経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

中学生からずっと心療内科通い

中学生の時、朝学校へ行こうとするとお腹が痛くなり、心療内科へ通うことになりました。それから早15年以上、30代になった今も心療内科通いと服薬は続いています。高校、大学、就職、転職と環境が変わっても、自分の性格は変わらないのでずっと同じことの繰り返しです。薬はずっと飲み続けてるからか、服用して精神が落ち着く感じもしないし、もはや効いているのか分かりません。診察は5分以内。特に話したいこともない。体調悪いと言うと薬を増やされる。でも、全く無くなるのは怖くてずっと心療内科からは抜け出せません。カウンセリングを始めたこともありますが、少なくとも週に一回は通って高額。何かが変わる実感もなくやめてしまいました。
自分の性格の問題だから、もうどうすることもできないでしょう。5年ほど前、HSPと一致したのが分かってこれまでの人生の答え合わせができた感じがしました。ですが、病気でない、特性というので、治せるものではないというのは落胆しました。
学校は卒業という終わりがあるけれど、仕事は辞めない限り終わりがありません。辞めたら食べていけないことになります。自分に合う会社を見つけたいと転職を繰り返しましたが、どの会社に行っても辛いです。
自分で言うのは気が引けますが、「仕事ができないね」と言われたことはありませんでした。逆に「よく気がつく」「しっかりしている」と褒めてもらえることが多いです。ですが、褒めてもらう裏で自分の心はすり減っています。イレギュラーなこと発生した時はパニックになり、締切に間に合わないことが怖くなってどんどん先回りしていたり、日中にやった処理が間違えたかもしれないと不安で夜に家でパソコンを開いたりします。例え自分は悪くなくて相手の勘違いだったりしても、それが円満に解決するまで泣きそうな気分です。ここまでするのはバカバカしいと頭で分かっていても、必要以上に不安になる自分がいます。転職して、次は大丈夫だといいなと期待して入っても、どの会社でも結局同じ道筋を辿り、勝手にメンタルダウンしています。
平日夜や休日は1人でゴロゴロして終わります。仕事のことを思い出したくないのでどうでもいいSNSをずっと流れるように見ているだけです。外に行く気力は出てきません。もちろん独身で彼氏もいません。気を遣うのが嫌なので彼氏は欲しいとも思いません。たまには有給で旅行にでも行きたいと思う時はありますが、計画を立てる気力がないのと、急遽仕事で休めなくなりキャンセルになったらどうしようという心配で面倒になっています。たまに、親が近場の温泉行くから一緒にどうかと連れていってくれますが、この歳になってダメダメですよね。
20代後半からは身体面でも色々と不調が出るようになりました。頭痛、めまい、微熱が続く、風邪をひきやすい。自律神経が乱れていて睡眠が安定しないことや運動ができてないのが原因なのは何となく理解しています。家でゴロゴロしていたら生活リズムも狂いますよね。でも仕事行くと体力的にも精神的にも疲れるから家ではなるべく安静にしていたいという気分です。
仕事をするくらいなら生きていたくないなと思います。この先何も仕事せずに自由に生きれるならそうは思いませんが。どんな環境でも自分の性格のせいで心配を繰り返す生きづらい日々がもう嫌になりました。自分で死ぬ勇気はないけど、事故にあってしまえばいいのではと昔から考えてしまいます。

感想1

『仕事をするくらいなら生きていたくない』。本当にその言葉に尽きると思いながら読ませてもらいました。
仕事とプライベートを分けて語ることが多いように、働くという行為には、自分自身をどこかしら仕事に合わせて矯正する側面があるように思います。ただ、自分自身は「仕事に合わせ」る前の段階で躓いているような気がしていて、「ちゃんとした社会人」像とでも言うのでしょうか。どんな仕事を選んだとしても自分とその像との距離を感じてしまって、毎日毎日その距離を埋めるために孤軍奮闘しているような虚しさを感じていました。なので、投稿者さんの『どの会社に行っても辛いです』という言葉には、勝手ながらとても共感していました。
また、自分も職場で「真面目」と褒められることがあり、その度に内実はへろへろなんだけどな……としょっぱい気持ちになっていたことを思い出しました。働くことは自分を矯正することという意識が強かったがゆえに、褒められれば褒められるほど本来の自分を否定されているような気持ちになっていたのかもしれない、と振り返って考えていたところでした。
自分の経験に則ると、投稿者さんにとって働くことは「性格や特性が治った自分」像に近づこうとする行為とも考えられるのかな、と感じました。『治せるものではない』という意識が元々ある中で毎日働くのはそれだけで大きなストレスだと思いますし、そのうえイレギュラーも発生する……と想像すると、投稿者さんの不安は過剰なものだとは自分には思えませんでした。
そして、後半部分を読ませてもらって、仕事だけでなくプライベートにすら様々な「当たり前」像が侵食していることを改めて感じていました。SNSで見ていた「それぞれ」の当たり前のはずだったものが、だんだん「これくらいできないとだめ」な当たり前になっているような気がして、惰性で眺めていたはずのSNSが恐ろしいもののように思えてくるときが自分にはあります。仕事にしてもなんにしても、自分をダメダメだと思わせてくるものが周りにあまりにも多すぎて困ってしまいます……。
投稿者さんの心配を軽くできるようなことをもっと書ければよかったかな……と思いつつ、共感する人間もいることが伝わればと思って返信を書かせてもらいました。もしよろしければ、またお待ちしています。

感想2

「メンタルダウン」した感じや疲労感、あきらめの気持ちのようなものが伝わってくる文章でしたが、どこか悲壮感のない文章にも感じられたのが印象的でした。
読み終えた今、もっとあなたの話を聞いてみたいという気持ちになると同時に、まずは中学生の頃からずっと心療内科に通い続けてきたこと、ここまで過ごしてきたことに労いの言葉をかけたい気持ちになっています。心療内科から抜け出すことの不安やカウンセリングのお金の負担などについては共感の気持ちと同時に、もっと不安にならずに誰かに頼りやすい社会にならないだろうか…といった気持ちがわいてきました。そして、心療内科に通い続けてもなかなか改善がされない、さらには環境が変わっても状況がよくならないとすると、その原因があなたの性格にあると思わされてしまうだろうな…とも読んでいて感じました。その中であなたが出会ったのが「HSP」で、それはあなたのこれまでのしんどさを納得させてくれるものであったものの、「特性」ゆえに「治せない」というある種の現実をあなたに突きつけただろうと思います。それでもあなたは必死に日々生きてきて、その努力ゆえに周りからの評価も得られてきたのだなと思いました。それは相当なエネルギーを割くものだと思ったので、さぞかしあなたを「すり減らした」だろうなと感じます。ですが、それは周囲には気づかれにくいもののように思うので、理解されることもあまりなかったのではないかな…そして、そんなあなたのしんどさすら、気持ちや体力のなさの問題として扱われてしまいそう、あなた自身そう思わされてしまいそう…とも勝手ながら感じました。

私は今の社会はいわゆる健常者やマジョリティ(力を持った多数派)が中心となって作られていて、その人たちが当たり前にできる振舞いができないと認めてもらえないかのような仕様になっている気がしています。インクルーシブや合理的配慮と言われるようになってはきましたが、まだまだこの社会は変わらないといけないのだろうと、あなたの文章を読んで深く考えさせられました(ただ、インクルーシブは変えていく・変わっていくプロセス自体を指すとも聞きます)。そうした社会にあなたは合わせようとして苦しんできたと思いますが、それに乗ることでやり過ごせた部分もあったのかと見えたので、そのことがより自分の「性格の問題」だと考えることにつながったのかなと私には見えました。ですが、あなたの「生きづらさ」はあなたの性格(内側)にあるのではなくて、もしかしたら社会(あなたの外側)にあるのかもしれないと少し考えてみてもいいのではないかなと私は思いました。
あなたと望む方向性は少し異なるかもしれませんが、私はもっと人の弱さや傷つきやすさが大切にされる社会で生きていたいなとよく思います。仕事をしないと食べていけなくなると追い込まれるような社会ではなく、もっと自分や誰かの疲労や傷つきを認め合い、労い合って生きられたらいいのにな…とよく妄想します。少し話が逸れてしまいましたが、あなたの不調はこれまで無理をしてきた疲れからかもしれないとも思ったので、家でゴロゴロしながら、近場の温泉にたまに行くような時間(それが親とでも誰とでもいいと私は思います)を個人的には大事にしてほしいなと感じました。投稿ありがとうございました。

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