
あなたがあなたでいられる場所で過ごしてほしい、あなたの心や力が回復していってほしいと願っています。投稿してくれてありがとうございました。

一覧へ戻る