経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

最近の私

ざっくり最近どんな感じで過ごしてる?

死にトリや通院先で相談したり、アドバイスをもらって試してみたりしている。

試行錯誤を、のんびりしている猫みたいにスローペースでやっている。

お仕事のこと。

単発のお仕事も少しずつやっている。

調子に乗って(1ヶ月できたから次の段階だ!進むぞー!と勢いで)シフトを詰め込み、当日になって「無理だ…行ったらやらかす気しかしない…」とその日から1週間休んでしまうのを同じ職場で2回繰り返したりした。(そこにはもう行けない?行かない?と思っている)

できたこととしては、アルバイト統括の方に質問ができるようになった。

相変わらず雑談は苦手だ。自分から話すと話しすぎて失言したり、逆に話が続かなかったりする。ので、雑談は極力最低限に留め、苦手な方とは一定の物理的かつ精神的

距離をとるようにしている。

家族とのこと。

今は父、妹と実家で暮らしている。

一緒の空間にいるのが気まずいとき(私1人で自宅警備隊をしていて、父や妹が帰宅したタイミングで)、自室に避難する。

といっても2段ベッドで仕切られただけの、大きく見れば妹と一緒の部屋だ。

寝る際は和室に移動していたが、寝付きが悪すぎて、また自室に戻って、いまは落ち着いている。休みの日は寝過ぎなくらいだ。思う存分寝ている。良質な睡眠かは分からんが、とにかく時間を確保している。

あと、甥っ子に会えた。兄夫婦に許可を取り、教わりながら抱っこしたりあやしたり、ミルクをあげたり、夜はおなかをゆっくりトントンしたりした。(兄のパートナーさんの方から〇〇してあげて〜!と言われたのにはびっくりした。少しでも力になれていたならいいが。)

抱っこしながら「会えて嬉しいぞ?」と甥っ子に伝えた。生後数ヶ月のため、反応は見つめられただけだ。

言葉が通じない未知数の相手(?)の前では気持ちが素直に出るのかもしれない。

考えてること。

どこでどう過ごしたいか、生活や仕事で譲れないことや大事にしたいこととかを考えるようになった。新しく気づいたり浮かんできたりするものもあれば、脳内でリマインドされるものもある。

いずれにせよ、言語化は口にするより、脳内再生と文章の方が圧倒的にしやすいのは相変わらずである。特性と言えるかもしれない。

相談を重ねて気づいたことは、自分だけおかしいと思ってたことはそこまでおかしくなかったり(いいねーとかおもしろいねーとか言われたりする)、周りには「そんなこと気にしない、私は私、あなたはあなた。」という人が結構いるみたいだ。

話したり、交流したり?してみないと分からないことは多いみたいだ。あくまで「み

たいだ」だけど。

人と時間をかけてじっくり向き合う機会は相変わらず少ないけど(今までの友達と会おうという気持ちは未だにうまれない。)、もし会うことになれば、できる範囲で気を遣い(遣い続けて頭が重く感じたことがあるので)、「一緒にいやすいなー」という人と一緒にいられる時間を大事にしたいなとは思う。

最後に

長文お読みいただきありがとうございました。

なにかしら、へーとか、ふーんとか、思考の一助?になるかもしれません。もちろん既読スルーもあり得る。

今回はこの辺で失礼します。

感想1

経験談への書き込みありがとうございます。読みながら、ホッコリするお話であったり、共感できる所、確かに!と思ったりしながらいつの間にか見入ってしまっている自分がいました…

投稿を読ませていただき、私の思う投稿者さんへの印象としては、今のご自分の状態を冷静に客観視しながら、自分がどうしたら生きやすいのかという所で、しっかりと分析されており、対処されている方という印象を受けました。

どういった所でこういった印象を抱いたかというと、お仕事の場合ですと、できたこと、少し難しかった事など双方に目を向けている点でしょうか。私はついついどっちかに偏ってしまう時が多いタイプなので、印象的でした。ご家族との関わりについても、色々試行錯誤する中で、今のあなたにとってのベストな空間作りをされているんだなというのが伝わってきました。

話は変わりますが、投稿の中盤辺りにある「言葉が通じない未知数の相手(?)の前では気持ちが素直に出るのかもしれない」という文章に、共感と言いますか、私もそうかもしれない…と感じました。なぜそうなるのか、明確な答えは出ないですが、確実に否定をされない安心感?(保証)のようなものがあるからなのかな?と一人で考えていました。
逆に言えば、大人になると言葉が分かるからこそ考えて発言しないといけないし、相手がどう受け取るか分からない不安感で気疲れしてしまっているのかもと改めて感じました。

でも、投稿者さんの相談をしていく上での気付きを読みながら、意外と自分が過剰(ネガティブ)に受け取っている可能性もあるなと思いました。と考えれば、話が前後しますが投稿者さんが書かれていた雑談をする際、失言をしてしまったというのも、もしかしたら相手は失言と感じていなかったかも?と勝手ながら考えていました。

何度もお伝えしますが、全体的にご自分との向き合い方を熟知されているというか、例え苦手なことがあったとしても完全に距離を断つというより、どのくらいの距離なら自分は大丈夫か?というバランスを上手くとられてると感じました。(上からに感じてしまっていたらごめんなさい)

改めて、経験談への投稿ありがとうございました。

感想2

文章を読んで、あなたの生活を映した映画の冒頭か、あるいは最後の方のシーンで、主人公のナレーションを聞いているみたいな気持ちになりました。なんだかへんな表現ですみません。あなたの生活の中でのいろいろな部分を、シーンを切り取りながら、あなたの感情を交えながら書いてくれた文章のように感じたからかなぁと自分では考察してみています。それから、あなたの言葉を読んで、肩肘を張っていない感じ、リズムのあるような、かろやかな感じがしたということも、そのイメージに寄与しているかもしれないです。
あなたがこの文章をどんなふうに書いたのかな、と気になりました。たとえば頭の方から一気に書いたのかとか、どんなテンションで書いたのか、など聞いてみたくなりました。

「のんびりしている猫みたい」という表現が好きです。猫は早く走ることも飛び上がることもあるけれど、のんびりしているときはすごくのんびりしている感じがします。あなたの日々の試行錯誤には、きっと、瞬間瞬間の中では、のんびりしている猫というよりは、緊張していたり、ぐったりしていたりするときもあるだろうし、もっといろいろな姿があるのかなぁと思うのですが、それらを思い返したとき、これまでよりものんびりと過ごしてることを感じているところなのかな?と思いました。

ほかの人とのコミュニケーションについて、いろいろな状況でのことを書いてくれていて、自分にとって苦手なことを切り分けて対処したり、場合分けして分析したりしているのが印象的でした。甥っ子とのコミュニケーションで「素直」にいられたことの考察にも、なるほどと思ったのと、そういう甥っ子とのコミュニケーションを介して、お兄さんのパートナーさんとのコミュニケーションにもなっている、みたいな場面なのかな?(「〇〇してあげて〜!と言われた」という部分など)と想像しました。
逆にいうと、なんだか言葉が通じそうな相手の方が、むしろどう関わるべきか、考えてしまう中で雑談などのコミュニケーションに苦労するという部分もあるのかなぁとも思いました。「口にする」のが難しいと書いてありましたが、それはたとえばひとりごとだとしても同じなのかなぁ、それとも、目の前にリアルタイムで相手がいる、ということが大変なのかな、と考えたりもしていました。

睡眠、仕事、人との関わり、自分についての理解、日々の思考などはみな、あなたと、あなたの生活を大事にするための試行錯誤の過程なのだなと思いました。その様子を教えてくれてありがとうございます。私自身も私の特性や体力や思考や余力を鑑みて、生活を試行錯誤する日々なので、なんだか勝手に仲間のような気持ちで読ませてもらいました。投稿してくれてありがとうございます。あなたが気づいたこと、発見したこと、考えたことなど、また聞いてみたいです。

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