経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

30代女、パニック症、PMDDで生き辛い

障害年金と就労A型で生活しています。

就労A型は主に在宅勤務で、人とあまり関わることがないです。

HSP気質もあるので、どうしても人の悪い気をもらいやすく、疲れやすいです。

訪問看護師さんやヘルパーさんは週1回来てもらい、なんとか生活しています。

メンタルの不安定さは波がありますが
看護師さんと話しをしている時はちょっと嫌なこと忘れられて、世間話ししたりで気が紛れています。

夕方以降は鬱っぽさがひどくなります。

周りは結婚していき、置いてけぼりな感じがあります。
私は結婚も半分諦めています。
子供を産むつもりはもうないです。

以前付き合っていた人がASD持ちで、カサンドラうつにもなり、私自身がおかしいのか今より情緒不安定になってたときもありました。

将来的なこと考えると賃金は普通の人並みにも稼ぐことは出来ず、定年までいたとしても
そこまで働くのもきついなと思っています。

障害雇用も何社か受けたけど、全部落ちました。

20代の時は周りにメンタルのこと言えましたが
30代半ばになり、言えないです。
言うのも恥ずかしいと思ってしまいます。

見た目は普通に見るからこそ生き辛さはあります。

今の働き方が難しくなれば足りない分はいずれ生活保護もらうかたちになると思います。
(本当にどうしようもなくなったらですが。)

女なので結婚すれば良いとか思ってた時期ありましたが、一時期目の病気を患ったりして外出が困難な日常生活にも支障をきたしました。

色んな話しを聞いてるうちに結婚とは何か?と考えたり、訳わからなくなりました。

最近は葬式のパンフレットを見て、年齢的に早いですが終活をふと思うようになりました。

生理痛がひどくて、数日寝込むくらいな時があります。

生きていくにはお金がいる、貯金は出来ても心は不安で満たされないです。ちょっと強迫的な感じはあります。

1人で孤独死しない程度には生きたいと思ってしますが、これ以上歳を取りたくないと思ってしまいます。

もしパートナーで理解してくれる人が少しは生きやすくなるかもしれないです。

年々、行事ごと、誕生日が心底嫌になってきました。

感想1

投稿ありがとうございます。

HSP気質で疲れやすいあなたにとって、人とあまり関わらない今の在宅勤務や、看護師さんと週一回ほどのペースでお話しする機会があるこのバランスは、ちょうどよかったりするのだろうかと考えました。

夕方以降ひどくなる鬱っぽさはもしかしたら寂しさみたいなものがあったり、その時にあなたの言っていた「置いてけぼりな感じ」を強く感じるのが夕方なのかな…と私の勝手な想像です。

お金の不安があったり、働かないと…となることがまず大きなストレスの一つだと私は自分の経験からもそう思いますし、全部落とされるのこともかなり心にダメージが来ることだよな…と、こちらも自分自身覚えがあります。

看護師さんとは世間話をされるとありましたが、あなたの抱える心配事やつらさをその時間にちょっとだけでも、世間話と一緒に打ち明けてみてもいいんじゃないかと私は思いました。

自分の気持ちを出す場が無かったりしてつらさも増しているのかもしれないと感じたので、この経験談に投稿して気持ちを伝えてくれた事が私は少し嬉しくなりました。

そして、メンタルのことが年齢とともに言いづらくなったこと、私含め、似たように感じたことがある人も多いように思いました。
そんな風に感じさせてくるこの社会に対して違和感を覚えますし、「もう◯歳だから・まだ◯歳だから」と社会では年齢での判断が強い気がしています。

数字として確かにあるのは事実だとしても、その人がどのように生きてきたかはそれぞれ全く違うから、年齢がどうとかですぐ判断されることがあるとしたら、すごく嫌だと今この感想を書きながら改めて思っています。

なんだか、もっと堂々とメンタルの不安や自分の「病み」の部分を外に出していこうかなぁ、とあなたの投稿を読み私は考えさせてもらいました。

PMDDとご自身で言っていたのもあり、既に婦人科にかかっているのだろうかと想像しました。生理痛の酷さも含め、改めて婦人科で相談したり、お薬の調整をしてもらえないだろうか…と勝手ながらそう思いました。(私が婦人科へ通院してるのもありまして気になりました)

パートナーのお話が最後にありましたね。切実な望みのように受け取りつつも、パートナーとの理想の暮らしがあなたの中に割とイメージがあったりするんじゃないかな、とも感じました。
もしあるならば知りたいですし、なかったら一緒に考えたい気持ちになりました。(勝手にそう思いました)

またいつでもここを利用して下さい。

感想2

あなたの日常を追いかけながら、ひっそりと抱える苦しい胸の内に触れたような気持ちで読ませていただきました。ご自身の傾向を理解し他者とほどほどの距離を保ちながら、現実と折り合いをつけつつも、どこか拭えない不安や孤独感を文章の端々に感じています。
また、あなたが感じている苦しさと同じではないということを留意しつつ、思わず自分を重ねてしまう瞬間もあり、ところどころ共感を寄せながら読ませていただきました。

PMDDによる不調や、不安定の波が襲ってくるときは、自分でもコントロールし難い状況なのではないかなと想像しました。ひたすら痛みを耐え凌ぐ時間も、なかなかにしんどいのではと感じています。ときに荒れる大波をなんとか乗りこなしつつ、わずかな間でも気が紛れる時間があることには少しだけ安心しました。
確かに日が暮れていくあの静けさや色合いは、妙に悲しさを煽られる時間だなと感じます。
(ある人が夕方の不調を「赤ちゃんの黄昏泣き」に例えていて、なるほどなぁと思ったことがありました)

結婚や仕事、体調のこと・・さまざまなしんどさが綴られていましたが、いずれの事柄にも「普通」や「当たり前」という社会規範や価値観が横たわっていて、何かにつけて不安を引き出されてしまうような状況をイメージしています。
なんとか自分で自分を励まそうとしても、つい隣の芝生が青く見えてしまったり、自分だけ「置いてけぼりな感じ」になってしまうことは私自身も日々繰り返しているなぁと思い返しています。それらを個人の問題として扱ってしまう風潮への疑問とともに、事あるごとに私たちを大きく振り回す何かの存在を感じてなりません。

そんな中で、年を重ねていく不安、このままでも大丈夫と思えない不安、今後の生活の不安・・数えていけば無限に溢れてきますが、私たちは不安とどう付き合っていったらいいのか・・みんなで考えてみたいテーマでもあるなと思いました。また、あなたの不安に対して安易に励ましの言葉を言いたくないなと感じる自分もいて、ただただ、あなたの気持ちを受け止めたいと、そんな思いでもいます。
またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。

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